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芸能 2015年09月13日 16時00分
ドキュメント映画化決定 インドネシアでの五輪真弓『心の友』の人気ぶり
東南アジアの大国インドネシアの大半の人といっても過言ではないほど、津々浦々の老若男女に等しく愛され、歌い継がれている日本の歌がある。それは五輪真弓(64)の『心の友』で、地域の集会やイベントなど歌を披露する機会があれば必ずと言っていいほど誰かが歌い、“第2の国歌”とまで言われている。 「1982年に五輪真弓の日本でのコンサートで『心の友』を聞いたインドネシア人のラジオ関係者が、帰国後の翌年に放送したところ人気が出て、'85年頃には大ヒット曲となった。その後、音楽番組で頻繁に流れ、中学校の音楽の授業で課題曲にもなったのです」(現地特派記者) もっとも、インドネシア人も歌詞を理解していたわけではなく、曲調が琴線に触れたことがヒットの理由とされている。 そんな“歌詞は知らないが大ヒット”という『心の友』の生い立ち、ヒットの歴史と背景を、関係者や五輪真弓本人のインタビューなどで構成するドキュメンタリー映画が、インドネシア人の手で製作されることになった。 タイトルはそのものズバリの『MAYUMI LOVES INDONESIA(真弓が愛するインドネシア)』。 「'86年に五輪真弓がジャカルタを訪問しコンサートのステージに立った時は観衆が戸惑いました。あの透き通るような美しい歌声から想像していたお姫様のような顔とは、印象が異なっていたのが理由なのです。歌い始めてようやく、誰もが本人の声と納得したのを覚えています」(インドネシア在住日本人) 映画の製作者は「この映画を通して『心の友』の歌詞の意味、込められたメッセージなどをインドネシア人に伝えたい。そうすることで、さらに多くの若いインドネシア人にこの歌を歌い継いでほしい」としている。 日本人としてもぜひ、歌詞を味わいながらじっくり聴いてみてはどうだろうか。
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芸能 2015年09月13日 15時00分
松平健は3度目の正直なる? 男性タレント再々婚の成功説
松平健(61)が先日、3度目の結婚をしたことが判明して話題となった。お相手は、芸能界とは関係のない女性で10歳年下の51歳。家族ぐるみの長い付き合いがあったが、13年末に交際に発展。7月末に婚姻届を提出したという。 「最初、篠原涼子似の美女と報じられたが、スレンダーなさわやか系ではあるものの篠原とは似ていない。むしろ結婚相手の30歳の娘さんが篠原タイプで、情報が入り混じって、そう報じられたようだ。この娘さんには子どもがいるので、松平は一気におじいちゃんになった格好になる」(スポーツ紙記者) 松平には前妻との間にもうけた8歳の長男がいて、シングルファザーとして頑張ってきたのはよく知られている。今回の結婚報道後、取材を受けた松平は「これから地方の仕事が多くなるので子供のことを考えて」と結婚に至った理由を説明している。 ところで松平は今回の結婚が3度目だが、芸能界で再々婚はそう珍しいことではない。 「郷ひろみ、石田純一、佐藤B作、堺正章、松崎しげる、東国原英夫などがいる。さらに4回には木村祐一、萩原健一、玉置浩二などがおり、ビッグダディこと林下清志は5回。ちなみに女性タレントでも松田聖子、堀ちえみが3回結婚しており、奥菜恵も木村了と再々婚するといわれている」(同) 3度目の正直なのか、3回目は長持ちしているケースが多い。松平もきっとそうなるはずだが、それにしても3回以上の結婚が普通になってきたのは高齢化社会の反映なのだろうか。
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スポーツ 2015年09月13日 14時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈北尾が小錦の右膝を破壊!〉
