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ドミニカ選手争奪戦とカープアカデミーの現状 ロサリオはなぜ広島で活躍できたのか

 ドミニカのアカデミー出身で、今季から広島カープにやってきたライネル・ロサリオ(25)はドミニカで“希望の星”と崇められている。
 「一時はアカデミー閉鎖の噂も流れていました。2012年は4人しか生徒がいなくて…」(関係者)

 広島カープは1990年にドミニカ共和国で野球学校『カープアカデミー』を開設した。27万平方メートルの広大な敷地にグラウンド4面を備えた本格的な育成施設で、準備資金を含むと約6億円が投じられた。
 「当時の日本プロ野球界はクロマティ、ホーナー、フィルダーなどといった現役メジャーリーガーと契約する時代です。その前はピークを過ぎたロートルばかりでしたが、現役メジャーリーガーと契約するにはそれ相応の年俸を提示しなければならない。かといって、変化球の多い日本球界で必ず活躍する保障もなく、どの球団も外国人選手の獲得をギャンブルのように捉えていました」(プロ野球解説者)

 マイナーから無名選手を発掘するやり方もあったが、当時の広島は「だったら、自分たちで育てる!」と決断したのである。
 三冠王を2度獲得し、当時最強の助っ人の名を欲しいままにしたランディ・バースは、日本を去る直前の88年の推定年俸が1億6500万円。アカデミーの開校資金はバース4年分にあたるが、広島は「近々に元手を返せる」と勝算を感じていたという。95年に同アカデミー出身のチェコが15勝をマーク。のちにヤンキースなどで活躍するソリアーノはカープで目立った成績は残さなかったものの、移籍金を残していった。
 「現在はドミニカ共和国にメジャー28球団のアカデミーが経営されています」(前出関係者)

 関係者によれば、現地では有望な逸材が見つかると、日本円で1億円強の支度金が用意され、争奪戦になるという。MLBが進出してきたことによる過当競争によって、アカデミー同士のマネーゲームが起きるようになった。そんな状況でカープアカデミーが対抗する術はなく、衰退の一途を辿っていた。そんな危機的状況にあったとき、偶然にカープアカデミーの門戸を叩いたのがロサリオだった。
 「カージナルス2Aを解雇され、他に行き場がなかったんです。近年、ドミニカの各アカデミーは投手教育に特化していたので、ロサリオの台頭はメジャー関係者を驚かせました。当然、カープアカデミーの育成力も見直されました」(同)

 ロサリオは今季の春季キャンプからチームに加入。最盛期には30人強の生徒を抱えたカープアカデミーだったが、アカデミー出身者が合流したのは、実に9年ぶりのこと。それだけに、ロサリオはアカデミーの希望の星そのものだった。支度金が用意されない無名選手に、それに投手ではなく野手でのメジャーリーグ昇格を夢見る若者にも衝撃を与えた。
 「ロサリオの活躍はドミニカでも伝えられています」(同)

 アカデミーの存続が危機的状況にあった12年、松田元オーナーも現地入りし、「メジャーのアカデミーが投手教育に特化するのなら、ウチは野手で」と、方向転換を決断したそうだ。ある意味、ロサリオはオーナーの決断がなければ誕生しなかった選手ともいえる。本塁打タイトルのほぼ確定したエルドレッド以上に、カープのフロントはロサリオへ熱い視線を送っている。

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