「今の状況をひと言でいうならば、第2波の真っ只中にいると認識している。クラスター(集団感染)などによる急激な陽性患者の増加に対応していくために、感染者の行動歴、濃厚接触者、関係施設を徹底的に調査していく。濃厚接触者全員にPCR検査をお願いして、封じ込めのために全力を尽くす」
北橋健治市長は新型コロナ第2波への警戒感をあらわにした(5月29日)。
北九州市では4月30日から23日連続で新規感染者は確認されていなかっただけに、第2波のショックは計り知れない。
「すでに市中感染が広がっている可能性もある」(医療関係者)とみる向きもある。北海道、東京、神奈川なども連日感染者が確認されている。感染経路不明のことと併せ、不安な生活を送っているに違いない。
インフルエンザの達人と呼ばれる医師で作家の外岡立人氏が第2波について警鐘を鳴らす。
「スペイン風邪(1918年パンデミック)は、第1波の致死率が1%だったのに対し、第2波は5%に上昇しました。アラスカの土中から掘り起こした第2波の死者からウイルスを復元した結果、第2波は病原性がより凶暴に変異したことが分かっている。一般的に最初のパンデミックになった時はみんな免疫を持っていないから混乱する。体の弱い人は感染するが、家から出ないなどの個人でできる対策を講じているうちに、いったんは終息してしまう。しかし、寒くなると終息したものがまた流行りだす。国民はもう終わったものと勘違いし無防備になる。一方、ウイルスは変異を繰り返して強毒化する。結果、甚大な被害を出すのです」
感染症の歴史を振り返ると、そのことが一目瞭然だ。パンデミックの一つ、香港インフルエンザは中国雲南省に端を発し、1968年6月に香港で爆発的に流行した。同年8月には台湾、シンガポール、その他の東南アジア諸国へ広がり、9月に日本、オーストラリア、そして12月に米国でピークを迎えた。
「香港インフルエンザは4000万人の犠牲者を出したスペイン風邪より、症状は軽微です。パンデミックになった1968年〜’69年にかけて、世界で100万人が死亡したとされる。今では季節性インフルエンザとして入れ代わり立ち代わり流行しています。発熱、呼吸器症状、全身倦怠などの激しい症状があり、同じく季節性のインフルエンザとなったブタ由来のインフルエンザと比較すると、症状は重篤ですね」(外岡氏)
何しろ、流行当初は香港のバスが営業停止、行政官庁で半数以上の職員が欠勤するなど都市機能が麻痺していると報道されたが、致死率そのものは低かった。
★隠れ潜む不活性化ウイルス
日本に香港インフルエンザウイルスがもたらされたのは、香港を経由して名古屋港に入港した船舶の乗組員が感染していたことが発端になっている。しかし、’69年〜’70年にかけての第2波の流行はかなり激烈で、死者1000人を数えた。
「インフルの場合、通常流行するウイルス株はこれまで流行した株か、軽度の変異株です。流行した株に対しては、我々は免疫を獲得していて、ある程度の抗体を保有している。こうした株が流行した場合、発病する人の数は少なく発病しても症状は軽い。しかし、ある程度、変異した株だと、我々の持っている抗体は効果を発揮できないため、発病の数は多くなり症状も重くなるのです」(外岡氏)
前述したように、香港インフルエンザは現在も季節性インフルエンザとして毎年流行し、連続的な抗原変異を繰り返している。何と、発生から半世紀以上にわたって人類に猛威を振るい続けているのである。
実を言えば、香港インフルエンザの11年前にパンデミックになったインフルエンザがある。1957年に始まったアジア・インフルエンザだ。
「スペイン・インフルエンザより若干軽症のウイルスによって起こったと考えられ、世界で約500万人が死亡している」(外岡氏)
アジア・インフルエンザがパンデミックになった頃は医学の進歩もあり、インフルエンザウイルスに関する知見は急速に進歩していた。季節性インフルエンザに対するワクチンも開発され、細菌性肺炎を治療する抗生物質も利用可能だったという。
最後に外岡氏が語る。
「新型コロナウイルスは体内でどのように消えて行くのかまだ不明です。獲得されてきた免疫の力でウイルスは死に、排除されるのか、それとも、中には免疫学的聖域に隠れ潜んでしまうのか分かっていない。隠れ潜んだ不活化されているウイルスが再び活性化して、再発、または周辺への感染を起こしだすと、流行が収束したのか、再流行したのか区別がつかなくなります。中国では、治癒者の14%がしばらく経ってから陽性になったとの報告が出ている。日本でも陰性を確認してクルーズ船(ダイヤモンド・プリンセス号)から下船し、母国へ帰った人々の中には再発した事例も起きています」
まだ謎の部分が多い新型コロナは、人類にどのような爪痕を残すのか。