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スポーツ 2011年04月07日 15時30分
F1名門チームのロータスが今年は複数参戦
F1界で「ロータス」と聞けば誰でも、往年のF1界の名門であるイギリスのロータスを思い浮かべることであろう。かつてアイルトン・セナといった天才レーサーも、ロータスに所属していた。日本人初のF1ドライバーである中嶋悟も、ロータスでデビューしていたのだ。ロータスはコンストラクターズタイトルを7度も取った名門チームである。古いマニアには、ロータス78の活躍が脳裏に浮かぶはずである。 俗に、ロータス最後の輝きはセナの加入していた頃だと言われている。アイルトン・セナは1985年から1987年までの3年間、ロータスにて活躍した。セナはロータス時代に6度の優勝を遂げ、後にセナの定位置となったポールポジションを16回も獲得している。 セナは、後のマクラーレンでの黄金時代の礎をロータス時代に築いたのである。そんな名門ロータスも、1994年からはチームの不調もあり、F1から撤退をした。 ところが昨年=2010年のF1界に、突如名門ロータスが復活した。チーム・ロータスを名乗るマレーシアの実業家トニー・フェルナンデスが代表となり、かつての名門ロータスの使用承諾を得るに至ったのである。しかし、このチームはロータスとの関係はない。 そして2011年、ロータスの本家であるグループ・ロータスが正式にF1に参戦した。 ここに突如、F1界に二つのロータス名を持つチームが存在することとなったのである。グループ・ロータスはフェルナンデスに与えていたロータスの名称の使用を取り下げたが、フェルナンデスはグループ・ロータスの管理外にあったチーム・ロータスの権利を獲得し、今期のF1にチーム・ロータスとして参戦している。これに異を唱えるグループ・ロータスは、「ロータスという名を冠するのはグループ・ロータスだけだ」として、現在訴訟中である。 ちなみにグループ・ロータスは名門ルノーと組んでロータス・ルノーと名乗り、緒戦のオーストラリアGPでは3位に入る結果を得た。 今年のF1界は、名門ロータスの名を冠する2チームの争いに、ファンの注目が集まっていると言えよう。(藤原真)
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芸能 2011年04月07日 12時00分
まだまだ日本の芸能界復帰が難しいのりピー
09年11月に覚醒剤取締法違反の罪で執行猶予3年の有罪判決を受けた元女優・酒井法子が6日、薬物犯罪を防ぐPR活動をするために中国・北京を訪問。集まったファン約200人から大歓迎を受け笑顔をみせた。 「北京空港に現れた様子をテレビ朝日のみが報じた。中国のラジオ局の公式サイトや、インターネットで酒井が6日に北京に来るといううわさが流れたために空港にファンが集結。中国の当局が酒井さんに薬物犯罪を防ぐPR活動の参加を前所属事務所のサンミュージックを通じて依頼し、酒井が快諾したようだ」(芸能記者) 酒井は3泊4日の日程で現地で反薬物PRのCM撮影などを行っているが、「宿泊先のホテルにはメディアやファンが集結するフィーバーぶり。90年の台湾進出をきっかけに中華圏での人気は高いが、いまだに人気が衰えてなかった」(同) さらに、中国のラジオ局は、5月7日に北京で開催される日本発信のファッションショー「TGC GIRLS COLLECTION in Beijing」のプロモーション活動に協力する可能性もある、と報じているだけに、いよいよ芸能活動を再開するようだが、日本の芸能界復帰はなかなか難しいのが現状のようだ。 「昨年12月の事件について酒井が告白した『贖罪』が発売されたが、かなりぬるい内容で思ったほど売れず。プロモーションのためのインタビュー取材もキー局ではTBSぐらいしかやらなかった。かつてはそれなりにネームバリューがあれば執行猶予中だろうがテレビには出れたが、今の基準だと執行猶予中はスポンサーが嫌がるのでテレビには出せない。『贖罪』は酒井の“後見人”とされる建設会社会長の主導で出版。そのため、前所属事務所との関係もあまり良くない。といって、酒井の獲得に手をあげる芸能プロはない」(テレビ関係者) どうやら、芸能活動をするにしても、執行猶予期間は中華圏での活動が中心となりそうだ。
