江木欣々の名前は、徳次も聞いたことがあった。岩井の話を聞きながら、徳次は、狐につままれたようだったが、欣々(栄子)の苦労と孤独が痛いほどわかる気がした。
徳次が政治と兄弟商会をつくろうと堅い握手をした数日後、登鯉子、政治、徳次の3人は、差し向けられた黒塗り、2頭立ての馬車に迎えられて欣々の待つ江木邸を訪れた。門をくぐって玄関を入ると、等身の仁王尊や仏像が立ち並び、お寺を思わせる廊下があり、左手側の客間に通された。部屋はいすなどが置かれていて、洋風だった。
そこに、新しい型の束髪に結った姉・栄子が待っていた。裾長に和服を着流し、その上から流行の紫被布を羽織っている。胸からは房のある紐(ひも)が長く垂れていた。徳次には、栄子がこよなく美しく思えた。浦島が竜宮で乙姫と会った感じもこんなではなかったかと想像した。栄子は徳次より17歳年長で、当時40歳に達していたはずだが、非常に若く見え、なおかつ威厳があった。
栄子は瞳を輝かせて徳次たち3人に自分の数奇な過去を話した。また、3人の身の上もいたわるように聞いた。特に徳次が幼いころの苦労を語る時は、ハンカチで涙をぬぐいながら自身の生い立ちを引き比べてうなずくのであった。徳次にはまるで母親の優しさに接しているように思えた。
早川兄弟商会では、販売は政治、製造・開発は徳次が担当したが、徳次も早川式繰出鉛筆の見本を持って問屋筋を回った。
精巧かつ実用的。日常の必需品として必ず売れる自信があった。しかし、どの問屋にも不評だった。持ちやすく工夫した軸の金属が“冬場には冷たく感じるから駄目だ”とか、繰出鉛筆そのものが当時は大多数を占めていた“和服に向かない”などと言われ、全く注文を取れない日が続いた。