そんな一発屋通りが最盛期を迎えたのが1980年代から90年代にかけてで、それぞれのちょんの間には常時、5人から10人の若い女性がいたそうだ。気に入った女性を見つけた客は、店の2階か近くにあったホテルでことに及んだという。
私は10年ほど前に、一発屋通りに行ったことがある。しかし、当時、ほとんどの店は潰され、かろうじて2軒の店が営業しているだけで、あとは空き地となっていた。
店はおでん屋や小料理屋を装っていて、入った店の中には、角型のおでん鍋が置かれてはいたものの、中は空っぽだった。当然ながら、店のママは料理の注文など取らず、「遊んでいくか?」と尋ねてきたのだった。当時、すでに若い女性の影はどこにもなかった。
そうした店は現在、跡形もなく消え、どこにも面影は残っていない。
今回、私が話を聞いた46歳の真理子は、その一発屋通りにいた女性である。彼女はロングヘアの黒い髪を持ち、色白で、体型はほっそりとしている。
真理子は現在、東京で暮らしている。その理由は後ほどつづるが、まず一発屋で働き出した理由を聞いた。
「私は北海道出身で、地元の高校を卒業して、とりあえず札幌に出ました。ススキノのキャバクラで働き始めたんです。そして、店のボーイに気の合う男の子がいて、付き合うようになりました。彼が函館の出身で、地元に戻ることになって、私もついていったんです。しばらくして、その彼とは別れたんですけど、函館の街が気に入り、1人で暮らし始めました。その時に、スカウトされたんです」
スカウトと聞けば、繁華街で声を掛けられたと思うが、真理子が声を掛けられたのは、なんと銭湯だった。
「当時、風呂なしのアパートに住んでいて、毎日銭湯に通っていたんです。そうしたら、ある日、たまたま銭湯に来ていたおばさんに声を掛けられて、『男の人を相手にする仕事がある』と言われたんです。そのおばさんはそんなに悪い人ではなさそうだったので、働いてみることにしました」
客は、毎日ついたという。年齢は20歳の頃のことだ。
それから10年以上働いたが、真理子をスカウトしてくれたおばさんが店を閉めると言い出したので、彼女も風俗から足を洗うことにした。
「私は無駄遣いをしなかったので、現金でマンションを買って、ほかに3000万円ぐらい貯金することができました。私の家は母子家庭だったので、母親に仕送りしたりするぐらいしかお金は使いませんでした」
結婚歴がなく、現在も独り身の真理子。風俗からきっぱり足を洗った後は、温泉旅館の仲居に転身した。
「人と話したりするのがあまり苦にならないので、向いていたんだと思います。旅館でも10年ぐらい働きました。そのまま働いていてもよかったんですけど、あることがきっかけで辞めたんです」
あることとは、母親と一緒に出かけた時に起こった。
「お客さんと街で会ってしまったんです。仕事を辞めて1年ぐらい経った頃、母親に中古車を買ってあげようと、評判のいい中古車屋さんに行ったんです。そこで応対してくれたのが、ちょんの間で働いていた時によく来てくれたお客さんだったんです」
まさか、会うとは思っていなかった真理子は、激しく動揺したという。
「母親と一緒でしたし、びっくりしましたけど、表情にも出せないし、お久しぶり、なんて言うわけにもいかないじゃないですか。向こうも気付いていたはずですけど、初対面のふりをしました。車は気に入ったんですけど、その店で買うと住所や名前もバレちゃうから、話だけ聞いて帰りました。後で、その店のことを調べたら、その人が社長でした。お客としても丁寧な人だったので、店の評判がいいのには納得しましたね」
その出来事の後、彼女の心の中に、小さな不安が芽生えた。
「旅館で働いている時はそんなことはなかったので、昔のお客さんと会うなんて想像していませんでした。車屋さんの社長さんに会ってから、また誰かに会うんじゃないかと思うようになったんです。何だかんだ言って、函館は小さな町なので、いつかは人に知られてしまうと思って、東京に出てきました。東京だったら見知らぬ人しかいませんし、気が楽になりました」
それでも、風俗で働いたという過去は、いつまでも彼女について回る。東京で誰にも会わないという保障はない。
「そうですよね。万が一、生活圏の中で誰かに会っちゃったら、またどこかに引っ越すと思います」
風俗で働いた過去を、さらけ出すことを厭わない女性もいるが、真理子のように後ろめたさを引きずっていく女性の方が大多数を占めるのではないか。
堅実に貯金をし、今のところ何不自由ない生活を送っているようにも見える真理子。しかし、改めて、風俗で働くということは、その後の人生に重くのしかかってくるということを思い知らされた。