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芸能 2011年04月07日 11時45分
被災地へ届け! 「チーム・アミューズ!!」がスペシャルソングを発表へ
芸能事務所のアミューズに所属するアーティストが集まり、東日本大震災の被災地の復興を祈り、チャリティーとしてスペシャルソング「Let's try again」を発表することが決定した。作詞作曲は桑田佳祐が担当。 プロジェクト名は「チーム・アミューズ!!」。同プロジェクトには桑田佳祐、BEGIN、ポルノグラフィティ、Perfumeなどのアーティストとともに、岸谷五朗、上野樹里、三浦春馬などの俳優陣も参加。現時点で、総勢34組51人になるという。 同プロジェクトの特設サイトによると、スペシャルソング「Let's try again」は、桑田佳祐が新たに書き下ろしたテーマ部分を中心にサザンオールスターズ「勝手にシンドバッド」、福山雅治「桜坂」、ポルノグラフティ「サウダージ」、BIGIN「涙そうそう」、Perfume「ポリズム」などといった参加アーティストの代表曲のメドレーミックスが展開、さらに、参加者全員によるサザンオールスターズの「希望の轍」、そして最後は「WE ARE THE WORLD」さながら大合唱で大団円を迎えるというもの。 「Let's try again」は4月20日より主要配信サイトにて、着うた(R)、着うたフル(R)として配信、またミュージッククリップも制作、ビデオクリップも配信する。収益はアミューズ募金を通して、日本赤十字社に寄付する。
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芸能 2011年04月07日 11時45分
品川祐が感染した「手足口病」って何?
お笑いコンビ品川庄司の品川祐が4月3日、自身のブログで「手足口病」にかかった事を告白した。 手足口病は、手のひらと足の裏、そして口腔内に独特の水疱ができる感染症で、高い発熱とひどい痒みを伴う。主に子供が感染しやすい病気ではあるが、今回は娘の琥珀ちゃんから品川に感染したものだという。 品川のブログによると、彼が発病したのは4月2日。持病の首ヘルニアの痛みで目覚め、そのまま順調に仕事をこなしていったが、家に帰ると38.6度の高熱にうなされたという。 翌日、熱は下がったものの掌を見ると赤いブツブツができており痒みもひどい。すぐさま病院に直行すると、医者から「手足口病」と診断されたという。 品川は4月3日付のブログで「手足口病」の恐ろしさを語り、「手足口病なんてなめられる名前はやめたほうがいい。『最初に熱が出て、下がったと思ったら、手と足と口にブツブツ出来て痛い。そんで喉もちょっと痛い病』に変えたほうがいい」と大いに怒っていた。 「手足口病」ウィルス性の感染症で、症状は品川と同様、高い発熱の後、手や足や口に水疱ができてしまい動くことや食べることが困難になってしまう。また、1998年にマレーシアで大流行した際には、心筋炎や急性脳炎との合併症も報告されているなど、品川の言う通りナメていると、とても危険な病気なのだ。 4月3日のブログによると、品川はスキューバダイビングにチャレンジするロケのため海外に行くらしい。無事に帰国できるか!? 品川!!
