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社会 2015年10月12日 14時00分
世の中おかしな事だらけ 三橋貴明の『マスコミに騙されるな!』 第145回 アベノミクスの終わり
2015年9月24日、アベノミクスが終わった。 安倍晋三内閣総理大臣が自民党総裁に再選されたことを受け、「誰もが活躍できる『1億総活躍社会』」という、恐ろしく抽象的というか、何となく鳩山由紀夫元首相の「友愛社会」を思い出してしまうスローガンを掲げ、「新3本の矢」により「GDP600兆円」という新たな目標に取り組むことを表明したのだ。「1億人が全て活躍する」とは、これはまたかなりサプライサイド(供給能力面)に偏った考え方である。 新たな3本の矢は、●第1の矢、『希望を生み出す強い経済』●第2の矢、『夢をつむぐ子育て支援』●第3の矢、『安心につながる社会保障』 だそうだ。 正直、目まいがしてしまった。数字も具体的な手法もなく、「こうなればいい」という願望を並べたにすぎず、かつての社会党や民主党の「政策」そのものだ。 今にして思えば「旧3本の矢」は、第3の矢である成長戦略はともかく、第1の矢「金融政策」といい、第2の矢「財政政策」といい、何と具体的だったことか。 旧3本の矢と比較するのも情けなくなる「新3本の矢」を掲げた総理は、 「投資や人材を日本に呼び込む政策を果断に進めていきたい」 と、発言した。相変わらずの外国頼みに、嘆かわしい思いを覚えた。 ところで、新3本目の矢「安心につながる社会保障」については、 「“介護離職ゼロ”を目指して、介護施設の整備や、介護人材の育成を進め、在宅介護の負担を軽減する。仕事と介護が両立できる社会づくりを、本格的にスタートさせたいと思います」 とのことである。 介護離職ゼロという“旗”を掲げるのは大いに結構だが、やるべきことは介護報酬と介護人材の給与引き上げ以外にはあり得ない。何しろ、「介護人材の育成」などしなくても、日本には「潜在的介護福祉従事者」が数十万人規模で存在するのだ。 日本の介護福祉登録者は120万人規模であるのに対し、介護福祉「従事率」は60%に満たない。つまりは、50万人規模で、「介護福祉登録をしているが、従事していない」人材が存在するのだ。 なぜ、彼ら、彼女らが介護産業で働いていないのかといえば、単に「給料が安い」ためである。介護従事者の待遇を見ると、男性の「きまって支給する給与」は、産業平均が年収362万3千円であるのに対し、福祉施設職員は同231万4千円。女性は「きまって支給する給与」の産業平均が同249万7千円に対し、福祉施設職員は同211万9千円。ホームヘルパーは、福祉施設職員と比べ、さらに給与が低い。男性で月額10万円の給料の差があるのでは、介護産業に人材が居つかないのも無理もない。 すなわち、「介護離職者ゼロ」を実現したいならば、最低でも「介護報酬」を引き上げ、潜在的介護福祉従事者を介護産業に誘導する必要があるのだ。政府が介護分野にきちんと「お金を払う」ことで、介護サービスの供給能力が高まり、介護を理由に離職せざるを得ない人たちは激減するだろう。それにもかかわらず、安倍政権が何をやっているかといえば、介護報酬の2.27%引き下げだ。需要が拡大している介護分野で、支出を絞り込んでいるわけである。 緊縮財政で介護従事者の給料が上がらず、離職が相次いでいる状況で、「介護人材の育成」などと言われると、 「結局、外国移民を受け入れて、介護従事者の給料を引き上げずに供給能力不足を埋めようとしているのではないか?」 と、わが国の将来にとって「重大な疑念」を抱かざるを得ないのだ。 しかも、総理は2017年4月の消費税再増税について、 「リーマンショックのようなことがない限り、予定通り実施することは今までも言っている。その考えに変わりはない」 と、明言。 今年度におけるわが国の再デフレ化が、現時点では「確定」したといっても構わないだろう。実際、'15年8月の消費者物価指数は、日本銀行のインフレ率の定義であるコアCPI(生鮮食品を除く総合)で▲0.1%と、ついにマイナス圏に突入した。 ところが、総理は会見でデフレについて、 「もはや『デフレではない』という状態まで来ました。デフレ脱却は、もう目の前です」 と語ったのだ。インフレ率がマイナスに落ち込んでいる状況で、「もはや、デフレではない」も何もあったものではない。 '12年の自民党総裁選挙以降、筆者が自民党や安倍総裁(当時)を支持したのは、 「金融政策と財政政策の政策パッケージでデフレ脱却を目指す」 と、これまでの政権とは比較にならないほど「具体的」にデフレ脱却策を明示したためだ。ポイントは「財政政策」の部分になる。デフレ脱却には、財政政策による需要創出が必須だ。 ところが、安倍政権は'14年4月に消費税を増税し、介護報酬をはじめとする政府支出を削減するという「負の財政政策」にまい進した。直近のインフレ率がマイナスに落ち込んだのは、安倍政権の「政策のミス」によるものなのだ。 目の前の「数字」から目をそらし、必要な政策(財政政策)にかじを切らず、言葉だけで「デフレではない」と強弁する。揚げ句の果てに、抽象的な「新3本の矢」をスローガンとして掲げる。 繰り返すが、アベノミクスは2015年9月24日に終わった。みつはし たかあき(経済評論家・作家)1969年、熊本県生まれ。外資系企業を経て、中小企業診断士として独立。現在、気鋭の経済評論家として、わかりやすい経済評論が人気を集めている。
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芸能 2015年10月12日 14時00分
キングオブコント2015 芸歴4年目の大穴コンビ“コロチキ”が優勝
関西のローカル芸人が、まさかのメイクミラクルを起こした!! 11日に開催された『キングオブコント2015』(TBS系)で、第8代目王座に輝いたのは、コロコロチキチキペッパーズ。芸歴4年目の大穴コンビだった。大阪のよしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属しながらも、全国的知名度はほぼ皆無。地上波のレギュラー番組も、生放送でネタを披露したことも、賞レースで決勝舞台に立ったこともない“魅惑ボイスのダークホース”だ。 エントリー総数2,455組から勝ち残った10組のファイナリストは、藤崎マーケット、ジャングルポケット、さらば青春の光、コロコロチキチキペッパーズ、うしろシティ、バンビーノ、ザ・ギース、ロッチ、アキナ、巨匠(ファーストステージのネタ順)。昨年からさらにルールが変更され、昨年までは司会を務めていたダウンタウン・松本人志が大会実行委員長となって、さまぁ〜ず、バナナマンと審査員席に座った。 ファーストステージではロッチに1位を明け渡したが、ファイナルステージで巻き返しに成功。総得点数933点を獲得して、大会史上最速となる結成4年目で頂点に立った。 超ビューティボイスの持ち主であるスキンヘッドのナダル(30歳)と、茶髪で小兵の西野創人(24歳)。年齢差6歳で、「先輩に“おまえみたいなヤツ絶対に売れへん”て言われた」(ナダル)悔しさも経験した。さらに、ナダルは、今でこそ美声がセールスポイントだが、「学生時代は音楽の時間に“歌うな”って言われたり、サッカー部のときも“笑うな”って言われたり。悲しいことあったけど、笑いで跳ね返した」と、悔しさをバネにできた喜びも大きい。 今年4月に放映された“アメトーークSP”で、ナダルの持ちネタである「やっべぇぞ!」がフィーチャーされて、その名はジワジワと浸透しつつあった。番組の好影響で仕事は右肩上がりになり、先月の月収はナダルが16万円で、西野は6万円。早くもコンビ格差が生じているが、決めフレーズがあるおかげで、バイト生活から脱出できた。そんな矢先に獲得できた、ファイナリストという名のチケット。このチャンスを逃すまいと、決戦当日も朝の9時から宿泊先のホテルで練習を重ね、万策を講じての大願成就だった。 優勝賞金の1,000万円は、ナダルの地元である京都・南山城村での凱旋ライブに費やしたい。余ったお金は、「芸人になることを反対しながらも、最後には許してくれた両親に」(ナダル)。 呼称・コロチキ。心地いい名フレーズ「やっべぇぞ!」が、日本中を席巻する日も遠くはない!? (伊藤雅奈子)
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芸能 2015年10月12日 12時24分
「キングオブコント2015」バンビーノ 批判噴出「絶望的につまらない」「最下位でいいよ」
