ほどなくして、リハビリの拠点を国立科学博物館附属自然教育園に移し、多摩川台公園に行く月曜日を除き、火曜日から土曜日の週5ペースでここに通うようになった。たいていは一般開園前の朝7時40分に到着し、約30分間のトレーニングを行うのだ。かなり回復した一時期は、「イチ、ニ、ヨイショ!」と大声を出しながら、麻痺の残る右足を大きく蹴り上げて、約30メートルの距離を一気に走るメニューまでこなしていた。
トレーナーに右上半身を支えてもらいながらではあるが、これを見たときには驚いた。さらに最後の仕上げに30回の素振りである。このリハビリを見た関係者は口をそろえて「あれはリハビリじゃなく、トレーニングだ」と驚くほどの回復ぶりだったのだ。
日曜日の休みを除き、順調にリハビリを重ねて回復してきたミスターだが、心配がなかったわけではない。今年は早くから気温の高い日が続き、長嶋のリハビリにも心なしか疲れが見えていたからだ。
リハビリのスケジュールはここ何年間もずっと変化がなかったのだが、今年に入ってからは火曜日と木曜日は自宅近くの散歩だけになることが多くなっていた。
リハビリの様子を見ても、以前より体力が減退している様子が見て取れた。早歩きのウオーキングのスピードがゆっくりになったり、時々、立ち止まって休みながらという日も多発するようになっていた。
また1週間に一度、月曜日の最後に歩く勾配のきつい急坂の散歩も、これまでは20分かけて歩ききっていたのだが、今年は2度ほど途中で止まってしまい、そのまま切り上げたこともあった。
当初は82歳という高齢を考慮して、リハビリの負荷を緩和したのだろうと思っていたが、やはりどこかで無理があったのかもしれない。ただし、幸いなことに病状のほうは深刻ではないようで、前出の長嶋家に近い人物も楽観視している。
「胆石は治療すれば完治するものですから、本人はいたって元気なんです。きっとまた、10月頃からは歩き始めますよ。まあ、長嶋茂雄はリハビリを14年間も継続してきたのだから、神様が少し休みなさいといっているんでしょう」
ミスターは2020年の東京オリンピックで聖火ランナーを務めることを目標にしていた。そのためにもゆっくり休んで体調を戻してほしいところだ。
日本中が長嶋の復活を信じ、願っている。そういえば、昨年暮れに長嶋の介護を務め、今や家族同様の付き合いをしている介護士のS氏が、こんな言葉を口にしていた。
「長嶋さんはあの年齢で毎日同じ時間に決められたメニューをこなしています。継続すること自体が凄いし、何より接していて人間的に素晴らしいんです。長嶋さんが頑張る姿は、リハビリをしているすべての方たちの見本になるし、励みになるはずです」
8月19日現在、ミスターはまだリハビリ復帰をしていない。入院が長引いているのが心配だ。_(敬称略)
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スポーツジャーナリスト・吉見健明
1946年生まれ。スポーツニッポン新聞社大阪本社報道部(プロ野球担当&副部長)を経てフリーに。法政一高で田淵幸一と正捕手を争い、法大野球部では田淵、山本浩二らと苦楽を共にした。スポニチ時代は“南海・野村監督解任”などスクープを連発した名物記者。『参謀』(森繁和著、講談社)プロデュース。著書多数。