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アイドル 2016年01月25日 11時20分
AKB48の10周年記念シングルのセンターはHKT48・宮脇咲良
アイドルグループ、AKB48の43枚目のシングルのセンターをHKT48の宮脇咲良が担当することが、24日にTOKYO DOME CITY HALLで行われた「AKB48グループ リクエストアワーセットリストベスト100」で発表された。 同シングルのタイトルは「君はメロディー」。3月9日発売でAKB48の10周年記念シングルということで、前田敦子や大島優子ら卒業生も参加する。今回、AKB48ではじめての単独センターとなる宮脇は、「今でもこのシングルのセンターに選ばれたことが信じられないです。前田(敦子)さんや、大島(優子)さんに挟まれるポジションはプレッシャーですが、いわばドリームチームみたいなメンバーによる10周年記念シングルなので、まずは楽しむという気持ちで臨みたいです」とコメントしている。
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アイドル 2016年01月25日 10時51分
騒動のおかげでがっぽり稼ぐSMAP
分裂・解散騒動を回避した、ジャニーズ事務所のアイドルグループ・SMAPの03年3月の大ヒット曲「世界に一つだけの花(シングル・ヴァージョン)」が、オリコンの1月22日付デイリーシングルランキングで1位を獲得。分裂・解散を望まないファンの購買運動が巻き起こったこともあり、発売から12年10か月にして異例の1位獲得となった。 同曲は今月13日に一部スポーツ紙が「SMAP独立・解散」を報じた翌1月14日付デイリーシングルランキングで圏外からいきなり9位に急浮上。各店舗で在庫切れを起こし、1月25日付の週間ランキングでは75位にランクインした。同作のシングルTOP100入りは、06年1月30日付で86位を記録して以来10年ぶりとなった。 その後もファンの間で購買運動が拡大。同19日付は19位、同20日付は3位、同21日付は2位と推移し、そしてついに22日付で1位となった。 「20日にNEWSが新曲『ヒカリノシズク/Touch』を発売。発売以来、デイリー1位だったが、22日は1位がSMAPで2位がNEWS。おまけに、売り上げはSMAPが1万3000枚ほどで、NEWSがその半数ほどにとどまった。SMAPのファン層はメンバーたちと同じ年代が多いので、それなりに金を持っている。1人で複数枚購入したファンも大勢いるだろう」(レコード会社関係者) 今年デビュー25周年を迎えたSMAP。今後、アニバーサリー全国ツアーが開催されるものと思われるが、開催されればジャニーズ事務所にとって莫大な収益をあげることになりそうだが、それ以外の収益も大きいようだ。 「人数は公表されていないが、ファンクラブの会員数は100万ほどだというが、今回の騒動をきっかけに急増しそう。ファンクラブの入会金は1000円で年会費は4000円。年会費だけでも40億円で解散すればそれがパーだった」(芸能記者) ジャニーズが必死に分裂・解散を阻止したのも納得だ。
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芸能 2016年01月25日 10時40分
石井杏奈、震災モチーフの主演映画に感慨「神戸や福島とはじめてきちんと向き合えた」
E-girlsの石井杏奈が23日、都内で行われた主演映画『LIVE!LOVE!SING! 生きて愛して 歌うこと 劇場版』の初日舞台あいさつに共演者の渡辺大知(黒猫チェルシー)、前田航基、柾木玲弥、メガホンをとった井上剛監督と出席した。 NHK 連続テレビ小説「あまちゃん」の井上監督が、神戸と福島の震災をモチーフに思春期の男女の姿を描いた本作。昨年、NHKでドラマとして放送され、本劇場版はそのドラマ版に未公開場面を追加して再編集したもの。 石井は「ドラマとは少し違った映画版がようやく劇場公開できるということで、たくさんの方にこの作品を見てほしいです」と切り出すと、「作品の中に心にしみる言葉がたくさん。わたしたちのセリフにもぜひ注目してほしいです」と本作をアピール。 