11日、コント日本一を決定する「キングオブコント2015」決勝戦が行われ、“8代目キング”にコロコロチキチキペッパーズが輝いたが、6組目にネタを披露したバンビーノに、ネット上では批判が噴出している。 昨年の「キングオブコント2014」で「ダンソン」ネタを披露し、一躍ブレイク。知名度は一気に上がった。しかし、「ダンソン」のイメージが定着し過ぎているバンビーノは、そのイメージを払拭すべく新たなネタにチャレンジ。今大会では、魔術師と犬のコントを披露した。 審査員の点数は、バナナマン・設楽統が90点、バナナマン・日村勇紀が89点、さまぁ〜ず・三村マサカズが93点、さまぁ〜ず・大竹一樹が93点、ダウンタウン・松本人志が90点をつけ、合計455点を獲得。 大竹は「面白かったですね」とコメントし、設楽は「短い時間でかなり早めに世界に引き込まれた。キャラクターがちゃんと2人の面白い感じが伝わってくるというか…」と評価した。 バンビーノは1stステージ3位で通過。かなり評価が高かった。しかし、ネット上では「バンビーノ絶望的につまらない」、「バンビーノ最下位でいいよ」、「バンビーノくっそつまんなかった」、「バンビーノの点数なんなの」と批判が噴出。 審査員の点数に納得していない視聴者もいたようだ。
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芸能 2015年10月12日 12時13分
松本人志 さまぁ〜ずとバナナマンに敬意「キングオブコント2015」審査
11日、コント日本一を決定する「キングオブコント」が行われ、審査委員長を務めたダウンタウンの松本人志が、審査員を担当したさまぁ〜ずとバナナマンに敬意を表した。 8回目となる同大会。特に変わった点でいえば、審査方法である。昨年までは、準決勝で敗退した芸人約100人が決勝の審査をするという方法だったが、今回はダウンタウンの松本人志、さまぁ〜ずの三村マサカズ&大竹一樹、バナナマンの設楽統&日村勇紀の5人が審査を務めた。 番組序盤で各審査員が紹介され、審査委員長の松本は「我々こう審査員ていうのはね、リスクが非常に高いんです。そんな中、さまぁ〜ずとバナナマンが出てくれることに、僕は本当に敬意を表したいなと思ってるんです」と2組を称えた。 松本の発言に会場からは拍手が送られ、さまぁ〜ずとバナナマンは真剣な表情で松本の発言を受け止めていた。
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芸能 2015年10月12日 12時00分
爆問田中と山口もえが結婚 子供のことを最優先に考えた発表経緯
『爆笑問題』の田中裕二(50)が、タレントの山口もえ(38)と結婚すると発表し、会見を開いた。 会見後にはラジオの生放送があるにも関わらず、喜びに浮かれているせいか当初の予定よりも大幅に時間がオーバーし、ラジオ番組のスタッフが、慌てて呼びに来る一幕もあった。その結果、ラジオ番組には30分遅刻。だが、それだけ結婚発表ができたことに対する喜びがあったのだろう。 バツイチ同士の交際が明らかになったのは約2年半前。幾度となく結婚報道が流れたが、二人とも否定を繰り返してきた。その理由は、山口に8歳の女児と4歳の男児がいたためだ。 会見で田中が「昨年の夏、彼女の家で食事が終わった後にプロポーズした。彼女は涙ぐんで喜んでいました」と話したように、1年前には結婚を決めていた。しかし、その直後に結婚を報じられたときにも否定していた。今年の7月には同棲も始め、家具を運び込んでいる目撃情報もあったが、それでも結婚を否定。田中が所属する事務所の太田光代社長も、報道が出ると「弊社のタレント、誰も結婚してません!」と、ツイッターで反論していたほどだった。 その太田社長も2週間前に、田中から「運動会を見に行ってくる」という話を聞き、「(長女は)もともと(田中を)パパと呼んでいたけれど、『運動会に来てほしい』と言うのは相当なこと。(田中に)『このタイミングで結婚したら?』と言いました」と話し、これが結婚に進んだ理由だと説明した。そして、「運動会があった3日に週刊誌に写真を撮られた場合、掲載されるのは翌週。そのころにまた『2人の関係はどうなっているんだ?』となるよりは、意思は固まっているんだから、大安の4日に結婚して報告した方がいいとも思った」と、事務所の社長らしいコメントもしている。 「7月中旬、ビートたけしさんが、もえさんに『田中は、番組で使ったパネルを持ち帰る趣味がある』と、話しかけたそうです。そうしたら、もえさんが『そのパネル、いつも見ています』と答えたとのこと。たけしさんはこのとき、『二人は、すでに一緒に住んでいるんだ』と思ったそうですよ」(女性週刊誌記者) 田中は、山口の子供と3人一緒にお風呂に入っていることも明かした。「パパ」と呼ばれているだけではなく、実の親子以上になれた実感もあったに違いない。子供達の前で「パパ」、「ママ」と呼び合っている二人の新婚生活は、2カ月以上前から始まっていたのだ。