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スポーツ 2011年04月07日 11時45分
大相撲5月場所は技量審査で無料公開 谷川親方は解雇
八百長問題で3月の春場所(大阪府立体育会館)を中止した日本相撲協会は、4月6日、臨時理事会を開き、5月の夏場所(両国国技館)の通常開催を断念。「5月技量審査場所」と称し、維持員席と一部の関係者席を除き、入場無料で公開することを決めた。 「5月技量審査場所」は予定通り、5月8日初日で、15日間開催。審査に基づく新たな番付を編成し、7月の名古屋場所で正式な本場所再開を目指す。天皇賜杯や外部表彰、懸賞金は辞退する。戦時中の45年夏場所を非公開で実施し、結果的に観客が無料で入場した例はあるが、このような形での無料公開は史上初めて。 協会では本場所再開に当たり、八百長全容解明の調査、処分、再発防止策の3点を条件付けしている。再発防止策は新生委員会で7日にもまとまる見込みだが、携帯電話の解析など、調査は完了しておらず、夏場所の通常開催を見送った。協会内外では、有料にして収益を義援金として寄付する案も出ていたが、現時点で3点がクリアされておらず、入場料を取っての興行は時期尚早と判断された。 これを受け、大相撲を中継しているNHK広報局は「詳しい内容は承知していないので、今後、日本相撲協会から説明を受けるなどして判断したいと考えています」とコメントした。 なお、八百長関与で処分された23人のなかで、ただひとり退職届を提出せず、無罪を主張した谷川親方(元小結・海鵬=八角)は、この日の理事会にて本人の弁明を聞いた上で解雇処分となった。(ジャーナリスト/落合一郎)
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ミステリー 2011年04月07日 11時45分
東日本大震災を予知した預言者達! 日本に危機再び…!?
東日本大震災を予知した預言者の情報が、続々と上がってきている。 まずは日本の霊能者・松原照子女史。『幸福の近道』というブログに、1月6日と2月16日に今回の震災を危惧した内容の文章が書かれてある。それによると、日本に55ある原子炉やチェルノブイリの事故のことにも触れ、原発事故を危惧し、強く関心を呼ぶように書かれてある。 震災が起こるであろう日付は特定されてないものの、松原女史は、太平洋側に動く気配を感じ取り、広範囲に揺れると指摘。さらに「陸前高田」という地名までも限定して書いている。 彼女の場合は予言ではなく「世見」と言い、見えない世界の存在から未来を教えられ、自身も感じ取っているとのこと。ただいま『幸福の近道』はアクセスが集中し、繋がりにくい状態が続いている。 アメリカの予言者・Joseph Tittel 氏。マイケル・ジャクソンの死を予言したとして有名。今年の1月1日のラジオで原発事故と津波を予言していた。 それによれば、原発で爆発が起こり放射性物質等が漏れる大事故になる。最初は健康に被害がないと発表されるが、それが後に間違いであると発覚し、多くの人々が病院に運ばれる事態になるという。 さらに津波が日本、中国、チリを襲う可能性があるとも指摘している。3月15日にアップされた彼のコメントによると、日本はこれからもっと最悪な事態に陥るという。日本の国土の半分は住むことが出来なくなり、ある地域は海に沈み、そしてまた大きな地震と津波によって被害がもたらされるという。 そして現在、注目されはじめているのが小林朝夫氏。彼は子供のころから不思議な能力があり、今から6年前に地震で東京が壊滅する夢を見た。その後、都会を離れ地震研究をしている。 小林氏のブログには、なんと震災前日の3月10日に、M8前後の非常に大きな地震が来ると警告。三陸沖で地震が続いていることから、ほぼ間違いなく関東から東海にかけて大地震が来るであろうと予見していたのだ。 ブログ『大地震前兆・緊急アラート』によれば、4月7日前後が危険で、4月6日〜10日の間に何が起きても不思議ではないという。その間に、原発に再び大事故が起きて爆発する可能性がある。それが福島第一原発に問題が起こるのか、大地震によるものなのかはわからない。しかし、3月11日で今回の事態は終わりではないので、防災の準備をしっかり整えて心構えをして欲しいとのことである。 予知・予言には賛否両論あるが、あくまでも貴重な情報のひとつとして捉え、慎重に様子を見るべきだろう。(呪淋陀(じゅりんだ) 山口敏太郎事務所)