震災がモチーフとなっていることもあり、出演陣の思いも特別なものがあるのか、石井が「わたしは学生で(被災地の様々な)現実を知らないでずっといました。今の神戸や福島とはじめてきちんと向き合えた作品でもあり、わたしが感じたことと同じような気持ちをみなさんにも感じてほしい」と述べると、柾木も「福島や神戸に行って本当の景色を撮って来た」と力を込め、「見所は言葉。台本とは違う、その場その場で僕らが自然に発したリアルな言葉にきっと共感してもらえると思います。ぜひ注目してください」としみじみ。 前田も「テレビで映せなかったところもたくさんあり、内容も深くなっています」とコメントすると「撮影中、現地の方が生きる力を持って、前を向いているのを感じました。僕らにも明るく接してくれたのですが、その笑顔に隠れて流された涙だったりとか、みなさんが抱えている様々な問題を映画が進んでいく中でみなさんにも理解していただけると思います。そういった部分にぜひ注目してほしい」と発言。 井上監督も「これから100分。今本当に彼らが生き生きとどんなにもがいたかと言うことを一緒になって体感してもらえれば。彼ら一人一人が、すごく熱演しています。演技にも注目してほしい」と呼びかけていた。(取材・文:名鹿祥史)
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レジャー 2016年01月25日 09時00分
【第57回アメリカJCC】ディサイファ横綱相撲で完勝
競馬の「第57回アメリカJCC」(GII・芝2200メートル、24日中山競馬場16頭)は、最後の直線200メートルを過ぎて先頭に立った単勝2番人気のディサイファ(57キロ武豊騎手)が、そのまま押し切る横綱相撲で完勝。4度目の重賞制覇を達成した。2分12秒0。2着スーパームーン(56キロC.ルメール騎手、単勝3番人気)1馬身1/4。3着ショウナンバッハ(56キロ戸崎圭太騎手、単勝7番人気)クビ。単勝1番人気を集めたサトノラーゼン(56キロF.ベリー騎手)は10着惨敗に終わった。 ディサイファは父ディープインパクト、母ミズナの牡7歳馬(鹿毛)。馬主はH.H.シェイク・モハメド。戦績=33戦9勝。主な勝ち鞍=重賞4勝目(14年エプソムカップ、15年中日新聞杯、15年札幌記念)。武豊騎手、小島太調教師とも初勝利。「配当」単勝(3)500円複勝(3)180円(11)220円(7)310円枠連(2)(6)1750円ワイド(3)(11)740円(3)(7)1260円(7)(11)1210円馬連(3)(11)1800円馬単(3)(11)3360円3連複(3)(7)(11)6350円3連単(3)(11)(7)3万540円*レース結果については、必ずJRA公式発表でご確認ください。
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芸能ネタ 2016年01月24日 19時00分
SMAP馬券「オリジナルスマイル」 大穴期待も残念12着
SMAPの13枚目のシングル「オリジナルスマイル」と同名の競走馬が24日、京都9R「睦月賞」(芝2400)に出走。競馬ファンの間では密かな話題となっていたが、結果は残念ながら12着に終わった。 芸能界のみならず、世間でも大きな話題を呼んでいる「SMAPの解散&分裂」騒動。ファンの間ではSMAP存続を後押しすべく、グループ最大ヒット曲「世界に一つだけの花」の購買運動がスタート。売り上げ300万枚を目指すという運動で、1月22日付のオリコン「デイリーランキング」で、見事1位を獲得。改めてSMAPファンの力を知らしめた。 さて、競走馬の「オリジナルスマイル」はというと、現在6歳セン馬。通算成績は14戦3勝。父親はメイショウサムソン、母親はエミーズスマイルという血統。同レースでは5枠7番での出走で騎手はマクドノー。単勝オッズは80.4倍の12番人気で大穴だった(14頭中)。 ネット上では「SMAP馬券 とりあえず買っとく」「一応抑えておこう」「SMAP解散しないように買うのはどうだろう?」「単勝高いから大穴狙いで」と“SMAP”騒動に乗っかり、馬券を買うファンも出現。5レースぶりの1着を目指した「オリジナルスマイル」だったが、残念ながら12着でフィニッシュ。 今回はSMAPのように這い上がることができなかった「オリジナルスマイル」。しかし、「SMAP完全復活」に合わせて、大化けするかもしれない!?
