この学校は1975年に横浜放送映画専門学院として開校し、1980年代の卒業生には、ウッチャンナンチャン、出川哲朗らがいる。さらに、1985年に日本映画学校となって以降もバカリズム、狩野英孝、古坂大魔王、ニッチェなど、コンスタントに活躍する芸人を生み出している。なぜ、この学校はお笑いに強いのか。
日本映画学校には、映画製作の技術を学ぶ映像科と俳優科が存在した。俳優科の授業では、内海桂子・好江を講師に招いての漫才の授業があったのだ。内海桂子はナイツの師匠としても知られる芸歴80年を超えるベテラン芸人であるが、当時は妹弟子の好江とコンビを組んでいた。彼女らの目に叶ったコンビは、その場でスカウトされ、コンビの所属事務所であったマセキ芸能社を紹介された。ウンナンのお笑い適性を見抜いたのは好江の方だったと言われる。
漫才の授業は専門学校のカリキュラムの一貫として行われていた。そのため、その場でたまたま組んだコンビが目立つこともあった。現在はピンで活躍するバカリズムも、かつて組んでいたコンビは漫才授業から生まれたものだった。そのため相方から解散を切りだされた時には未練を感じず、あっさりと了承してしまったという。もともと、ドライな関係だったのだ。
さらに、ニッチェの2人はもともと女優志望だったものの、学校のスタッフから「お前らは女優は無理だからお笑いに行け」と学校のスタッフからアドバイスを受けた。当初はフリーで活躍するものの、現在は学校とも縁のあるマセキ芸能社所属となっている。
80年代から90年代に掛けては、現在のようにどこの事務所にもお笑い養成所がある時代ではなかった。芸人を目指すにあたり専門学校へ行く選択肢もあったと言えるだろう。