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レジャー 2015年10月12日 10時00分
【第66回毎日王冠】武騎乗エイシンヒカリ、鮮やか逃げ切り勝ち
天皇賞(秋)の前哨戦「第66回毎日王冠」(GII・芝1800メートル、11日東京13頭)は、武豊騎手のエイシンヒカリ(56キロ単勝1番人気)が、鮮やかな逃げ切り勝ち。天皇賞(秋)の優先出走権を獲得。同時に、本番へ大きく弾みを付けた。1分45秒6。2着ディサイファ(57キロ四位洋文騎手、単勝4番人気)1馬身1/4。3着イスラボニータ(57キロ蛯名正義騎手、単勝7番人気)クビ。 エイシンヒカリは父ディープインパクト、母キャタリナの牡4歳馬(芦毛)。馬主は(株)栄進堂。戦績=9戦8勝。主な勝ち鞍=重賞2勝目(15年エプソムカップ・GIII)。武豊騎手は3勝目(98年サイレンススズカ、14年エアソミュール)、坂口正則調教師は初勝利。「配当」単勝=(13)490円複勝=(13)220円(4)220円(6)320円枠連=(4)(8)560円ワイド=(4)(13)820円(6)(13)1270円(4)(6)1340円馬連=(4)(13)1880円馬単=(13)(4)3210円3連複=(4)(6)(13)6720円3連単=(13)(4)(6)2万8200円*レース結果については、必ずJRA公式発表でご確認ください。
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社会 2015年10月12日 10時00分
鍋メニューの“撒き餌”か 牛丼3社またもや値引きの皮算用
食欲の秋に朗報!? 『すき家』『吉野家』『松屋』の牛丼3社が「期間限定」と銘打ちながらも、再び値下げ競争に打って出た。 一時は“体力の消耗戦”と揶揄されるほど看板メニュー牛丼1杯の定価下げ競争に明け暮れてきた各社は、昨年暮れから今春にかけ、消費税率アップと牛肉の輸入価格高騰などを理由に値上げへと舵を切っていた。安い価格が魅力の牛丼は「デフレの勝ち組」と称されてきただけに、この大転換はデフレの終焉を印象づけた。それが期間限定とはいえ、再び値下げの3社揃い踏みである。「物価上昇率2%」を掲げていた安倍首相にとっても、この“裏切り”は頭の痛い話。背景には何があるのか。 「各社とも値上げを機に客単価が上がった半面、客数は大きく落ち込んでいる。これを回復する特効薬に選んだのが、値下げという名の“麻薬”だったということ。各社は恒常的な値下げに否定的なコメントを発表していますが、今回の値下げキャンペーンが成功したと判断すれば大きな誘惑に駆られる。1社がGOサインを出せば、他社が追随するに決まっています」(外食チェーン関係者) そうなれば牛丼ファンは大喜びだが、新興国での牛肉需要が拡大しており、暫定値下げをプッシュした現在の割安な牛肉価格が永続する保証はない。従って一斉値下げがあるにしても、今回と同じ期間限定にとどまりそうだ。 「実は今回の期間限定値下げには、各社の秘めた魂胆がある。『すき家』にせよ『吉野家』にせよ、秋本番を機に定番となった鍋メニューを投入する計画です。それに備えて客足を回復させ、できるだけ多くのファン層を獲得しておきたいのが本音。まして鍋メニューは牛丼よりも価格が高く、その分収益に寄与する。鍋以外の商品メニューを豊富にそろえておけば、さらに集客効果と収益増が期待できる。今回の値下げはテイのいい“撒き餌”作戦に他なりません」(証券アナリスト) それが吉と出ればまだしも“麻薬”の味にドップリ浸かるようだと目も当てられない。
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社会 2015年10月11日 16時00分
尼崎連続変死事件判決公判で明らかになった角田ファミリー“自殺強要”現場