北尾光司の名前には、良いイメージがないという人も多いだろう。'87年の大みそか、親方への暴言を吐いた上、おかみさんに暴行を加えて失踪。そのまま廃業となった一件は、大相撲の横綱にあるまじき行為として、当時、大きな批判を浴びたものだった。 ただ、本人の著書などによれば異なる事情もあったようで、あとになって立浪部屋の運営方針にも問題があったとの声も聞かれた。 「例えば『ちゃんこがまずい』と言ったとされる件も、親方が協会から支給されるちゃんこ代を、ケチったことを批判したのだと言われています。北尾自身、転向したプロレス界でも数々の暴言を吐きまくったように、決して人格者というわけではないが、立浪部屋サイドが北尾を悪者にして、責任逃れするために“盛った”部分は少なくないでしょう」(スポーツ紙記者) 人格面だけでなく、幕内優勝の経験がなかったことから、「そもそも横綱にふさわしい実力がなかった」「千代の富士の一人横綱状態を解消するための“仮免横綱”だった」と、言われたりもする。 「パソコンやゲームを愛好し、マイペースな性格もあって“新人類横綱”と呼ばれた北尾は、そのためどこかひ弱な印象もありましたが、実際はそうではない。千代の富士は『もし北尾が廃業していなければ、その後の53連勝、ひいては国民栄誉賞受賞もなかったのではないか』と、当時を振り返っています。実際の対戦成績も、北尾の横綱昇進後は2勝3敗とほぼ互角。幕内通算でも6勝8敗と健闘していて、全盛期の千代の富士を相手に、これだけの成績を残した北尾が弱いはずがありません」(同) 実際、横綱昇進時には、69連勝の大横綱・双葉山襲名の話も出たほどで、結局、立浪部屋の定番である羽黒山と合わせた「双羽黒」の四股名となったが、それほどまでに周囲の期待は高かった。 とりわけ、当時の春日野理事長(元横綱栃錦)は北尾を高く評価して、渋る立浪親方を説得してまで双羽黒の名を薦めたという。 そんな高評価を決定付けたのが、横綱昇進の前年、'86年の5月場所における小錦との取組であった。 '84年に入幕2場所目にして、千代の富士と隆の里の両横綱から金星、大関の若島津からも勝利を挙げ、“黒船襲来”と畏怖されていた小錦。2場所連続で二桁勝利を収め、この場所に大関獲りを懸けていた。 「高校ではアメフト部で主将を務めるなど、巨漢でありながら足腰が強い。入幕当初は巨体頼りの荒っぽい取り口でしたが、徐々に相撲も覚え、外国人初の横綱昇進は確実と目されていました」(同) 今では白鵬をはじめとして外国人横綱も当たり前となったが、しかし、当時は「日本の国技たる大相撲の伝統が崩れる」と、忌避感が強かった。小錦の発言など、ささいなところを批判しては、“横綱にふさわしくない”との評判を立てようとする動きが見られたほどだった。 そんな小錦の前に立ちはだかったのが北尾である。取り直しの一番、軍配が返ると同時に全体重を掛けた突き押しに出る小錦。がっちり受け止めた北尾は、小錦の右腕を左手でつかんでロックアップ。そこからまわしを取って、正面からのがぶり寄り。 これをこらえてつり上げようとする小錦に、鯖折りの体勢となった北尾が、上からのしかかるようにして体を預けると、小錦は右膝から崩れ落ちた。 この一番で小錦は靭帯損傷に骨折という大けがを負い、復帰後は以前と異なり、下半身の脆さを見せるようになった。このときの故障のために、小錦は横綱になれなかったとの声も根強い。 一方、勝った北尾は“黒船を返り討ちにした大相撲界の救世主”との評価を得ることになった。当時、体重240キロの小錦と正面から組み合って、文字通りひねり潰すことなど、たとえ千代の富士でもできる芸当ではない。 横綱昇進後も、毎場所のように優勝候補に挙げられていた北尾。廃業時でもまだ24歳と若かっただけに、あの“事件”がなければ大相撲史に残る横綱となっていたかもしれない。
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芸能 2015年09月13日 12時00分
小倉優子 ママタレ会崩壊と欲求不満で「こりん星」やけくそ復活
