「吉野さんの証言通りなら『これは無罪を主張する事件ですよ』と話しました」
しかし、序盤の戦況は吉野氏に不利だった。弁護側が再三開示を求めた事件現場が映っている防犯ビデオが、いつまでたっても出てこない。「コンセントが外れていた」「データが消去された」など、証拠調べや証言を決める公判前整理手続き(計10回行ったという)で、検察側は子どものような言い分を繰り返した。
裁判の争点は
(1)吉野氏が殴った回数
(2)吉野氏の暴行と、男の死亡との因果関係
(3)正当防衛の成否
「男の持病や酒癖など、正当防衛を主張する上で有効な材料を集めました。正当防衛というのは、相手が死亡していても無罪だと主張することです。そのためには、『向こうが悪い』、『自分がそんな目に遭ったら自分でも殴り返す』というように、裁判員の人に思ってもらわないといけないのです」(前出の趙弁護士)
(2)については、男の拳が吉野氏を殴ってパンパンに腫れ、骨まで折れていたという。最後の公判で、もう一人の担当、高野隆弁護士が法廷で話した。
「最後の最後、男が大きく振りかぶってきたとき、吉野さんはパンチを出しました。相手のパンチよりも先に当たりましたが、もしもこれが正当防衛でなければ、正当防衛など無くしてしまえばいいでしょう」
吉野氏がかつて暴走族『松戸SPECTER』の総長をしており、検察側はこれらを利用して悪印象をつけようと躍起になっていたが、吉野氏らは動じなかった。かくして無罪判決が下り、検察が描くストーリーは打ち砕かれた。
吉野氏は著書『無罪〜裁判員裁判、372日の闘争〜その日〜』(竹書房刊)の中で、こう述べている。
「逮捕され間違った報道によって失った信用は、無罪と認められた今でも完全に回復していません。今の日本の風潮として、留置場などに入ることは、イコール犯罪者であると認定されるのです」
裁判員裁判への移行により、凶悪犯罪に対する厳罰化の傾向が見られる一方、裁判官だけによる裁判と比較して、無罪判決の割合が増えたわけではない。しかし、誰もがこのような事件に巻き込まれる可能性があることを、意識しなければならないだろう。