桜田は'72年に日本テレビのオーデション番組『スター誕生!』でスカウトされ、相澤さんの自宅に下宿し、翌年に歌手デビューを果たした。
「その後、相澤さんの自宅を出て姉と同居したんです。その姉が強引な勧誘と霊感商法が社会問題となっていた統一教会の熱心な信者だったことから、桜田も入信した。しかし仕事場には宗教を持ち込まなかったので、相澤さんは安心していたんです」(元事務所関係者)
ところが、'92年に行われた統一教会の“合同結婚式”に事務所の反対を押し切って参加、会社役員と結婚してバッシングを受けた。相澤会長は社会的批判を浴びても統一教会の“広告塔”を務める桜田の活動休止を決め、事実上、芸能界から追放となった。
「7年前には、所属レコード会社からアルバムが発売されたことを機に相澤さんと再会し、本格的に復帰の話が出た。しかし、その条件として、相澤さんが統一教会からの脱会と世間を騒がせたことへの謝罪をあげたため頓挫したんです」(音楽関係者)
その後も相澤さんは桜田と定期的に会っていたが、一貫して条件を変えることはなかったという。
「ただ、相澤さんの桜田の復帰を望む気持ちは最後まで変わらなかった。それでも、その遺志を継ぐかは微妙です」(前出・元事務所関係者)
一方の酒井は、弔問に訪れた際、報道陣の「相澤さんに最後に会われたのはいつですか?」の質問に「3年前」と答え周囲を唖然とさせた。つまり、覚せい剤所持での保釈会見以来、会っていないということだ。
「相澤さんが更生を見守っていたにもかかわらずです。相澤さんは『テレビの地上波や映画は覚せい剤事件のイメージが強すぎてスポンサーがつかない。いずれはボクが何とかしなきゃね』とまで言っていた。最後まで不義理だった酒井を、地上波では使えませんよ」(テレビ局プロデューサー)
完全復帰は遠いようだ。