「やはり、上戸彩、菅野美穂といった“大物”がママになったことが大きいと思います」(プロダクション関係者) 『こりん星はなかったと思ってますよね? だから作っちゃいました』 8月から流れているスマホアプリのCMで、再び“こりん星”を復活させた“ゆうこりん”の愛称でもおなじみの小倉優子(31)。 千葉県立東金高校2年生の時スカウトされ、'01年デビュー。 「愛くるしいロリ顔とスレンダーなバディで世の男たちを魅了。また、“独特な世界”を作り上げ、キャラを確立させたんです。主にバラエティー番組をメーンに存在感を示してきました」(テレビ局関係者) キャッチフレーズは、“こりん星からイチゴの馬車でやって来た、りんごももか姫”というものだった。 「高校時代は“バリバリのヤンキー”という伝説がありますが、とにかく、この浮世離れしたキャラで、ゆうこりんは売れっ子になりました」(芸能記者) しかし、“地球のオトコたち”との関係を断ち切ることはできず、22歳の時、お笑いコンビ『よゐこ』の濱口優との半同棲が発覚。そして6年前、『こりん星は爆発しました』と宣言し、その2年後、カリスマ美容師の菊地勲氏と結婚した。 「彼は都内でヘアサロンを経営し、年収は“1億”と言われるほどの超売れっ子。ゆうこりんは結婚後は3歳になる男の子を育てながら、得意の料理の本を出したりして“セレブなママタレ”キャラでやってきていました」(芸能関係者) ところが、先述したように、ここにきてネームバリューのある大物ママが続々と誕生。小倉の立場が危うくなってきたのだ。 「同じ土俵で戦っても勝ち目はないと思ったゆうこりんが決断したのが、“原点回帰”。こりん星キャラの復活だったわけです。これなら、唯一無二。誰もマネすることができませんからね」(芸能レポーター) ママタレ市場は、一定の枠を取り合うサバイバルゲーム。 「2人目の“子作り”に夫が協力してくれなかったという側面もあるようです。溜まってた欲求不満の爆発が、今回のやけくそ“こりん星”復活のきっかけになっているのではないでしょうか」(ワイドショー芸能デスク) 熟した“りんごももか姫”に注目!!
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その他 2015年09月13日 12時00分
【幻の兵器】潜水艦の輸送能力を増大させる物資輸送カプセル「運貨筒」と「運砲筒」
ミッドウェー海戦から2か月後の1942年8月、米海兵隊がガダルカナル島へ上陸し、日本海軍が同島に開設したばかりの飛行場を占領した。海軍は米軍による飛行場占領を極めて深刻に受け止め、日本陸軍と協力して奪還を試みた。ところが、ガダルカナル島への海上輸送に必要な輸送船が不足していた上、当然ながら島の飛行場を基地とする米航空部隊による空襲が予想された。 事実、空母機動部隊による支援(第二次ソロモン海戦)にもかかわらず敵航空部隊の攻撃はし烈を極め、増援部隊を乗せた船団が敵機の空襲を受け、輸送船と駆逐艦が撃沈されている。そのため、日本海軍は輸送船によるガダルカナル島への物資輸送が不可能になったと判断し、高速の戦闘艦艇に補給物資を搭載して敵の制空権下を強行突破することとした。 戦闘艦艇による海上輸送はネズミ輸送と称され(米軍は「東京急行」と呼んだ)、多くの将兵と補給物資を揚陸している。だが、南太平洋海戦以降はガダルカナル島近海の警戒がいっそう厳しさを増したため、水上艦艇による輸送と並行して潜水艦も輸送作戦に投入することとなった。もちろん、潜水艦の搭載能力は非常に限られており、食料や軽武装の兵員を輸送するのが精一杯だった。 潜水艦輸送は「丸通」と呼ばれていたが、潜水艦の小さなハッチから物資を運びだしている間はほぼ無防備に近い状態で、付近を警戒していた駆逐艦はもちろん、魚雷艇に発見されただけでも艦の生存が危ぶまれるという有り様だった。そのため、潜水艦の輸送能力を増大させるという意味も含め、日本海軍は曳航式の物資輸送カプセルを投入した。輸送カプセルは運貨筒と呼ばれ、大中小の三種類が製造された。 運貨筒の開発経緯や能力については不明な点も多いが、もっとも大きな大型運貨筒の搭載能力は十数トンで、停止している間は海面上に浮かんでいるが、曳航されると本体のヒレによって海面下に沈む構造だった。運貨筒は1942年秋ごろから開発されたとみて問題はないだろうが、時期よっては日本海軍が実際に輸送作戦を開始する以前から潜水艦の物資輸送に関する様々な問題を認識していたことになる。とはいえ、ガダルカナル島から撤退した後に大型運貨筒の実験を行っていたという証言もあり、実戦での運用情況も含めて未解明部分の多い兵器といえる。 また、運貨筒は潜水艦の水中運動性能を著しく損なううえ、洋上で切り離された後には上陸用舟艇等で海岸まで運ぶ必要があったため、運用性という点では大きな問題を抱えていた。そこで、甲標的(小型の特殊潜水艦)の船体構造を利用して、短距離ながら自力航行が可能な特型運貨筒が開発された。