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スポーツ 2015年12月07日 16時00分
俺たちの熱狂バトルTheヒストリー〈実力伯仲の“輪湖対決”〉
中学1年にして体重100キロ超。洞爺湖に程近い北海道の壮瞥町ですくすくと育った少年は、その体躯でいながらスポーツ万能。野球や水泳に才を見せ、柔道では体格で上回る高校生を投げ飛ばしていたという。 “北に怪童あり”との評判は瞬く間に広まり、この少年の元へ多くの相撲部屋からスカウトが参集した。 そうして三保ヶ関部屋に入門した北の湖は、1967年(昭和42年)1月、13歳にして初土俵を踏むと、中学卒業間際の'69年3月に15歳9カ月で幕下に昇進。以後、当時の最年少記録を次々と更新するスピード出世を果たすことになる。 だが、同じ頃、相撲界はもう1人の“天才”出現に沸いていた。日大相撲部時代に、学生横綱をはじめとするタイトルを総ナメにした輪島である。'70年1月に幕下付出で初土俵を踏んだ輪島は、一直線に番付を駆け上がると、'73年5月場所には幕内全勝優勝。角界入りからわずか3年半で、横綱にまで昇進してみせた。 金色のまわしを締め込み、得意の左下手投げは“黄金の左”と呼ばれて一世を風靡。リンカーン・コンチネンタルで蔵前国技館に乗りつけるなど、派手なふるまいは一部でひんしゅくを買いながらも、大相撲新時代の到来を予感させた。 5歳年上ながら後輩の輪島が快進撃を続ける中、北の湖も18歳7カ月で新入幕。輪島が横綱に昇進した'73年には、小結に昇進して初の三役入りを果たした。 「北の湖の昇進の早さも相当で、まだ19歳という若さから次世代のホープとして注目されてはいたものの、当時の輪島は別格でした。でも、北の湖自身は、のちに『この頃が一番相撲を取っていて楽しかった』と話しているように、輪島をライバル視することなど毛頭なかったのでしょう」(スポーツ紙大相撲担当記者) 70年代初頭に大鵬や北の富士、玉の海ら人気と実力を備えた横綱が次々と引退し、土俵は主役不在となっていた。関係者や好角家は“輪島時代”の到来を予感していた。 しかし、北の湖も急成長を見せ始める。三役昇進までは攻めっ気の強い突き押し相撲であったが、関脇に昇進した場所中、足首を骨折したのを契機に四つ相撲へと切り替え、これが功を奏した。成績は上昇し、翌'74年には初場所と5月場所で優勝を飾り、続く7月の名古屋場所で、ついに綱とりに挑むまでになる。 13勝1敗で千秋楽を迎え、優勝に王手をかけた北の湖は、2敗で追いかける輪島との直接対決を迎える。ここで輪島は得意の左下手投げで勝利すると、相星での優勝決定戦にも勝利。先輩横綱としての意地の逆転優勝を果たしてみせた。 だが、優勝を逃した北の湖も、成績優秀により晴れて横綱に昇進。ここから両雄による“輪湖時代”が始まった。2人が横綱に在位した約6年半、千秋楽の結びで20番を戦って、共に10勝とまったくの互角。そのうち、どちらかに優勝が懸かった対戦は7番を数える。 また、両者の対戦は1分を超える大相撲になることが多く、三度の水入りとなる熱戦もあった。 「北の湖は右上手、輪島は左下手を得意とするため、両者の取組では当然がっぷりの左四つになるのですが、ヘタな動きは墓穴を掘ることになり、自ずと慎重な取り口になるわけです」(同) とはいえ、ただ組み合って固まっているわけではなく、北の湖が低い重心からの寄りや腹に乗せての吊りを見せれば、輪島は半身の体勢から左下手投げを打って堪え、右の腕で絞って寄り返すという攻防が繰り広げられる。 「黄金の左と呼ばれた輪島ですが、実は右の腕力こそが強烈で、右で絞って相手を崩すから左の下手投げが決まる。北の湖もこれを分かっていて、輪島の右をいかに殺すかに心を砕く。豪快な取り口の中の細かな駆け引きも、両者の対戦の見どころでした」(同) 70年代中盤以降は輪島が腰痛などで休場することが増え、一方の北の湖は“無事これ名馬”を地で行っていたため、今となっては北の湖優勢の印象を持つファンも多いだろう。 しかし、輪島23勝、北の湖21勝の対戦成績が示す通り、実力伯仲の名勝負であったのだ。
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トレンド 2015年12月07日 16時00分
なんと「正露丸」が漫画に! 心温まる笑いありの学園ストーリー!
