3月末以降は、毎週のように花の82年組のデビューキャンペーンが全国で行われていた。もちろん新井のイベントも開催されていて、私が初めて新井の現場に出向いたのは、5月9日に渋谷の東急本店屋上で行われたイベントだった。この場所は数日前に、石川秀美がデビューキャンペーンイベントを行ったばかりの場所だったので、戸惑うことも無くデパートのオープンと同時にダッシュして良席を確保することに成功した。初めて生で観た新井は、デビュー曲のタイトル通り、瞳がキレイで、目に吸い込まれるような感じのチャーミングな女性という印象だった。それを観た私は、きっと新井はトップクラスになる逸材だと思っていたので、デビューから必死に追いかけようとしていた。
2曲目の『イニシャルは夏』で夏先取りソングということで、注目を浴びるのだが、新人賞獲りレースでは、新井以上に勢いを持つアイドルが多かったため、頭ひとつ抜け出すことができなかった。3rdシングルで浅丘めぐみの『私の彼は左きき』のカバーソングを歌ったことで、ようやく新井ファンも増えてきて、テレビや雑誌の露出も増えてきた。当時は頻繁に行われていた公開収録などの出演も増えてきて、一気にブレークの兆しも見えてきた。
そんな時に、新宿のマイシティで行われた文化放送の公開収録に行くことにした。収録は平日の夕方だったこともあり、ファン以外にも買い物客も多くいて、フロアはごったがえしてしまい、あわや収録が中止になりそうになってしまった。この人気は本物だと感じて、常に新井のスケジュールをチェックするようになり、年末には『オールスターかくし芸大会』の収録がフジテレビで行われることを知って、入り待ち出待ちをすることにした。しかし収録は朝から深夜までやっているので、どのタイミングで来るかはわからないので、ひたすら待つという苦行をすることになった。
その苦行に心が折れてしまった私は、フジテレビ局内に突入することを考えた。入口で「おはようございます」と守衛に挨拶をして中へ向かうと、呼び止められることもなく、まんまと局内へと入ることに成功した。迷路のようなスタジオの中だが、まずは人がたくさんいるような場所に向かってみた。その先には、たくさんの有名人がいた。その中に偶然にも新井がいたので、話しかけてみることにした。怪しまれる可能性も高いので、サインや写真をお願いすることはできなかったが、このスリルの中で会えたのは本当に嬉しかった。
人気も上がってきたこの頃にアイスクリーム『エスキモーPino』のCMにソロで出演。このCMは、新井がベンチに座っているだけのシンプルな感じなのだが、なぜかミニスカートで足を組み替えるシーンがあって、白いパンツがバッチリ映しだされている。明らかに確信犯のCMだが、中学生だった私は当時かなり興奮したことを覚えている。
このCMは色々な意味でかなり話題になったが、CM放送は続いているのに、新井は新曲も出すこともなく、テレビに出ることも無くなってしまい、1年半程度の活動で芸能界からフェイドアウトしてしまった。メディアから消えてしまったことで、死亡説なども流れていた。それから数年が経ち、KAORUKOという名前でイラストレーターやデザイナーとして活躍するようになり、日本のみならずアメリカやヨーロッパ各国での活動が中心になった。数年前には、ニューヨークで個展を開く程までになっていたから驚きだ。
現在はフラワーアーティストとして「KAORUKOフローリスト」を経営し、フラワーアカデミーなども主宰。アイドル当時の面影は無くなってしまったが、当時を知る人にとっては、アイドル当時の歌を聴かせてもらえないかとどうしても考えてしまう。とりあえずフラワーアレンジメントの依頼をしてみれば、本人に会える可能性も高いので、そういう機会があれば、歌うオファーでも出してみたいと思う。果たしてそのオファーを受けてくれるだろうか?
(ブレーメン大島=毎週土曜日に掲載)
【ブレーメン大島】
小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしの顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。