同ドラマは、阿部が主演を務めた2006年放送のドラマ『結婚できない男』(同)の続編。前作から13年後を舞台にした、不器用で独身の建築家が主人公のコメディー仕立てである。
前作では高視聴率を記録し、阿部の“ひとり焼肉”シーンが、“1人焼肉”ブームのきっかけにもなったという。また、私生活では07年に15歳年下の元OLと結婚した際に、会見で「結婚できない男が結婚することになりました」と同ドラマをネタにした。
阿部というと、大学在学中に姉の勧めで『ノンノボーイフレンド大賞』に応募し優勝。その後は、人気雑誌『MEN’S NON-NO』(集英社)のモデルとして創刊号から43号まで表紙を飾るカリスマ的な存在だった。そして、1987年公開の映画『はいからさんが通る』で俳優デビューを飾った。
軌道に乗った阿部は、この頃に億単位の投資用マンションを購入したという。だが、ここから阿部の不遇の時代がやって来るのだ。バブル崩壊による不動産価値下落、自身の人気も低迷。阿部は大借金を抱える羽目となり、なりふり構わず仕事に専念した。だが、空回りした阿部の活動が、今となっては“黒歴史”として語り継がれている。
1988年に阿部は歌手としてCDアルバムをリリースした。
「阿部はアイドルに近いポジションで活動をしていたと言われています。しかし、元カリスマモデルと言えどもCDは全く売れず、結果は撃沈。歌番組出演などの当時の情報も残っておらず、活動内容や阿部がなぜ、歌手活動に手を出したのかは不明です。ジャケット写真も無地の淡い単色背景の前に、カメラを見据えて座った阿部が大きく写されており、当時のファッション雑誌風に撮影したのでしょう。上着をインしているポーズは昭和感が満載です。『ABE』というタイトルからして“ダサイ”イメージを与え、歌手デビューは失敗した痛い過去のようです」 (芸能ライター)
事実、阿部の公式ホームページを覗いてみても、歌手活動時代には触れておらず、まるで抹消したかのようだ。
以降は、俳優として活動するも、カリスマモデルの肩書のおかげで、ワンパターンな二枚目の役が主だったという。だが、高身長の阿部は女性とのツーショットの収まりが凸凹となり、次第にドラマのオファーが減少していったのだ。その後、3年間は仕事に恵まれずパチプロ生活で食い繋いだという。
そんな阿部を、「かつて一世を風靡した有名人」として捜索するバラエティ番組『あの人は今!?』(日本テレビ系)が取り上げたのだ。完全に“過去の人”扱いをされた阿部は、俳優への闘志をみなぎらせ一念発起したという。
「阿部は、1992年のドラマ『チロルの挽歌』(NHK系)に憧れだった俳優・高倉健が主演するという話を聞き付けては、端役への出演を希望したそうです。俳優として一からやり直したかったのでしょう。過去の栄光を捨て、阿部はどんな些細な役にでも挑戦したのです。そして、ようやく転機が訪れ、93年の舞台『熱海殺人事件モンテカルロイリュージョン』で、主演のバイセクシャル刑事役に挑み、裸体を披露。顔に似合わない奇声を発し、意外にもハマり役となったのです」(芸能関係者)
阿部は長い下積み時代を経て、再び光が差し込んだ。時代劇への出演も増え、大河ドラマへの出演も果たし、そして国民的俳優の座にまでのし上がった。
2007年、阿部は大阪での舞台挨拶にて、「最近になり(投資用マンションの)借金を返し終えた」と告白している。不遇の時代を経たからこそ、どんな役柄でもこなせる俳優に成長したと言えるだろう。阿部は、当時の話をよくするが、アイドル時代の話は皆無に等しい。ぜひとも、詳しく聞きたいものだ。