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社会 2011年04月07日 11時45分
山口敏太郎の直言(2)「首都機能分散計画〜他国の核攻撃、原発テロに対抗すべし」
今回の震災と原発問題で明らかになったことは、日本の人口も企業も、あまりにも首都圏に集中し過ぎているという点である。 考えてみると、東京・神奈川・埼玉・千葉という首都圏だけで、人口が3千500万人を超えており、日本人の30%強が首都圏に居住しているのだ。この一極集中ぶりは異常と言うしかない。 既に計画停電の余波もあってか、業務にならないベンチャー企業などが東京電力の圏外に脱出し始めており、はからずも企業の地方分散化が進みつつある。筆者は関西や名古屋周辺に顧客や友人がおり、よく訪問するのだが、震災以降は名古屋・関西の街が混雑しているように思えるし、岐阜県の某企業団地は東京を脱出したIT企業が入居し、たちまち埋まってしまった。 さらに、筆者が参加した名古屋の震災トークライブには、東京を出てきたという人たちが少なからずいたし、名古屋の友人の情報によると、名古屋支店や関西支店を持つ企業の経営者たちが大挙して、支店に移動してきているという。また九州や沖縄は、東京から避難してきた芸能人で溢れている。 もはや、人口と企業の一極集中は瓦解しつつあると言ってよいだろう。夏場において電力不足が予想される現状では、この傾向を国家戦略として活用し、首都機能の分散化をはかるべきである。 今後も地震やテロによる原発危機が発生する可能性はあるだろうし、敵国の核攻撃も充分ありうることである。そうなった場合、首都圏に政治的、経済的な機能が集中した今のままでは、国家の存続そのものが危ない。そこで首都圏の節電の効果もあり、地方経済の活性化も期待できる、首都機能分散計画を提案したい。 まずは省庁の分散化である。例えば文部科学省は長野県、宮内庁は京都府、経済産業省は大阪府、外務省は長崎県、厚生労働省は富山県、農林水産省は北海道という感じで、全ての省庁を各都道府県に割り振る。勿論、関係団体、下請企業、その家族もついて行くだろうから、ちょっとした民族大移動である。また、その都道府県に永く居過ぎると地元経済との癒着が始まってしまうだろうから、十年に一回ぐらいの国替えは必要であろう。 中には他の省庁や企業と調整や打ち合わせをするのに、地方に所在しては困ると反論する向きもあるかもしれないが、飛行機と新幹線を使えば、県庁所在地ならば一日で移動できない事はない。数万人クラスの人間を移動させる省庁分散制は、ぜひ実施すべきである。 さらに大学と企業の地方分散化も推進すべきである。すでにコマツNTCが品川にあった本社を富山県南砺市へ移転しているし、この震災を機会に追従する企業も続々と出つつある。この企業の地方移転を国としては、税制優遇でバックアップするのはどうだろうか。 他にも大勢の学生を抱える大学の地方移転も税制優遇で推進してもらいたい。いや、もはや首都圏にこだわる企業や学校法人には、多大な課税を課して、地方移転せざるをえない状況に持っていくぐらいの荒療治をしないと、経済人の東京信仰はなくならないだろう。 とにかく、江戸期の大名のお国替えのように、省庁、企業、学校という大勢の人間を付随して動く組織を、地方にスライドしていくことで、他国の核攻撃やテロ、地震による原発事故などが起因となった首都圏破壊というリスクを軽減できる。また、原子力に頼らない電力ライフの実現もしやすくなるだろうし、大量の人間が流れ込む事で、日本経済を支える地方経済の復興が可能になるだろう。(山口敏太郎)
