――1991年当時としては破格の3800円で発売され大ヒットした『闘魂Ⅴスペシャル』ですが、ビデオを制作するきっかけは何だったのですか?
小路谷 当時、議員だったアントニオ猪木氏が、国際民間交流を目的として、シルクロードを100人のライダーで走るという計画を進めていたのですが、その撮影班に参加し、猪木さんや新日本プロレス関係者の方々と知り合ったのがきっかけです。あの頃は新日の番組が夕方放送されていて、突然中止されたり、ゴルフ中継に変わったりと冷遇されていました。「なぜ、あの試合を放映しないんだ? ビデオでいいから発売してもらえないだろうか」。そんな素朴な気持ちを新日の担当者に伝えたところ「同感です。具体化してくれませんか」とあれよあれよという間に『闘魂Ⅴスペシャル』誕生の運びとなりました。
――格闘中継の“煽り”の元祖とも言われていますね。撮影でこだわった部分はありますか?
小路谷 リングの中で行われる試合だけにスポットを当てるのではなく、語りはもちろん、試合前後の様子や、過去の試合までさかのぼって、点と点を結び、より劇的に見せる「物語化」を念頭に取り組んでいました。プロレスファンが見たいのは、試合はもちろんですが、選手がどういう人間で、何を考え、どんな悩みを抱えながら戦っているのか、という内面もあります。そこにどれだけ肉薄できるか、素の心を引き出せるか、そういう思いでカメラを向けていました。
――今だから明かせる撮影秘話などはありますか?
小路谷 実は、靖国神社で毎年1回行われている『奉納プロレス』(主催ゼロワン)の企画を考え、ゼロワンと靖国神社に話を持って行ったのは私です。大正10年、ルー・テーズの師匠アド・サンテルと講道館所属の柔道家が、大観衆を集めて戦った場所が靖国神社だったと知り、プロレス界復興の狼煙をあげる絶好の聖地ではないかと思ったのです。初めて興行が行われた日は、246万6000余柱の英霊に粗相があってはいけないと緊張しましたが、当日、何気に見た太陽が、雲の陰りでそう見えたのか、人の目のような、それもにこやかな眼差しのように見えて「大丈夫だ。喜んでいただいている」と思ったことは鮮明に覚えています。ゼロワンと靖国神社の皆様には改めて感謝申し上げます。
現在、私は6年制作してきたUFOドキュメンタリー映画『虚空門GATE』の来年の公開に向け準備をしています。上映の際はぜひ足をお運びください。
(聞き手/程原ケン)
小路谷秀樹(こうじたに・ひでき)
京都府舞鶴市生まれ。宇宙企画の専属ディレクターを務めた後、フリーに。2005年まで『闘魂Ⅴ伝説スペシャル』を監督プロデュースした。