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社会 2016年01月24日 15時00分
人が動く! 人を動かす! 「田中角栄」侠(おとこ)の処世 第3回
田中角栄は二田尋常高等小学校(現・柏崎市立二田小学校)で、開闢以来の秀才であった。尋常科6年、高等科2年を通じてほとんどが「甲」、今でいうオール5の成績であった。同校では、田中を越える成績を残した者は1人もいない。こうしたあまりの優秀ぶりに、教師から尋常科5年を終えると資格のある中学(旧制)へ行けと言われたが、田中は困窮する家計にこれ以上の迷惑は掛けられないと高等科に進み、これを卒業と同時に実社会へ飛び出したのだった。高等科卒業時には「総代」として答辞を読んでいる。 その上で、なお向学心に燃える勉強家、努力家、一方で感性豊かな少年でもあった。筆者は尋常科4、5年時に田中のクラス担任だった金井満男教諭を取材したことがある。金井教諭は田中の往時を、次のように懐かしがったものだ。 「田中は家計が許せば中学から高校(旧制)へ進み、東大法学部から大蔵省(現・財務省)に入って当然の子だった。そのくらい頭脳は飛び抜けていた。学校も高等科卒業までの8年間、1日たりとも休んだことがなかったほどの頑張り屋でもあった。その上で、悪ふざけということを絶対にせず、人の情に通じた子でもあった。ある日、私が『実家にキノコを送りたいので、すまんが裏山で皆で取ってきてくれんか』とクラスの生徒に頼んだことがある。級長だった田中は、『先生は親孝行だ。よし皆で頑張ってたくさん取ろう』と率先、生徒を促してくれた。結局、カゴに3杯分も取ってきてくれたので、私は『こんなにいらんから皆で分けるように』と言ったんだが、田中にこう叱られましたよ。『先生、何言ってるッ。近所、隣に分けてやれば皆が喜ぶじゃあないですか』と。他の生徒とは、何かが違っていた」 田中の向学心は並々ならぬもので、在学中に明治大正文学全集を読破、姉たちが読む「婦女界」「キング」といった雑誌まで読みふけった。また、漢詩にも興味を持ち、これを書き写すことで書も相当な腕前になっていった。後年、政治家になった田中は「不動心」などと色紙によく書いたが、その筆致は書家の折り紙付きだったのだ。ちなみに、高等科卒業後、すぐ就いた新潟での救農土木工事での作業中、土木派遣所の工事監督の仕事のさなかでも、中学の講義録を取り寄せて読みふけっていたのだった。 一方で、尋常科時代には講談雑誌もよく読んでいた。これにはワケがある。田中は2歳のときジフテリアにかかり、高熱で生死の境をさまよったことがあった。これが原因で、発音が不自由な吃音症にかかった。目下や犬などに声を掛けるときはスムーズにいくのだが、目上を前にするとたちどころに声が詰まった。しかし、歌うようにリズムに乗せると、不思議とうまく話せるのである。その克服のため講談雑誌を読み、リズム感を体得すべくこれをことごとく暗唱したということだった。 やがて浪曲の名作『天保水滸伝』『杉野兵曹長の妻』『壺坂霊験記』も立て板に水、歌舞伎『弁慶安宅の関』の弁慶のセリフもすでに尋常科学芸会でスラスラ、見事に吸収していったのである。 前出の金井教諭はこうも言った。 「当時、二田村あたりには“チョンガリ節”と呼ばれた浪曲の興行がよくかかった。田中が何度となく『先生、チョンガリの見物に連れてってくれ』というので、やむなく連れていってやった。その後が大変だった。翌日の昼休みの教室で、昨日聴いたばかりのチョンガリを級友に聞かせるんだ。これが、何ともうまい。普段のように詰まることなく、声のシブさから物語り方まで本職顔負けです。この記憶力の底知れなさには、私も思わず舌を巻いたのを憶えている」 その「底知れぬ記憶力」は、その後も遺憾なく発揮されている。大蔵大臣時には課長以上の顔はもとより、経歴あるいはその結婚記念日まですべてが頭に入り、廊下で出くわしたりすると、「○○君、今度結婚記念日だろう。奥さんと目白(自宅)へ遊びに来い」などとやる。声を掛けられた課長は「大臣はこんな課長のオレに、そんなことまで気に掛けていてくれるのか」で参ってしまい、結果、“田中人脈”に組み入れられていったのだった。 