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トレンド 2011年04月07日 11時45分
茶の湯を考える 『江〜姫たちの戦国〜』
NHK大河ドラマ『江〜姫たちの戦国〜』第11回「猿の人質」で、千利休が、3姉妹に茶をふるまう場面が登場した。利休は、自らも幼いころに母親を失った体験を聞かせ、そのことで見えてくるものがあったと語る。悲しみと秀吉への恨みから、3姉妹は、利休の言葉を体感することをしない。第12回「茶々の反乱」で再び、利休が3姉妹に茶をふるまった。今度は、茶々は秀吉への憎しみを言葉にする。利休は、「私に見えるものは一服の茶だけ」と告げる。茶々は「私にはわかりません」と拒絶するも、もう一つ上に行くには敵よりも大きく太くならねばならないという利休の言葉を、くやしさとともにかみ締める。 堺出身の千利休は、武野紹鴎に師事し、禅の心を茶に取り入れた。信長・秀吉に仕え、秀吉から切腹を命じられた。千利休が確立した茶の道の基礎は、茶の世界にとどまらず、日本人の生活と文化に影響を与え続けている。 茶の湯とは、なんなのであろう。4畳半、子どもでもかがまないと通れない「にじり口」、花は一輪、水は一勺一勺。それが信長の中の何かをつかみ、秀吉の心をとりこにした。千利休は「自分が死んだのち、百畳、二百畳の茶となるべし。これ、利休が罪なり」と語ったという。 大河ドラマの中で、江は、市から織田家の誇りを託されている。同時に、自分の信じるままに生きることを命じられている。このことは、江が、「織田家の女の戦国」という呪縛から解放されていることを意味する。「織田家の女の戦国」に殉じた市には、娘の江を呪縛から解放する資格があった。いっぽうで、呪縛から解放されたことは、(織田家の女の戦国ではなくて)自分自身の「戦国」を見つけなければならないという使命を江に与えた。 『江』では、信長の人生は、乱世に生きた「男の戦国」として描かれている。市の人生は、乱世に殉じた「女の戦国」。3姉妹の前に広がるのは、そのどちらでもない「戦国」。信長とも、秀吉とも、浅井長政とも違った形の、それでいて、それらに一歩も劣らないすさまじい「戦国」を生きた利休から、茶をふるまわれていることが印象深い。 江が生きる「戦国」とはなんなのか。江は何を求め、何を見出すのか。引き続き、茶の湯に注目したい。(竹内みちまろ)
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芸能 2011年04月07日 08時00分
AKB48からSDN48へ巣立ったメンバーたち
人気アイドルグループ、AKB48だが、年長のメンバーがSDN48へ巣立つのではないかという情報がたびたび出てくる。特に最年長の篠田麻里子、選抜常連の小嶋陽菜などが名前の挙がるメンバーだ。SDN48は2009年に誕生、AKB48と同じく秋元康が総合プロデュースをつとめる。「SATURDAY NIGHT」の頭文字で主にAKB劇場で公演を行っているグループだ。メンバーは20歳以上。平均年齢は23歳。AKBとは違いセクシーなパフォーマンスが売りになっている。アイドル以外の他の職業から参加したメンバーも少なくない。また、AKBの姉貴分として活動を開始したことから、元々AKBに所属していたメンバーも多い。今回はそんな、SDN48の中でも、元AKBのメンバーを紹介したい。 SDN48のキャプテンである野呂佳代はAKBの2期生。AKBの中ではバラエティ担当として活躍、M-1グランプリにも出場した経験も。結果は2回戦敗退だった。ちなみに、AKBのオーディションでは年齢、体重、靴のサイズを詐称。本人いわく、「誰が呼んだんだこいつを…」という空気になったとか。しかし、総合プロデューサーの秋元康は、「おもしろい!」といって合格したとか。 人気投票でSDN48で1位に輝いた大堀恵も元AKBメンバー。当時、AKBの中でも最年長であった大堀はあまり活躍する場に恵まれなかったものの、AKBメンバーとして初のソロデュー。1か月で1万枚を売り上げないと強制卒業というテレビ番組の企画であった。この発売イベントでは握手会を超えた『ハグ会』を開催。