18世紀後半、14歳のメアリーは飢饉による食糧難のアイルランドから単身ニューヨークに移住。家事使用人の職を得、やがて料理の才能と人柄の良さから、富豪宅に雇われ高給を得るまでになっていった。その頃、ニューヨークで小規模ではあるが腸チフスの流行が散発していた。メアリーの雇用宅でも発病者が出ていた。ある富豪から原因解明を依頼された衛生士は、メアリーを雇用した直後の家庭で腸チフスが発生している事実に気付いた。激しい抵抗の末、ニューヨーク市衛生局での検査によりチフス菌を検出されたメアリーは、病院に隔離された。しかし当時、毒性の高いチフス菌が、自身が発病せずに感染源になり得るとは知られておらず、メアリーは不当な隔離の中止を求め訴訟を起こした。訴訟は敗訴に終わったが、隔離中の病室のガラス越しに、新聞取材を受けたことから世間の注目を集め、食品関連の職に就かないことと、居住地を明確にするという条件でメアリーは解放された。しばらくは条件を守っていたメアリーだったが、やがて消息が途絶えた。
5年後、偽名で産婦人科病院の調理人をしていたメアリーは、25人に感染させ2人の死者を出し、感染源として再隔離された。後の23年を院内で看護師、介護人、研究室の技術補佐の仕事をして過ごし、隔離されたまま生涯を終えた。自身保菌者であることを信じていなかったメアリーは、47人の感染者と3人の死者を出したが、当時家事使用人の中でも料理人が優遇されていたり、メアリー以外にも保菌者が100〜200人いた可能性、アイルランド系移民への差別等の社会的背景から、メアリーを邪悪と見るか不運と見るかはか別れるところである。
(七海かりん 山口敏太郎事務所)