「ラッキーはエンターティナーとしての屋号です。太神楽としての意識は、父もそうですが、やっぱり豊来家。将来は私もその名乗りを継げたらな、という気持ちはありますね」
そんな中で最近、気になっているのが、太神楽曲芸に対する世間の認識だ。太神楽曲芸はその演技形態から、しばしば大道芸あるいは寄席の色物芸と同様に見られることがあるが、その本質は神楽舞に端を発する神事芸能だ。この点に関し、ラッキー舞はこう説明する。
「太神楽は大道芸と同じように見られがちですが、それはちょっと寂しいですね。太神楽は、そもそもは神事に由来してますから、演技の所作の一つひとつに意味があるのです。例えば傘は『末広がり』、鞠廻しは『人の心を丸く治める』、枡廻しは『一生益々のご繁盛を』という風に、それぞれ縁起をかついだいわれがあって、私たちもそれを意識しながらやってます。獅子舞もそうです。あれも単なる門付けの踊りじゃなくて、動きの一つひとつに意味があり、それを表現しながら舞うというのは難しいことなんです。それに比べ大道芸は見せ方がすべて。太神楽が単なる見世物なら、楽しさがすべてでいいんでしょうが、やはり神事に由来する伝統芸能なんだから、その背景にまで気をつけてもらえたら、そこまでじゃなくても、(太神楽は)面白いだけじゃない、とても縁起のいい芸能なんだ、という気持ちで見てもらえたらな、と思いますね」
神事としての太神楽、見世物としての大道芸。双方ともに手がけているので、その違いが身に沁みてわかる。
「太神楽が伝統芸能である以上、その型というかスタイルを後に伝えていくのも演者の使命。おこがましいけど最近そう思いますね。そのためにはもちろん私自身がしっかり芸を磨かなければいけませんが(笑)」
このままだと、曲芸は残っても、太神楽は忘れられてしまいそう。そうならないためにも曲芸を入り口に、太神楽を知ってもらいたい。そんな思いから地元・大阪住之江で開催している「曲芸教室」は、特徴あるカルチャー教室として、毎週、一門の芸人をはじめ、多くのプロやアマチュアで賑わっている。
太神楽芸人・ラッキー舞が目指すのは、伝統芸能としての太神楽曲芸の継承と、正真正銘の“祝いの巧”だ。
「おめでたい席には太神楽の一座を呼んで、そのめでたさをさらに盛り上げる。日本にはそういう祝いの文化があるということを一人でも多くの人に知ってもらいたいですね」
最後に“祝いの巧”であるがための格言を聞いた。
「それはやっぱり“あるがままに”ですね。変な力が入ったら、それでおしまいのことをやってるわけですから。それは何も曲芸だけでなく、人生そのものにも言えることなんじゃないでしょうか。でも、実際に力を抜きながら生きる、というのは、けっこう難しいことではあるんですけどね(笑)。これからもあるがままに、そして芸人としては、お客さんと演者が一つになって楽しめる舞台をたくさん作っていきたいと思います」
そう語る笑顔がとても印象的だった。