「Jリーグ20周年で『設立当初は大変だったでしょ』と言われますけど、組織としては、そんなに大変じゃなかったです。むしろ楽でした。第一に、あの頃はバブルの真っただ中でしょ。大企業のスポンサーも付いて、その勢いで立ち上がった部分がありましたからね。それにチーム数も少なかったから、本拠地の問題もちょうど良い加減でスタートが切れました」
世間の注目度も非常に高かったですからね。
「期待と物珍しさも手伝って、私が監督を務めたガンバ(大阪)も、ホームの万博スタジアムがいつもいっぱい。何もしなくてもお客さんがスタジアムに来てくれました(笑)。会社としては楽でしたよね。ただし、現場のクラブの方はというと、しんどい部分もありました。プロ化したとはいうけれど、それは組織の問題。個々の選手は、技術もメンタルも『それでもプロか!』と言いたくなるような人間がどれほどいたことか。ま、先例の無い中で、それまでアマチュアだったのがいきなりプロになったんですから、無理もない話ではあります」
そんな情けない状態も、20年の流れの中で洗練、淘汰されてきました。これはもう歴史の重みですね。地域に密着したクラブチームの育成というJリーグの理念。その現状を、どのように見ていますか。
「クラブの数もJ1・J2合わせて40まで増えましたから、これはもう成功でしょう。でも、“地域密着”のJの理念が広がったとは思いますが、それが根付いたかと言われれば、そうとは言えない部分もある。たとえば、今は残念ながらJ2に落ちてしまった『ガンバ』ですが、それでも地方に行けば、そこのホームのクラブより客が入る。ホームとアウェーが逆なんです。ホームのクラブが地域に完全に根付いているのであれば、そんなことにはならない。この辺りは今後の課題です。『ガンバ』にも、全国にサポーターがいることを意気に感じてJ1に復帰してほしいですね」
「ガンバ」といえば監督時代、主力選手との確執もあったと聞いていますが?
「(語気を強め)そんなことありませんよ。主力選手ではなく、主力選手にくっ付いている人たちとの確執はあったでしょう。プロになりたてで、さあこれから、という選手を必要以上にタレント扱いする人たちがいましてね。彼らとはやりあいました。チームのためにも、選手のためにもならないことがハッキリしていましたから」
Jリーグのクラブ収入は今、どこも伸び悩んでいるようですが、その点についてはどう思われますか。
「それは仕方のないところもあります。まず、試合数が少ない。スタジアムの定員が、一部を除いてだいたい2万人まででしょう。大きな会場でも満員になるのは年に数試合ぐらいじゃないですか? そうなると、年間でも観客動員は1チーム34万人ぐらいです。その数字がベースになるんですから、やはり限度があります。今、Jのクラブで入場料、広告料、グッズ収入だけで運営できるところは皆無でしょ。補填してくれるスポンサー企業があるから成り立っている。チームの力だけでどこまでやれるかは、日本のサッカーが文化たり得るかという問題にも関わってきますから、なんとか頑張ってほしいんですけどね」
今の状況を打破するには、具体的にどのような方法が挙げられるでしょうか。
「スター選手や魅力的なクラブ作りも大切ですが、僕はクラブを今以上に地方に分散させるべきだと思っています。以前に比べると地方のクラブが増えていますが、それでもまだまだ特定の地域に集中している現状は、やはり改善の余地があります。そうなれば、Jの理念がより深まって、新たな展開が生まれてくるんじゃないでしょうか。香川真司のマンUみたいに、7万人のサポーターが詰めかけているのを見ていると、つくづくそう思いますね」
さらなる現場の努力も必要でしょうか。
「スター選手という点では、指導者にもっと選手を見る目がほしい。ガンバに関わった身として今でも残念に思うのは、本田圭佑ですね。せっかくガンバ大阪ジュニアユースに所属していながら、その素質が見抜けずにユースチームに上げず、高校に行かせてしまった。惜しいことでしたが、見る目がなかったんだから仕方がありません」
今の日本のサッカー界は、有力選手の海外流出が後を絶たないという問題もあります。
「移籍金制度が無くなり、力のある選手は誰でも簡単に海外に行けるようになりましたからね。移籍金がゼロでいいなんていうのは日本ぐらいのもの。それに、Jリーグも今は単年契約が基本でしょ。だから契約が切れたら、移籍金なしでどこへでも行ける。それはちょっとまずいんじゃないですか。プロなんですから、日本のクラブも選手の能力にふさわしい移籍金を確保すべき。その資金がクラブの運営にもプラスになるんです。有力選手が海外に行ったことで、日本代表レギュラーのJ所属選手は、遠藤、今野、前田以下、数えるほどです。これではJリーグが低調になるのも仕方ない」