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球界因縁のライバル(20) 長嶋VS川上(下)

 V9巨人監督・川上氏の読売から朝日へのアプローチという方向転換は球界関係者を驚かせた。勇退後の巨人でのお飾り的な専務取締役にあきたらず退団。少年野球指導などアマ球界にかかわる仕事をするのならば、朝日新聞とのパイプが重要になるという判断だろう。テレビも日本テレビでなく、NHKを選択しているのも同じ理由だろう。選抜、夏の甲子園大会を中継するなど、NHKは高野連との関係は密接だ。

 こうして、一度は読売に背を向けだした川上氏だが、完全には手を切っていない。「川上さんは汚い。自分にとって必要な物は二股をかけても平気でいる。読売との縁も完全には切らず、朝日新聞とも新しいコネクションを作る。権力指向型の典型で、信用できない」。長嶋派の球界関係者はこう怒った。
 川上氏の少年野球教室にも良からぬ噂がついて回った。「少年野球を指導と言いながら、夜には必ず宴席がセットになっている。ギャラは高いし、車はNHKが送り迎えだしね」と。
 そうして、実際に起こった長嶋監督解任劇は、まさにドン川上氏の面目躍如だろう。監督時代には財界の大物がメンバーの『無名会』という川上支援団体があり、その中心人物が当時の読売新聞の最高権力者の務台光雄社長とホットラインを持っていた。「川上さんは無名会の中心人物を通じて、務台さんに対し、『長嶋が監督では勝てない』と吹き込み、長嶋解任事件を仕組んでいった」。長嶋人脈の球界関係者がこう断言する。

 10・21解任事件以後、川上VS長嶋の確執は巨人OB会を真っ二つに分裂させる恐れまであった。長嶋監督の後任が当然のごとく? 川上派の中核の藤田新監督だっただけに、長嶋支援のOBたちの怒りがおさまらなかったからだ。その最中の巨人軍OB会長人事は注目された。
 就任したのは、全く中立の人物で、プロ野球界三冠王第1号の中島治康氏だった。1943年に巨人監督まで務めたが、晩年はプロ野球界に嫌気がさし、大学野球の評論をしていたという、後輩に慕われる『班長さん』の愛称のある公正無比なOBだった。そういう人物でなければ、巨人OB会は分裂していただろう。そして、その後、川上氏も長嶋氏もOB会長に就任することはなかっただろう。
 天敵だった川上氏VS長嶋氏だが、現在は広岡氏VS森氏のような完全冷戦の状態ではない。ドンと呼ばれた川上氏には以前のような威光がないからだろう。読売が長嶋監督を復帰させたナベツネこと渡辺恒雄体制になってから、川上氏は巨人軍の監督人事どころか、いっさい口出しできない状態になっている。「OB会が巨人軍の監督人事に介入するなどもってのほかだ」と渡辺球団会長が一線を画したからだ。
 一方の長嶋氏は「巨人軍専務取締役・終身名誉監督」の立場にある。かつての川上氏と同じ「専務取締役」でも長嶋氏には、ゼネラルマネージャーとして現場人事に介入しようとする野望はない。
 川上氏が年に1回、読売関係の仕事で公の場に登場してくるのは、元V9巨人の監督として、正力松太郎賞の選考委員長としてだけだ。「毎年のプロ野球界で最も貢献のあった競技者(監督、コーチ、選手、審判)に授与される」という正力賞だが、ONシリーズを制した長嶋監督には贈られず、松井秀喜が選ばれた。川上氏のせめてもの抵抗だったのか。

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