また、地元新潟支援者のジイサン、バアサンの氏名を一度耳にすれば、たとえ3年後にひょいと出くわしても、何とフルネームで声を掛けることができた。「あの田中先生が私の名前を覚えていてくれた」でやはりジイサン、バアサンは大感激。選挙の際は自分の仕事を放り出しても田中への1票に駆けずり回ることになる。田中が常に選挙で圧倒的な票を出し続けた要因の一つだったのだ。 かくて二田尋常高等小学校を卒業した田中は、新潟で1年ほど建設作業員、工事監督をやったあと、念願の上京を果たした。しかし、田中にとって東京は戸惑いの連続、とんでもないところであった。(以下、次号)小林吉弥(こばやしきちや)早大卒。永田町取材46年余のベテラン政治評論家。24年間に及ぶ田中角栄研究の第一人者。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書、多数。
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その他 2016年01月24日 14時00分
【幻の兵器】退役したはずだったが戦力不足で倉庫から引っ張り出されてきたドイツ国防軍の多砲塔戦車「新車両(ノイバウファールツォイク)」
1920年代後半から1930年代初めにかけて、ヨーロッパではイギリスのフラーが発表した機甲戦術理論が大きな注目を集めていた。「1919計画」と名付けられたフラーの理論によれば、まず重装甲大火力の重戦車を集中投入して敵の防御線を破砕し、その上で防衛線の穴から快速戦車を中心とする機動部隊が後方へ進入、一気に戦争の決着をつけるというものだった。 後に、この理論は電撃戦理論へと発展して行くのだが、それはまだ先のことである。当時は、突破戦の主役となる重戦車、中でもフランスやソビエトでは多砲塔重戦車が大きな注目を集めていた。その他、イギリスのヴィッカース社が開発したインディペンデント重戦車は、各国の戦車開発に大きな影響を与えている。 極秘裏に戦車の開発を行い、また独自に機甲戦の研究を進めていたドイツでも、やはりフラーの理論に興味を持つものが多く、実際1920年代の戦車開発はその理論にそったものだった。その後、ドイツでは独自の方法論に基づく戦車の開発を始めるが、その一方で大トラクターの発展形である多砲塔戦車の開発にも着手する。 ヒトラーが政権を握った後の1934年。ドイツ国防軍は新車両(Neubaufahrzeug)との秘匿名称の下に多砲塔戦車の開発に着手し、ラインメタルとクルップの両社に基本計画を提示した。国防軍のプランはインディペンデント重戦車の影響を強く受けたもので、主砲塔の右前方と左後方にそれぞれ1基づつ銃塔を配置し、ほぼ全周に渡って火力を発揮するように考えていた。まず、装甲を持たない試作車両を作ることとなったが、ラインメタルが車体と砲塔の両方を設計、試作したのに対して、クルップは砲塔のみを試作することとなっていた。 両社とも、その年の内に試作車両、もしくは砲塔が完成し、直ちにテストを受けた。ラインメタルは、既に十分な経験を積んでいた大トラクターをベースに車体を製作、円形の砲塔に主砲と副砲を縦に並べた。それに対し、クルップは各型の溶接砲塔を製作し、主砲と副砲は横に並べていた。両社の違いは主砲塔のみであり、銃塔のデザインも含め、その他に相違点はなかった。 テストの結果、国防軍はラインメタルの1号車、クルップの2号車共に十分な性能を有していると判定したが、最終的には2号車をベースにした追加試作車両を3両製作している。1935年春に発注された追加試作車両は装甲を持っており、翌36年に完成している。だが、追加試作車両が完成した頃には突破用重戦車の必要性が薄れており、計画を検討した結果、新車両は量産しない事となった。その後まもなく、試作車両は全て退役し、計画そのものも事実上、破棄同然の有り様となっていた。 新車両は、ドイツ軍が戦車の設計を固める前に試作した1927年の大トラクターを基礎にしているため、大戦に参加したほとんど全てのドイツ軍戦闘車両と全く異なる構造をしている。特に、多数の小転輪とそれらを2個1組にまとめたサスペンション、そして側面の装甲被いは、新車両と1920年代の各種試作戦車にだけ見られる特徴といえるだろう。