押尾氏は自らの白髪について「染めたわけではなく壮絶な体験で自然に白くなった」と語り、広告系の会社を経営するも軌道に乗ったところで後輩に2000万円を持ち逃げされたというエピソードを告白し、波乱の人生は続いていたという。
押尾氏は、2005年放送のTBS系連続ドラマ「夢で逢いましょう」での共演がきっかけで女優・矢田亜希子と交際に発展。当時、清純派の人気女優として一目置かれていた矢田に対し、“札付きのワル”で知られた押尾氏。この交際は、矢田のイメージを低下させていった。
「2005年末に2人は、ハワイ・マウイ島での濃厚なバカンスを『女性セブン』(小学館)に激写され、プールで黒のビキニ姿の矢田が押尾氏の背中と左腕にある“彫り物”部分にオイルを塗るショットが騒然とさせました。さらに、帰国後の成田空港では左手薬指に指輪を光らせ手をつなぎ、2人とも仏頂面で無言の姿勢を貫いていたのです。また、押し寄せたマスコミにガムをかみながら押尾氏が怒号する一幕もあり、その影響で矢田が好奇の目で見られることにもなりました」(芸能ライター)
その年の2006年11月、矢田は周囲の反対を押し切り、押尾氏と結婚。翌07年11月には長男を出産し、幸せな家庭を築き上げていると思われていたが、間もなく崩壊することとなる。
2009年8月、合成麻薬の一種「MDMA」を使用したとする麻薬取締法違反容疑で押尾氏が逮捕された。逮捕前日、押尾氏は東京・六本木ヒルズのマンションの一室で愛人関係にあったホステスとMDMAを服用し情事にふけっていた。女性は禁断症状を起こして死亡したが、押尾氏は自己保身のためにその場を逃走し、おまけに証拠隠滅まで図ったとされた。この行為は保護責任者遺棄致死罪にあたり、麻薬取締法違反と合わせ押尾氏には懲役3年6月の実刑が確定。
「すでに別居をしていたという夫婦でしたが、矢田はこれを受けすぐさま離婚。メディアの格好の餌食となった矢田は、息子の将来を考え名前を改名したといいます。また、刑務所行きになった押尾氏は、以前からの“ビッグマウス”がクローズアップされ、その物言いが『押尾語録』としてネット上を賑わせました。バッシングはやむを得ませんが、そのたびに矢田までが叩かれ、離婚後も人気は低迷する一方でした」(芸能関係者)
出所後の2016年3月、週刊誌「週刊新潮」(新潮社)のインタビューに応じた押尾氏は、矢田へ手紙を書いたが返事もなければ、会ってもいないことを語っている。
「現状について押尾は、『今の僕は必死にもがいている最中』『毎日しんどい。お金のやりくりも、恥ずかしい話なんですが腕時計などを売ってなんとかしのいでいます』などとらしからぬ弱気な発言が印象的でした」(芸能ライター)
事件については、「いろんな人が関わっていました。その中には、今でもニコニコ笑ってテレビに出ている人もいます」と暴露。結果、自身を慕っていた人間たちからも「押尾がやった」と売られたというが、今さら関わった人間を暴露する意思はなし。しかし、「一生、忘れることはできない」と恨み節を交えた。そして、5年後の42歳までに俳優、ミュージシャンとしての“再起”を目指していると語っていた。
今年47歳を迎えた押尾氏。目標としていた42歳から5年がたち、現在は新しいパートナーの女性と家庭を築いていることが押尾氏のインスタグラムからうかがえる。今後、子どもの親としてしっかりと役目を果たしてほしいものである。