特型運貨筒の構造は原型の甲標的とほぼ同じだが、動力が魚雷用エンジンに換装され、概ね25トンの搭載能力を有していた。外形は筒状の船体に煙突状の操舵室がくっついたようなもので、潜水艦によって運搬されるため水密耐圧構造も備えていたが、水中航行能力は無かった。開発は1942年末に終了し、翌年から量産が始まったとされているが、同時期には日本軍がガダルカナル島から撤退しているため、主にラバウルやニューギニア方面での輸送作戦に使用したのだろう。 そのほか、火砲を始めとする重火器を揚陸するための機材が求められたため、特型運貨筒に続いて、魚雷を動力として使用する運砲筒が開発された。運砲筒は箱型の艀に魚雷が取りつけられたような外見で、運貨筒や特型運貨筒のように搭載物を本体内部へ収納するのではなく、上陸用舟艇のように本体の上へ固定して運搬する。搭載能力は重量にして約15トンとされ、陸軍の15センチ榴弾砲なら砲弾を含め3門まで、野砲なら4門まで搭載可能だったとされている。ただし、より大型の重砲を搭載すると、予備砲弾はあまり搭載できなかっただろう。 開発着手から半年後の1943年夏にはラバウルに50隻の運砲筒が運び込まれ、ニューギニアやソロモン方面における輸送作戦に投入された。運砲筒による火砲の輸送作戦は極めて順調に行われ、作戦中には喪失しなかったというのだから、大きな成功を収めたとみてまちがいないだろう。また、翌44年にはグアム島への輸送作戦も実施されているが、この時は海中で火砲が脱落してしまったり、輸送中の潜水艦が撃沈されたため、目的地には一部の火砲が到達したのみである。 敵に制海権や制空権を奪われ、孤立した沿岸拠点へ物資を送り届けるという意味において、運貨筒や運砲筒は必要にして十分な能力を備えており、またその運用実績も悪くはないといえるだろう。運貨筒によってもたらされた食料は多くの将兵を飢餓から救ったし、また運砲筒によってもたらされた火砲によって、少なからぬ数の将兵が火力支援の恩恵を受けたであろうことはまちがいない。だが、根本的には敵に制海権や制空権を奪われ、孤立した沿岸拠点において戦い続けるという情況設定自体に問題があるといえないだろうか。(隔週日曜日に掲載)
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芸能 2015年09月13日 11時00分
今田耕司が明かしたストーカー被害の恐怖
先ごろ、ウーマンラッシュアワー村本大輔(34)にストーカー行為を繰り返した女性が逮捕され話題となったが、22日放送の読売テレビ「特盛!よしもと 今田八光のおしゃべりジャングル」で今田耕司(49)が過去に体験したストーカー被害を告白した。 今田が自宅マンションを出ようとすると、その女性は「急に非常階段からパーッと出てきて。まず、手を見たもんな。ナイフとか持ってへんかと思って」。以後、大量の手紙、赤ちゃん用の靴下、おしゃぶりなどが届けられ、「めっちゃ怖いやん」と振り返った。 また女性は今田にテレビの公開収録を見に行ったと話し、「見るからにちょっとヤバそうやったから、『ありがとうございます。でも入っちゃダメですよね』と話をしながら『下まで行きましょか』とエレベーターに乗っているときに『こないだ目が合って、ジュニアさんとか東野さんとか見なかったんですけど、今田さんだけ私を見たんですけど、あのとき何が見えたんですか?」と聞かれ、恐怖を感じたという。 その後も自宅前の公園の草むらから出てきて、「サンドイッチつくってきました」と現れたり、ドアノブに大量のお好み焼きが掛かけてあったりして、女性からの手紙を読むと、今田のことを神様と思っており、神の子を授かりたかったらしいと推測していた。 最終的には警察に連絡し騒動は終わったようだが、有名人に対するストーカーは想像以上に多いのかもしれない。
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スポーツ 2015年09月13日 10時00分
小塚桃子ゴルフ連載(44) 本格シーズンに備えて・1