アイドルとしては、捨て身のピーアールで見事に1万枚を売り上げた。 浦野一美は第一期生としてAKBメンバーとなるも、渡辺麻友や柏木由紀が加入した三期生がチームBを結成する際に人数不足からチームBに移籍。チームBの教育係として、手洗いから食事の仕方まで指南したという。また、佐藤由加理もAKBの一期生からSDNへ移籍したメンバー。佐藤はメンバーからの人気が高く、高橋みなみや指原莉乃がもっとも好きなメンバーとして名前を挙げている。 SDN48はAKBから比べると、人気、知名度ともにまだまだのグループ。東京競馬場でAKBがイベントを開催した時は、握手会の消毒係をつとめるなど、テレビ番組ではネタにしているものの、辛い経験を味わっている。しかし、関係者からは、「AKB卒業後、ピンで活躍を続けられるメンバーはごく一部。しかし、卒業生がSDNでも活躍できるようになれば、そのまま人気が継続され、AKBグループも安泰。そのためにはAKBのメンバーが“いずれはSDNに入ってみたい!”と思わせられるような人気が必要」との声もあるという。(写真はAKB在籍時の野呂佳代=左=と大堀恵)
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トレンド 2011年04月07日 08時00分
街道を歩く(2) ラカンマキと樋口一葉の墓=甲州街道
幹が太く、広い樹冠面積を誇るラカンマキがあると聞いて甲州街道を歩いた。ラカンマキは常緑樹で、羅漢という名称の由来は、果実と花床を羅漢の首と胴体に例えた説と、種子の形を仏にまだなりきっていない羅漢に例えた説がある。 東京都庁がある新宿駅から西へ向かう京王線に乗り、降りたのは上北沢駅。5分ほど歩くと、東京から長野県を通って愛知県へ続く中央自動車道の高架が見えた。また、歩道の脇に「甲州街道一里塚跡」の碑が建っていた。 甲州街道は、江戸幕府によって整備された五街道の一つ。江戸の日本橋から始まり長野県の下諏訪で「木曽路」と呼ばれた中山道と合流する。なお、五街道の始点はすべて日本橋であり、現在も日本橋の脇には「日本国・道路元標」の碑が建てられている。 「甲州街道一里塚跡」の碑文を読むと、ちょうど中央自動車道の高架下に、日本橋から数えて四里目を示す「一里塚」があったそうだ。旅人の道しるべである「一里塚」は、運び賃などを精算する目安でもあった。約3メートルの高さに土を盛り、榎(えのき)が植えられていたという。 「一里塚跡」を過ぎると、目的地の宗源寺(東京都杉並区)にたどり着いた。宗源寺は、室町時代から江戸時代初期頃に開創したと伝えられる寺社で、「不動堂」は、付近の高台にあったのを境内に移したもの。「不動堂」はもと「高井堂」と呼ばれており、宗源寺がある辺りの地名「高井戸」の起源になったともいわれている。ラカンマキは、宗源寺境内にあった。 宗源寺のラカンマキは、推定樹齢350年。開創と同時期に植えられたと考えられている。樹姿は二股を繰り返しながら南に延びている。見事な樹冠面積で、幹の太さは2メートルを超えていた。都内でも、屈指の太さだろう。宗源寺のラカンマキのような姿を、臥竜型というそうだ。 宗源寺を出てからも甲州街道を歩いたが、寺院に多さに驚いた。短い道のりの中に、肩を並べて寄り添っている場所もある。その中でひときわ大きな山門は「築地本願寺和田堀廟所」だ。大正12年(1923)に起きた関東大震災の後、再建の際、築地本願寺(東京都中央区)の墓地が当地に移された。 「和田堀廟所」には、作家の樋口一葉や海音寺潮五郎、俳人の中村汀女、菊池寛の小説『無憂華夫人』のモデルにもなった歌人で社会事業家の九條武子の墓などがある。 なお、日本画家の鏑木清方の作品に『一葉女子の墓』がある。一葉の小説『たけくらべ』の主人公・美登利が一葉の墓を訪れるという作品だが、製作は明治35年(1902)。泉鏡花の随筆『一葉の墓』に誘われた清方は、墓地が移される前の築地本願寺を訪れてスケッチした。(竹内みちまろ)
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