その他、車体そのものの構造はあまり変わっていないが、前後に銃塔を備えたため、戦闘室の形が少々複雑になっている。 砲塔はクルップとラインメタルで異なっているが、75ミリ砲と37ミリ砲の連装砲架としたため、どちらも少々大振りのシルエットとなっている。もちろん、主砲、副砲、砲架の全てが新設計だった。クルップの砲塔は弁当箱のようにそっけないデザインだったが、ラインメタルのそれは避弾形始も多少は配慮しており、外観の印象だけで判断するならラインメタル製砲塔が優れているように見える。にもかかわらず、ドイツ軍がクルップ製砲塔にしたということは、外観に現れない要素、例えば生産性や砲塔容積の点で優れていたのだろう。また、ラインメタルの砲架は主、副砲を縦に配置しているために、砲の俯仰や弾薬装填の点で問題が発生しやすかったのかもしれない。この他、試作車両の銃塔は1号戦車のそれと微妙に異なっていたが、追加試作車両の段階になるとほぼ全く同じといってもよいデザインになっている。 いったん退役した「新車両」だったが、世界大戦中の1940年には現役に復帰することとなった。当時、ドイツは資源確保のためノルウェー侵攻を準備しており、シュレスヴィッヒ・ホルスタインのプトロス演習場ではこの作戦のために第40特別装甲大隊を編成していた。しかし、装備予定だった戦車の生産が間に合わなくなったため、代わりに新車両の追加試作車を倉庫から引っ張り出してきたのだ。 新車両は追加試作車3両で小隊を編成し、第3中隊に所属していた。とはいえ、第40特別装甲大隊の装備車両は大半が軽戦車だったため、少数でも巨大な多砲塔戦車は注目を集める存在だった。そのためか、新車両小隊は指揮官であるハンザ・ホルツマン中尉の名を取ってホルツマン小隊、あるいは編成地からプトロス小隊と呼ばれていた。また3両とも車体前面に大きな白い象のマークを書き込み、特別な存在であることを強調していた。 作戦開始当初、第40特別装甲大隊の第3中隊のみがノルウェーに向い、残る2個中隊はデンマークで行動していた。新車両小隊は4月19日にオスロへ上陸し、歩兵とともにエルバラム周辺の戦闘に参加した後、同月20日にはハマーへ向かった。24日にはデンマークから第1と第2中隊が合流した事にともない、第40特別装甲大隊は第340歩兵連隊などとフィッシャー戦闘部隊を構成し、リレハンメル攻略に参加した。 このように、新車両はノルウェー各地を転戦し、少なくとも1両を戦闘で失ったとされている。その後、損傷車両は修理再生され、少なくとも6月まではノルウェーにとどまっていた。ノルウェー戦以降はフィンランドからルーマニアへ向かい、1941年には東部戦線のドゥビナ河付近で再び実戦参加したらしい。また、資料によってはそこで残る2両を失ったとしているものもあるようだが、それはノルウェー戦に参加した車両ではなく、ドイツにとどまっていた試作車との説もあってややこしい。この他に、本国に帰還した新車両は戦意高揚写真の素材となったり、クルップで突撃砲の研究車両となったとの説もある。(隔週日曜日に掲載)名称:ノイバウファールツォイク乗員:6名重量:23.41トン全長:6.60メートル全幅:2.19メートル全高:2.98メートルエンジン出力:360馬力速力:30.0キロメートル/時主砲:75ミリ砲副砲:37ミリ砲装甲:13〜20ミリ
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スポーツ 2016年01月24日 13時00分
外野手出身の監督が大成しないって本当か!?(後編)
