そしてある日、子供の世話に来るはずの昌江さんが遅れてきたことから、その怒りが爆発した。
「男と会っていて遅くなったんだ。自分や子供を後回しにするなんて、もう許せない」
そんな妄想を膨らませていた川原は、すでにブレーキがかからなくなっていた。
深夜、川原は昌江さんの自宅に忍び込むと、彼女が寝ている2階へと上がった。そして、彼女の首をネクタイで思い切り絞めた。突然のことで驚き、もがく昌江さんだったが、やがて力が抜けたようにぐったりとなってしまった。しかし、昌江さんは気を失っただけだった。
だが、川原はこれで終わりにはしなかった。気絶した昌江さんを抱えあげて部屋から運び出し、彼女の軽自動車の助手席に乗せた。そして、自分で運転して500メートルほど離れた空き地へと移動させた。
それから、助手席に気絶した昌江さんを乗せたまま、用意した灯油をクルマに浴びせかけたうえで火をつけた。たちまちクルマは火に包まれた。それを見届けて、川原は自宅に逃げ戻った。
その後、川原はワープロで偽造した「遺書」を手にして警察や見物人などでごった返す現場を訪れた。
そして、その場にいた警官に自分で書いた「遺書」を差し出し、あたかも彼女が自殺したかのような偽装工作を行っていたのである。
その時、焼け焦げたクルマを見て、川原は何を思ったのであろうか。
川原の逮捕に、地域の住民や知り合いは、元夫の、しかも「生きたまま焼き殺す」というあまりに残忍な手口に、驚きを隠せなかったという。なかには、「勤務態度も普通だったし、まじめそうだったのに信じられない」などと話す知り合いもいたという。
警察の取り調べに対して、川原は容疑をすべて認めた。検察は川原を殺人容疑で起訴した。
2003年3月3日、千葉地裁松戸支部において、川原に対する判決が言い渡された。裁判長は「家財を始末するかのような冷酷非道な犯行」であるとして、川原に求刑通りの懲役15年を言い渡したのである。
(了)