'12年に発覚し世間を震撼させた「尼崎連続変死事件」。主犯格とされる角田美代子元被告(64=当時)を中心とした集団に、複数名が長期間虐待を受け死亡していたことなどが明らかとなったが、美代子元被告は逮捕後に留置場で自殺。主犯が不在のまま関係者らの公判が神戸地裁で開かれ、その残虐な経緯が明らかになっている。 「9月16日には、美代子元被告の内縁の夫である鄭頼太郎(65)、義妹の角田三枝子(62)、長男の健太郎(33)に対する裁判員裁判の判決公判が開かれ、3被告に懲役21年(求刑懲役30年)が言い渡された。3被告は、被害者5人に対する殺人や死体遺棄などの罪に問われていましたが、中でも残虐だったのは、三枝子被告の夫・久芳さん(51=当時)に関する事件のくだりです」(傍聴記者) 3人は久芳さんの生命保険金を手に入れるため、美代子元被告と共謀。'05年7月、久芳さんに沖縄県の万座毛の崖の上から飛び降りるよう指示して殺害に及んでおり、判決では、そこに至るまで何度も死ぬように追い込んでいた事実も認定された。 〈(久芳さんは)自転車で車道に飛び出し車に飛び込むよう言われ、平成17年2月中旬、これを試みるが死ねず、同月19日頃、美代子らと住む尼崎市のマンションからいなくなった。しかし、3月には見つかり連れ戻される。この際、美代子が久芳さんを責め、他も同じように叱責した〉(判決言い渡し) その翌月にも死ぬことを試みたができなかったという久芳さんは、「やっぱり怖くて」と命乞いするも、美代子元被告は「今さら何言ってんねん!」と激怒したという。 「崖の上でも久芳さんは逡巡しましたが、旅行に見せかけるための集合写真を共犯者らに撮影されながら『はよせい、はよせい』とすごまれ、自ら命を絶ったとのことです」(前出・記者) いまだに信じ難い事件だ。
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芸能 2015年10月11日 15時00分
「キングオブコント2015」審査員で鍵を握るのはバナナマン設楽&さまぁ〜ず三村
11日、日本一のコント芸を決定する「キングオブコント2015」決勝戦がスタートする。今大会は2455組がエントリーし、優勝賞金1000万円を目指し、芸人たちがガチンコで戦う! 今大会の注目は審査方法。第1回〜第7回までは準決勝進出者約100名が審査する方法だったが、今回はダウンタウンの松本人志、さまぁ〜ずの三村マサカズ&大竹一樹、バナナマンの設楽統&日村勇紀の5名が審査員を務める。ファーストステージでは抽選順にネタを披露し、ファイナルステージに進出できるのは上位5組。その芸人たちが2ネタ目を披露し、合計点が最も高かった者が優勝となる。 松本は「M-1グランプリ」で長年審査員を務めており、大竹も「M-1」と「THE MANZAI」で審査員を務めた経験を持っているため、空気感や緊張感などは体感しているため、問題ないだろう。 バナナマンは第1回「キングオブコント2008」に出場し、ファーストステージでは最高点を獲得。ファイナルステージに進出したが、惜しくもバッファロー吾郎に敗れ、準優勝に終わった。審査員でいえば、「M-1」や「THE MANZAI」、「R-1ぐらんぷり」のメジャー大会での審査員経験はない。ただ、フジテレビ「IPPONグランプリ」で審査を務めた経験を持っている。特に設楽には注目。バナナマンは関東のコント師として有名で、ネタを作っているのは主に設楽。独特な感性を持つため、彼の心に響くネタなのかということも重要だ。 そして、もう一人の注目人物は三村。「M-1」や「THE MANZAI」、「R-1ぐらんぷり」のメジャー大会での審査員経験はない。そんな三村は、審査員を務めることが公表されると、自身のツイッターで「キングオブコント審査員の発表したんだ? 真面目に初めての審査員やろうと思う」と意気込みを語っている。三村が一体どこまで真剣に審査を担当するのか心配される。さまぁ〜ずでいえば、主に大竹がコントの草案を作るスタンスをとっており、三村はコントネタのツッコミを担当。三村はツッコミという部分に重点を置いて、審査をするかもしれない。 今回から採用された審査方法なだけに未知数であるが、とにかく審査員には真剣に審査をしてほしい。
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社会 2015年10月11日 14時00分
達人政治家の処世の極意 第二十回「小渕恵三」