アンチ巨人からも高橋由伸監督(40)に対する同情の声が寄せられているという。原辰徳前監督が退陣し、後任の大本命と伝えられていた松井秀喜氏が色好い返事をしない。在野にも「有力」と目されたOBはいたが、メディアの読みはフロントの意向とは違っていた。「適任者不在」となり、高橋に白羽の矢が立てられた…。その突然すぎる監督要請もそうだが、引退試合すら行われなかった急展開ぶりが「かわいそう」と映るのだという。 巨人フロントも高橋監督の性格は分かっていたはずだ。監督要請をすれば、チームの指揮を優先し、自分は現役を引退する−−。「これまでチームに尽くしてきた功労者に相応しいセレモニーを」と配慮すべきではなかったのだろうか。 高橋の監督要請について、興味深い証言がいくつか聞かれた。 「(前任の)原監督は『次はヨシノブ』という流れを分かっていたのではないか。2015年の最終ゲームとなった10月17日(CSファイナルステージ第4戦)、原監督が最後の攻撃イニングで送った最終バッターは高橋でしたから」(球界関係者) また、別の関係者は『高橋監督への継承』が既成路線ではなかったと証言する。 「CS翌日、高橋は都内トレーニングジムで身体を鍛えていました。原監督が退陣会見を行った翌々日もジムにいましたし」 現役を引退してすぐに巨人監督に就任したのは、長嶋茂雄氏以来となる。40歳の高橋監督は12球団最年少ともなるが、長嶋氏が監督に就いたのは38歳、V9の歴史を作った川上哲治氏は41歳だった。王貞治氏は44歳、前任の原氏は43歳だ。巨人の歴史のなかでは「若すぎる」ということはない。 しかし、なぜ高橋監督でなければならなかったのか。その理由がイマイチ伝わって来ない。白石興二郎オーナーは「新しい風を吹き込んでくれる人、原野球を継承してくれ、かつ発展させてくれる人」と高橋監督の就任会見で答えていたが、ピンと来ない。 完成しきっていない原野球とは−−。巨人の秋季キャンプで高橋監督は2人の野手に熱い目線を送っていた。一人は、打撃フォームの改造に乗り出した大田泰示である。高橋監督の新人時代の打撃指導役でもあった内田順三打撃コーチに託し、徹底的にバットを振らせていた。二人目は同じく「将来の4番候補」である岡本和真だ。岡本は高卒1年目から非凡な打撃センスを見せたが、「今の守備では、レギュラーでやっていくのは厳しい」と言われている。その岡本をショートのポジションでノックを受けさせていた。 「内野守備を担当する井端弘和コーチの提案です。守備範囲の広いポジションで練習させたほうが早く成果が得られる、と」(前出・球界関係者) 将来の4番候補の育成。チームの将来像を完成させるとすれば、大田、岡本の覚醒を見届けることのできなかった原監督の思いは継承したことになる。 2人のことだけではないと思うが、4番打者を育てるのであれば、4番の重責を経験した者でなければ見えないものもある。 阪神、DeNA、巨人は外野手出身の新監督を迎えた。3監督とも采配に関しては未知数だが、秋季キャンプの雰囲気は良かった。他競技の監督だが、たとえばサッカーではコーチングを学ぶため、日本サッカー協会公認のライセンスを取得しなければ就任できないとされている。メジャーリーグでは選手経験のない人もいる。大半は選手では大成しなかった人で、マイナーリーグでの指導経験を積み上げてその地位まで上り詰めてきた。日本のプロ野球はチーム貢献度で決まるところもあるようだが、知識や経験、技術よりも人間性が重視されている。そう考えると、プロ野球の監督とは、現役時代のポジションよりも、自身の野球観を選手にどう伝えるかを問われるもののようだ。
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アイドル 2016年01月24日 13時00分
増殖中“妹分アイドル”のメリットとデメリット
福岡を拠点に活動する6人組アイドルグループ「ばってん少女隊」のメジャーデビューが決定! 世間的にはほとんど無名の彼女たちだが、1月17日、東京・お台場のヴィーナスフォートで催されたイベントには、約1000人のファンを集めている。その背景には、あの国民的アイドルグループの存在が…。 昨年9月、インディーズシングル『ばってん少女。』をリリース。地元・福岡を中心にファンを増やしている、ばってん少女隊。スターダストプロモーション福岡営業所のレッスングループ、通称「F-girls」がその前身だ。つまり、ももいろクローバーZの妹分グループにあたる。来たる4月のメジャーデビュー前から、東京で1000人規模のイベントを成功させた背景に、ももクロの存在があるのは言うまでもない。 同じスターダストプロモーションに所属する“ももクロの妹分”としては、「エビ中」の愛称で親しまれる私立恵比寿中学、名古屋在住メンバーで結成されたチームしゃちほこ、関西を拠点とし、ばってん少女隊と同様、今春のメジャーデビューを発表しているたこやきレインボーなどがある。