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田中角栄「名勝負物語」 第五番 小沢一郎(8)

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提供:週刊実話

 昭和59(1984)年12月25日夜、東京・築地の料亭「桂」で、次期自民党総裁選へ竹下登を擁立することを含みとした田中派内のグループ「創政会」結成へ向けて、初の協議が行われた。そこには、小沢一郎の姿もあった。それまで田中角栄のもとで一枚岩を誇った田中派内に“派中派”をつくることは、田中にとってはまさに「ワシをはずす気か」といった穏やかならぬ胸中であった。その頃の田中派担当記者の、こんな証言が残っている。

 「ロッキード裁判を抱えていた田中は、折りに触れて、『竹下が総理になるのは、ワシがもう1回(総理を)やったあとだ』と吹聴していた。しかし、小沢としても田中が裁判を抱えて身動きが取れない以上、派内の世代交代を進めることはやむを得ないという考えだった。いつまでも総裁・総理候補を出せないとなれば、田中派も確実に衰退の道をたどり、やがては“一家心中(注・派閥崩壊)”になりかねないということである。小沢は、こう言っていた。
『仮に、オヤジ(田中)が二審もクロということになったら、その時点で今度こそ皆がオヤジから離れてしまう。田中派にはちゃんとした長男(注・竹下)がいるんだから、いまこそオヤジは家督を渡すべきときだろう。オヤジの手で竹下政権をつくったほうが、むしろこれからのオヤジのためになる』と。
 こういう思いに至った小沢だったが、創政会結成を決断した日は、田中のためと信じて走らなくてはならない政治の非情さを思って、一晩、泣き明かしたとのエピソードがある」

 田中は結局、小沢らの言う「創政会というのはあくまで“勉強会”です」との言葉を信じ、「分かった。勉強会としてなら認める」として、渋々ながら創政会結成を了承したのだった。

 しかし、年が明けての昭和60年2月27日、その田中が脳梗塞を発症して倒れた。結果的には、これを機に田中は言葉を失い、事実上、政界の舞台裏からも姿を消すことになる。

 この「闇将軍、倒れる」により、重しを欠いた政界は一気に混迷化。とりわけ「親分」を失った田中派は求心力を欠き、足並みが乱れ始めることになった。

 まず、「ポスト鈴木(善幸)」で総裁選出馬意向を示して派内に一騒動を起こした二階堂進が、「ポスト中曽根(康弘)」で再び総裁選出馬への意欲を表明。二階堂には、田中と「合わせ鏡」と言われたように、田中の意を自分なら継げるとの思いがあったと同時に、田中が待ったをかけていた竹下が田中派を継ぐ形になることは、なんともしのびなかったということであった。

 しかし、二階堂の“野望”は、すでに田中派の大勢を固めた小沢らの竹下グループの前に、たちまちかき消された。

 竹下グループは田中が倒れたことで、一時、創政会そのものは解散したものの結束は維持、昭和62年7月、ついに113人を擁する竹下派経世会として独立した。ここに、長く政界を壟断し、一致団結した組織力、行動力をもって「田中軍団」とおそれられた田中派は、分裂をもって消滅した。

 一方、竹下は竹下派結成からわずか4カ月余後、悲願の首相の座に就いた。退陣する中曽根総裁(首相)が、自民党内最大派閥の竹下派に逆らえず、後継総裁指名に竹下を「裁定」したということだった。

★小沢官房副長官の「剛腕」

 成立した竹下内閣で、小沢は内閣官房副長官として官邸入りを果たした。時に、「竹下内閣の官房長官は3人いる」と言われた。正式な官房長官は竹下の側近である小渕恵三、もう1人は竹下首相自身、そしてもう1人が官房副長官だった小沢である。

 つまり、小渕はともかく、竹下も小沢も“官房長官的な仕事”を兼ねていたということであった。当時の官邸詰め記者の証言が残っている。

 「田中は『(小沢)一郎はハラがすわっている』と言っていたが、小沢は官房副長官のポストでも、ハラのすわった対外交渉術を見せつけている。竹下の小沢への期待は、日米交渉の“裏方”として成果を出すことだった。時に、日米間には、日米建設市場の開放、牛肉、オレンジなど農産物の自由化問題という“2つの重い荷物”があった。ともに、それまで2年余もモメてきた懸案である。ところが、小沢はタフ・ネゴシエイター(強力な交渉人)ぶりを発揮、とくに建設市場開放問題を日本ペースで落着させたのが光った。竹下は改めて小沢に対し、『“剛腕”ぶりを見せつけたな』と感心しきりだった」

 しかし、この竹下内閣、懸案の消費税3%の導入には成功したが、メディアによる当初の長期政権予測を裏切る格好となり、わずか1年半の「短命」で幕を降ろしてしまった。竹下自身が、リクルート・グループから1億5100万円の献金を受け、秘書も同グループから5000万円の借金をしていたことが明るみに出たことで、退陣を余儀なくされたのだった。

 この竹下内閣崩壊の前後から、かつて野中広務が口にした小沢の「独断専行」「唯我独尊」ぶりが、堰を切ったように演じられることになる。

「秘蔵っ子」小沢のこうした意外な“開花”を、田中角栄は再起不能の病の中でどう見、聞いたのだろうか。
(文中敬称略/この項つづく)

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小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材49年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。

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