9月に入り、残暑が厳しいのかなと思っていましたが、今年は台風の影響もあり、雨ばかり。結果、気温も上がらず、夏の猛烈な暑さからは回避できていますね。このまま、お彼岸を超えてしまうのでしょうか−−。 そこで、今回からゴルフが楽しくなる秋冬に向けて、準備しなければならないことを私なりにご紹介したいと思います。 これからの季節、早朝の日中では寒暖差が大きくウェア選びに苦慮します。 私の場合ですが、9〜10月下旬にかけては半袖のシャツを着て、その上にセーターを羽織ります。暑くなったらいつでも脱げる様なスタイルです。この時期は日中、結構暑くなりますからね。 11月頃になると、朝はかなり冷え込んでくるので、長袖シャツの下にインナーを着用。防寒対策を万全にします。勿論、暑くなったらインナーを脱ぎます。余談ですが、私はその場で脱ぐようにしています。簡単に脱げるので、「手っ取り早く!!」ということで…。 打球に関しては、空気が乾燥し始めるので、よく飛びます。日中はコース上も乾燥していて、球の転がりが良い。 ドライバーを打つと球が飛び、転がりもいいので、距離を稼げます。 ただ、アプローチは慎重になる必要があります。なぜなら、球が飛び過ぎるからです。 その一方で早朝は、秋から冬にかけての特徴でもある朝露の影響を受けます。露でコース上はぬかるみ、打球の転がりが悪くなります。ただ、パットのラインを読むには絶好。露でボールの転がった跡が残る。つまり、前の組がラインを教えてくれるのです。俗に言うカンニングですが、それが出来る事は大きいです。 ただ、これは早朝だけの特権で、徐々に気温が高くなると前述の通り、距離が出てくる。そうなると朝露はなくなり、カンニングが出来なくなる訳です。 私は夏より秋のゴルフが好きです。理由は、ラウンドしやすいから。暑くなくなり、気分的に余裕が生まれるからか、秋の方が集中できます。因みに私の周囲は、ほぼみんな秋派。スコアが全然違いますね。 ドライバーは、「バチーン」と打ってもいいのですが、2打目・3打目はボールが飛ぶことを考え、グリップを短く持つなり、番手を下げるなり工夫した方がいいでしょう。 当然のことながら、料金は夏より秋の方が断然、高い。8月は一気に値段が下がりますが、9月の声を聞いた途端、急騰。これには驚きます。 面白い事に8月は格安にも関わらず、私には誰からもお誘いがありませんでした。ところが9月に入った瞬間、お誘いが沢山ありました。値段の問題ではなさそうですね。 最後にクラブハウスでは随分前から秋冬物が出ています。今年の夏は、「フラミンゴ」が大流行。どこに行ってもフラミンゴ…フラミンゴ…。 今年の秋冬は、ニットのセットアップが狙い目のようです。
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芸能 2015年09月12日 18時00分
Fカップモデル体型の林みなほアナ レズ疑惑浮上は偽装工作か?
TBSの林みなほアナウンサー(25)が先日、レズ疑惑があると一部で報じられた。しかし、そのレズ疑惑自体が偽装であるという説が出始めており、その背後には男性の影が見え隠れしているという。 2012年にTBSに入社した林アナは『白熱ライブビビット』や『報道特集』などに出演中。身長は170センチという高身長で、バストは90センチのFカップと言われている迫力満点のグラマラスボディーの持ち主だ。 「小学校から大学までずっとスポーツをしており、体は締まっていながら巨乳であるというナイスボディーの持ち主です。学生時代にはプロ野球の東京ヤクルトスワローズでチアリーダーをしていたこともありました。1年ほど前に激太りを指摘された時期もありましたが、いまはダイエットで元の体型に戻っています」(TBS関係者) そんな風に入社以来、着実にファンを増やしている林アナに、想定外のスキャンダルが持ち上がった。それがレズ疑惑だ。一部報道によると、「私、レズなんですよね〜」や「女の子しか興味ないんです」などといった発言を繰り返しているというのだ。 確かに、林アナは小学校から大学まで女子校育ちで、入熱愛が報じられたこともない。同性愛に目覚めていたとしてもおかしくない状況だ。しかし、反論もある。 「いやいや、絶対にレズではないです。ちゃんと彼氏がいるようです。林は、そのナイスボディーを狙って、男性からアプローチがかなりあるそうなんです。TBSの女子アナの中でも、あの体は目立ちまくってますから。それをかわすために、レズなんて噂を流したんじゃないでしょうか。林はずっと体育会系で育ったため、サバサバした性格で、何より冗談が大好き。おもしろ半分にレズだと言ってるだけですよ。異性が好きなことは間違いない」(別のTBS関係者) レズ疑惑は否定された林アナだが、あのグラマラスボディーを独占している男性がいるとは…。羨ましい限りだ。