また、これらのグループを輩出してきた育成ユニット・3B juniorも、広義ではももクロの妹分とも言える。さらには、スターダスト所属の男性タレントによるアーティスト集団EBiDAN(恵比寿学園男子部)内のユニット、超特急やDISH//なども「ももクロの弟分」として紹介されている。 知らぬ間に増え続ける妹と弟に、さすがのももクロメンバーも「私たちは一切認めていません」「この子たち、妹分だったんだ」と苦笑いの状態だ。 妹分グループを持つのは、ももクロだけではない。乃木坂46には欅坂46、PASSPO☆にはprediaやPalet、ぷちぱすぽ、SUPER☆GiRLSにはCheeky Parade、GEM、わーすたなどが妹分として名を連ねている。ここ1〜2年でハロプロに続々と誕生している新グループ(カントリー・ガールズ、こぶしファクトリー、つばきファクトリー)も、モーニング娘。や℃-uteの妹分と考えていいだろう。 古くは、「西城秀樹の妹」コンテストで優勝した河合奈保子や石川秀美、横浜銀蝿の妹分としてデビューした岩井小百合らのように、「妹分」「弟分」といった売り出し方は、今にはじまったものではない。現在、俳優として活躍する杉本哲太も、デビューのきっかけは横浜銀蝿の弟分だった。 人気スターの知名度を借りて、鳴り物入りで世に送り出すのが、「妹分」の一番の狙いだ。単体でイチからデビューさせるよりもメディアに取り上げられやすく、姉貴分グループの既存ファンがいち早く応援してくれるのも、大きなメリットとなる。また、幅広いニーズに対応することで、“取りこぼし”を少なくすることも、妹分グループを作る目的のひとつだ。「蓼食う虫も好き好き」という言葉があるように、人の好みというものは、文字通り千差万別。それゆえ、アイドルグループでは、多彩なキャラクターを集めることが重要になる。グループ全員を一般的な美形で揃えてしまうと、一般的な美形を好みと思わない層を取りこぼしてしまうのだ。 そうした「取りこぼし回避のための多様化」は、ひとつのグループだけでは限界がある。多様化させすぎたため、グループのコンセプトにブレが生じ、固定ファンが根付きづらくなったのでは元も子もない。そこで、メンバーの年齢や楽曲の方向性を変えたグループを妹分として設け、姉貴分で取りこぼした層の受け皿とするのだ。「名古屋のチームしゃちほこ」「関西のたこやきレインボー」「福岡のばってん少女隊」といったように地方性を強く打ち出していくのも、東京主体の活動による「地方ファンの取りこぼし」を防ぐためのアプローチと言える。 妹分グループには、姉貴分からこぼれた層を受け止めるだけでなく、フレッシュさを武器に新たなファンを発掘し、姉貴分グループへと引き上げる働きなども期待できる。妹分グループがきっかけでアイドル現場へ通うようになり、最終的に姉貴分グループのファンとして落ち着くといったケースは珍しくない。 もちろん、メリットばかりではない。新たにグループを作れば、その分の運営費用が必要となる。また、姉貴分と妹分で、既存ファンの“食い合い”も起こりかねない。それを防ぐためにも、系列全体でファンの総数を増やすことが、姉妹ともども成功させる絶対条件だが、「アイドルブームの終焉」や「アイドルファン増加の頭打ち」が指摘されるなかでは、「系列グループの増加=ファンの増加」といった単純な計算は成り立たないだろう。 そういった意味では、今後、アイドルファンの激増が期待できないからこそ、今いるファンを少しでも多く囲い込むための方策として、各系列が妹分グループの育成に力を入れているのかもしれない。 ともあれ、「若さは正義」をモットーとし、つい新しいモノへと流れがちなアイドルおたくたちにとっては、妹分グループの誕生が重要な関心事であるのは間違いない。【リアルライブ・コラム連載「アイドル超理論」第12回】
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スポーツ 2016年01月24日 12時00分
「新日本の図式をブッ壊す」2・11大阪で後藤革命の集大成が見られるか?
