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昭和の大横綱・大鵬死去 栄光の裏に隠された引退後の悲しき半生(2)

 現役時代のライバルに横綱佐田の山(出羽海部屋)がいた。横綱としての実績では大鵬に遥かに及ばないものの、名門出羽海一門の将来の領袖として嘱望された。そのため、それまで名声を欲しいままにした大鵬は、理事長レースでも辛酸を舐めることになる。
 「大鵬と佐田の山の2人は現役時代から競い合いましたが、遅れて横綱に昇進した佐田の山が先に引退し、親方として経験を積んで着々と実績を残した。大鵬は器は大きいにもかかわらず、理事長になれなかった。原因は脳梗塞を患ったこともありますが、当時の春日野理事長(元横綱栃錦)が二子山(元横綱初代若乃花)に理事長職を禅譲する際、“次は出羽海に”という約束を交わしたからだといわれています」(スポーツ紙記者)

 大鵬は夫人との間に3人の娘をもうける。そして、三女が二子山部屋の元関脇貴闘力と結婚。'05年の定年退職後は貴闘力に部屋を譲ったが、一代年寄であったため、もともと持っていた『大嶽』部屋として大鵬部屋を継承した。しかし、貴闘力改め大嶽親方は大の博打好き。'10年、野球賭博事件では大関琴光喜とともに、相撲協会を解雇されてしまったことは記憶に新しい。その後、大嶽親方は三女とも離婚。『大嶽部屋』は、大鵬親方の直弟子で部屋付親方の元十両大竜が継承した。
 「大嶽さんは、角界追放後も『オレの博打好きは病気みたいなものだから』と、ギャンブル三昧。しかし、その一方で、東日本大震災後は被災地に炊き出しなどのボランティアに出掛けていた。実は大鵬さんも夫人とともに都内の街頭で募金を呼びかけたり、積極的に活動していました。大嶽さんのボランティア活動にもいたく感激していたんですよ」(相撲関係者)

 亡くなる前、大鵬は枕元に駆け付けた元大嶽親方に対して、「いつでも戻ってきていいんだよ」と語りかけていたといわれる。そして、最期まで相撲への思いも途絶えることがなかった。
 「大鵬さんは大相撲改革に熱心で、現役力士では白鵬がとても慕っていました。『白鵬』は柏戸の『柏』と大鵬の『鵬』を取ってつけた四股名。非常に色白だったことから『柏』は“白”の字になりましたが、四股名の意味は両者を合わせたような硬軟自在の相撲が取れる力士になることです」(同)

 その願い通り、白鵬は攻めてよし、守ってよしの強豪力士に成長した。ベテラン相撲記者も言う。
 「親方衆の中では守旧派の理事ではなく、改革派の中心である貴乃花親方に肩入れしていました。3年前の理事選で貴乃花親方が理事になれたのも、大鵬さんが後見人になったからです」

 大相撲の頂点に立った大鵬の血を継ぐ孫が、もし相撲界にデビューしたら、どうだろう。
 実はこの孫が、高校相撲の名門、埼玉栄高校相撲部で稽古に励んでいる。
 「大鵬さんの孫は4人いますが、その1人、納屋幸林(たかもり)君は、さいたま市内の学校に通う中学生です。ところが、同級生では相手にならず栄高校に出稽古して精進しています。幸林君は大鵬さんの体型そっくりで、胴長で懐が深く手が長い。どっしりとした安定感あるお尻は、お爺ちゃんを彷彿とさせます。大鵬さんはこの孫をとても可愛がり、『うちの幸林は白鵬以上の逸材だ!』と自慢していたほどです」(前出・スポーツ紙記者)

 外国人力士に席巻された土俵が再び沸くかどうかは、日本人力士の出現次第。波乱の人生を送った昭和の大横綱も、自分の孫が大相撲人気復活の牽引者となれば、草場の陰で男泣きすることだろう。

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