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芸能 2015年09月12日 17時50分
Kis-My-Ft2、日テレドラマ連続主演なら現実味を帯びるアノ噂
ジャニーズの人気グループ「Kis-My-Ft2」(日本テレビ)の玉森裕太が10月の深夜ドラマ「青春探偵ハルヤ〜大人の悪を許さない!〜」で主演をする。玉森にこの仕事を取ってきたのが、たびあるごとに「独立か?」と騒がれているSMAP育ての親の飯島マネージャーなのだが、この深夜枠が「飯島枠」といわれるようになるかもしれないという。 数々の主演を演じている玉森だ。いまさら主演を演じることに何ら驚きはないはずだが、そうではない。ある芸能プロ関係者は「日テレというところは、圧倒的にジュリー副社長の影響力が強い。嵐や関ジャニ∞、TOKIOとジュリー案件は喜んで使うが、飯島さん案件は二の次になった。この時間のドラマは読売テレビが制作なのですが、日テレの系列。しかもジャニーズタレントは初めて入る枠ですからね。そこで主演を取ってこれるというところに、飯島さんの力を感じさせた」という。 しかも、10月期だけではなく、来年の1月期にも連続でキスマイのメンバーが主演を演じる話も浮上しているのだ。「いまの企画段階では、主演に藤ヶ谷の名前が挙がっているんです。まだ確定段階ではないんですが、キスマイがクールを連続して主演なんてことは滅多にないこと。『ここって飯島枠になった?』と業界ではちょっと話題になっています。まだまだ玉森の視聴率次第で変わることもあるでしょうが、キスマイが連続ということになれば、ささやかれている独立も現実味を帯びてくるかもしれません」と同関係者。 飯島マネージャーが独立しても付いていくタレントがいるかどうかというのは未知数だが、強力なテレビの時間枠を持っているなら、話は別というところ。玉森の結果いかんでは芸能界が大きく揺らぐかもしれない。
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ミステリー 2015年09月12日 16時47分
最後列に写ったのは亡くなった整備兵本人だった!? 集合写真に写り込んだ幽霊
この写真は、1919年に撮影された「本物の心霊写真」として名高いものである。一見普通の集合写真なのだが、最後列左から四番目の男性に注目してほしい。皆と一緒に笑顔で収まっている男性の後ろに、陰鬱な表情の男性の顔が半分だけ覗いた状態ではっきりと写っているのだ。 この写真は第一次世界大戦時の1919年にイギリス海軍ダナイー級軽巡洋艦ディーダラス号の訓練施設にて撮影されたものである。この写真を見た部隊の隊員たちは、彼の後ろに写り込んだ人物の顔を見て、ある人物の名前を思い出していた。 彼の名はフレディ・ジャクソン。この写真が撮影される2日前に飛行機のプロペラと接触して死亡した整備士だった。しかも、この写真が撮影された正にその日、彼の葬儀が執り行われていたのである。 この写真は1975年、引退した空軍将校のビクター・ゴダード氏が著書で紹介したことで世間に知られることとなった。 もちろん、この写真についても二重露光など印刷ミスや撮影ミス、トリックなどを疑う声もあった。しかし、この男性と幽霊の顔をよく見れば全くの別人であることが判る上に、隣に立っている男性は軍帽を被っているが幽霊らしき人影は帽子を被っておらず、額が見えており髪型を見て取ることもできる。つまり、横の人物がぶれて写ったりしているわけではないということで、この写真は「本当に幽霊が写ってしまった可能性の高い」心霊写真の一枚であると言われているのである。 なお、ここに出てきた軽巡洋艦ディーダラス号はオカルト好きには別の方面でも有名な艦でもある。なぜなら、この巡洋艦は1846年に喜望峰の付近にてシーサーペントと遭遇、克明な記録を残しているからである。これだけオカルトがらみの逸話の多い艦も珍しいのではないだろうか。(山口敏太郎事務所)
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