オレは“ボキャ貧”だから、『お疲れさま』の一言だ。それでもここまで来ることができた。 平成10年7月、橋本龍太郎首相退陣を受けて首相に就任した小渕恵三に対する世間の反応は、何とも冷ややかなものであった。当時イケイケの議員だった田中真紀子(後に外相)からは小泉純一郎への「変人」、梶山静六への「軍人」と共に「凡人」とキメ付けられ、米国のマスコミからは取り立てて強いリーダーシップも窺えない“味気のなさ”から「冷めたピザ」との酷評も頂戴した。政権発足時の内閣支持率もわずか20%程度と、異例の低さだった。 しかし、政権の座にすわった小渕は内政・外交とも一変したかのように次々と大胆な決断力を発揮、世論の懸念は徐々に氷解し、ジリジリと右肩上がりの支持率を見せていった。内政では折からの不況下、前任の橋本首相が掲げた「財政構造改革」を思い切ってタナ上げし、政権運営の照準を景気回復一本に定める一方、中央省庁改革法、国旗・国歌法など、それまでの政権の懸案法案を次々に成立させていった。また、外交も韓国との間で日韓共同宣言、中国とも同様に共同宣言を発表、両国に譲るところは譲りながら、その歴史認識の国益を頑固に守り抜いて見せた。こうしたことを背景に米国メディアなどはやがて手のヒラを返し、冷めたピザに「風味が出てきた」などと報じたのであった。 その小渕は、当選、落選を繰り返す代議士だった父・光平の跡を継いで政界入りを果たした。早稲田大学文学部で学ぶ一方、雄弁会のサークルに所属していた。筆者も一時その雄弁会にいたのだが、当時の先輩から、次のようなエピソードを聞いたことがある。 「小渕先輩は、雄弁会一、二を争う生マジメさだった。同じ先輩たちがよく怪しい“新宿2丁目”の青線に出入りしていたのに、誘っても絶対に行くことはなかったと聞いた。その上で、オレがオレがタイプの多い雄弁会の中でも口数が少なく、人と争うことをしなかった。しかし、一方で物事がモメたとき、小渕さんが一枚加わると不思議に合意が生まれたそうだ。雄弁会史上、人柄ではダントツの小渕さんだったとされている」 政界入り後もそうした小渕の姿勢は変わることなく、常に一歩引いた発言が目立った。表題の言葉もそうで、後に首相となったあとも「オレは“真空総理”だから、自分から考え方を押し付けないから対立することがない。無、空ということなんだナ」とも言っていた。表題にある「(周りに対する)『お疲れさま』の一言で、ここまで来ることができた」はむろん謙遜の弁にほかならないが、政界入り後も万事が一歩引きながら、ひたすら合意形成に努めたということだった。 こうした手法は学生時代の雄弁会当時からの延長線上にあるが、一方で、これは竹下登元首相のもとでさらに磨かれた合意形成手法と言えた。竹下についてはこの連載でも以前に触れているが、徹底的に一歩引いたリーダーシップで合意形成を固めていったそれまでに稀有な首相であった。なるほど、小渕は政界入り後、この竹下を「政治の師」とし、長く側目にいたのである。竹下も小渕をかわいがり、竹下内閣では官房長官を任かせた。昭和天皇崩御の際の新元号「平成」を記者会見で発表した姿が記憶に残る。竹下が亡くなる前年、その竹下に、筆者は弟子としての小渕の人となりを質した思い出がある。 「小渕は若い議員によく言ってたわナ。『謙虚であれ、誠実であれ、勇敢であれ』と。これを小渕に言わせると、“三あれ主義”ということだった。しかし、キレ味は見せないが合意形成づくり、したたかさはひょっとするとオレより上かも知れん。譲るべきは譲るが、貫くところは貫く決断力がある。昨年(平成11年)秋の自民党総裁選再選時、挑戦を受けた加藤紘一と山崎拓を、その後の改革人事でピシャッと斬り捨てた。あれがいい例だ。オレにはあそこまではできない。実は、神経は相当に太い男だ」 小渕自身は度々会っていた筆者に、穏やかな表情でよく言っていたものだ。「平凡に勝るものはないね」と。小渕流の常に一歩引きながら、しかし、したたかなリーダーシップ、合意形成法は一考に値する。 一時は「日本初の女性首相候補」との名が高まったが、“政治とカネ”で謹慎を余儀なくされている小渕優子前経産大臣は、その娘である。=敬称略=■小渕恵三=第84代内閣総理大臣。総理府総務長官(第29代)、沖縄開発庁長官(第10代)、内閣官房長官(第49代)、外務大臣(第125代)などを歴任。総理在任中の平成12年5月、脳梗塞が原因で死去。享年62歳。小林吉弥(こばやしきちや) 永田町取材歴46年のベテラン政治評論家。この間、佐藤栄作内閣以降の大物議員に多数接触する一方、抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書多数。
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