「それはもちろん、ひとつしかないでしょ! わかるでしょ?」 1・4東京ドーム大会で、昨年末から散々挑発されていたロス・インゴベルナブレスの内藤哲也に完勝し、コメントブースに入って来た後藤洋央紀は、「具体的に狙いを定めているベルト」について質問されると、いきり立ちながらこのように答えた。そして、翌5日の後楽園ホール大会でIWGPヘビー級王者オカダ・カズチカ率いるCHAOSと8人タッグで激突。オカダのパートナーであるバレッタから昇龍結界でギブアップを奪うと、マイクを掴んだ。 「内藤とは昨日で終わりだ! オカダー! 次はおまえだ。俺がおまえからベルトを獲る!」 内藤との抗争終結宣言に、ファンは「エーッ」と残念がるリアクションを見せた。これに対してオカダは「内藤さんと昨日で終わりでも、みんながそれを聞いて『エーッ』と言っても、僕には関係ない」と前置きした上で、「去年のG1(クライマックス、8・1大阪大会)であなたに負けたことは覚えてますよ。あともうひとつ覚えていることがあります。『インターコンチ(当時後藤が保持していたIWGPインターコンチネンタル王座)と(オカダが保持するIWGPヘビー級王座の)統一戦をやりたい』って言ってましたよね? やりましょう統一戦!」と挑発。 しかし、会場に微妙な空気が流れ、「すみません! (その後、後藤がインターコンチのベルトを)獲られたこと忘れてました」と言うと、場内は爆笑に包まれた。後藤はオカダにバカにされた形となり、怒りの表情でバックステージに引き上げてきたが「去年のG1を忘れてないようで良かった。今の新日本の図式をブッ壊すのは俺の役目」と改めて挑戦を表明した。【オカダの「恥男」発言に後藤が会見乱入】 6日に新日本プロレス本社で行われた「1・4ドーム大会2夜明け会見」にオカダが出席。ドームで棚橋弘至の挑戦を退けたIWGPヘビー級王座戦を振り返るとともに、前日に挑戦表明してきた後藤について「『何回挑戦するんだろう?』と思います。僕も『東京ドームでは恥をかきたくない』って言いましたけど、何回も挑戦して、何回も獲れなくて…恥男っていうんですかね(笑)。よくもあんなに恥をかけるなと思います」と呆れた表情で語る一方で「G1が終わって(インターコンチとの)統一戦ってずっと言ってたじゃないですか。僕も(G1大阪大会でのIWGP王者同士の対決で)負けたことは忘れてないし、中邑さんに連勝したのは評価できるんじゃないかと。統一戦やりたかったですよ」と、リベンジしたい本音もにじませていた。 ここで「なめんなよ! コノヤロー!」と怒鳴りながら後藤が会見場に乱入、オカダを襲撃した。新日本本隊所属という後藤の立場から考えると信じられない行動だが、それこそ「図式をブッ壊す」手始めだったのかもしれない。これを受けてオカダは挑戦を受諾。「やるんなら自分で盛り上げてくれ」と後藤に注文をつけつつ、2・11「THE NEW BEGINNING in OSAKA」大阪府立体育会館(現エディオンアリーナ大阪)大会での防衛戦が決定した。【2・11大阪で後藤革命の集大成を!】 後藤が前回IWGPヘビー級王座に挑戦したのは、ちょうど2年前の2月11日。時のチャンピオンは同じくオカダ、そして会場も大阪府立体育会館で、その時はオカダの必殺技・レインメーカーの前に敗れている。しかし、昨年8月に大阪で実現したG1クライマックス公式戦では、完全無欠の昇天・改で後藤がオカダに快勝し、大阪のファンは歓喜した。 このように大阪にゆかりがある両者の対戦だが、オカダが指摘するように後藤は2007年に初挑戦して以来、一度もIWGPヘビー級王者になれずにいる。今回ばかりは後がないと言っても過言ではないだろう。今月末で中邑真輔が退団、また一昨年の4月からオカダ、棚橋とともにIWGPヘビー級戦線を賑わせていたAJスタイルズも次期シリーズのカードに名を連ねていない。ここで後藤が悲願のIWGPヘビー級王座初戴冠を果たせば、今後の新日本プロレスの勢力図が大きく変わるのは間違いない。2・11大阪では後藤革命の集大成に期待したい。(増田晋侍)<リアルライブ・コラム連載「新日Times」VOL.2>
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