ラッパのマークでおなじみの正露丸(大幸薬品株式会社)が、なんと漫画に! マンガ雑誌アプリ・マンガボックスとコラボし、正露丸の公式ホームページで公開された。 公開された漫画は、「正露丸くん」「糖衣ちゃん」といった商品名のキャラクターが出演した学園ストーリー。 一見、物静かで雰囲気が怖い「正露丸くん」。クラスメートからもちょっぴり距離を置かれる存在だが、双子の妹の「糖衣ちゃん」がその誤解を解き、「正露丸くん」の本当の優しさを伝えるという物語で、商品が上手く擬人化されている。「正露丸くん」のクラスメートである大人しめの女の子「後田さん」が、お腹の調子を壊していくことからストーリーが始まり、ちょっぴり笑ってしまうシーンも。 人や物は見かけによらない。理解して初めて分かり合えることがある。笑いもあり暖かくもあるそんなストーリーに仕上がっている。 まもなく忘年会&新年会シーズン。お腹や胃腸の調子を崩してしまう方も多いだろう。「正露丸」は食あたり、水あたり、消化不良といった食べ物・飲み物が原因で起こる軟便・下痢にすぐれた効き目を発揮。「セイロガン糖衣A」は胃腸薬で、正露丸同様に軟便や下痢には効果絶大! これからのシーズン、手放せない薬となりそうだ!
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芸能 2015年12月07日 15時00分
3年危機説にはまったKAT-TUN
依然として釈然としたコメントを出さないKAT-TUN・田口淳之介。来年3月のグループ脱退、ジャニーズ事務所の退所を発表しているが、いちばん気になる理由は口にしない。元来、セクシー&ワイルドが売りのKAT-TUNでは浮いた存在だった田口。すべりギャグの「入口、出口、田口で〜す」は定着しつつあるが、メンバーは快く思っていないのが実情だ。 そんなKAT-TUNからメンバーが抜けるのは3人目。赤西仁、田中聖に続き、来年の歌手デビュー10周年という祝いの時期に、メンバーがちょうど半数(3人)になる。そして、この悲劇の脱退劇には、ある法則が隠されていた。なんと、3年周期で1人ずつ抜けているのだ。 赤西は、亀梨和也と人気を二分しながらも、日本の音楽・生活に違和感を抱き、ソロシンガーとして視野を広げた。結果的に、それが決定打となって10年7月、脱退を表明。12年に女優・黒木メイサとの電撃デキ婚を発表して、現在はパパに。ワーナーミュージック・ジャパンに所属して、「JIN AKANISHI」名義でアーティストをしている。 この3年後の13年、ワイルド担当の田中が解雇。「度重なるルール違反行為があった」ため、事務所を辞めて、グループも脱退。赤西と同じく、当時から音楽活動の続行を明かしており、現在は5人組バンド・INKTのボーカルだ。そのいっぽうで、品川庄司・品川ヒロシが監督を務めた映画『サンブンノイチ』(14年)にも出演した。 そして、来年16年には田口が抜ける。一般的に、交際相手や伴侶とは3日、3か月、3年といったように3年周期で別れが訪れるという説があるが、KAT-TUNはその“3年危機説”がモロにバッティング。ということは、2019年にも何かが起こる!?
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アイドル 2015年12月07日 14時00分
喜屋武ちあき 結婚したいのは『おそ松さん』の十四松です!
熱狂的なアニメヲタクとしても注目のグラビアアイドルの喜屋武ちあきが、2016年度カレンダー(トライエックス)の発売を記念したイベントが、6日、都内で行われた。 去年のカレンダーは、DVDの撮影した時のカットから選んで制作されたのだが、今回はすべて撮り下ろしであり、色々とこだわって撮影されたそうだ。その中でもオススメのカットを聞いてみると「表紙がオススメです。胸が大きく写っているカットなんですけど、飾った時に、目の前に胸があったら幸せになれると思うので、これを選んでみました」と説明した。 買って頂いたファンに飾って欲しい場所を聞いてみると「運気が一番上がる場所の玄関ですね。しかも玄関の外に飾ってもらいたいです。外に飾ると盗難の恐れもありますけど、そういう時に備えてイッパイ買っておいて欲しいです」とアピールした。 年末ということで、2015年を振り返ってもらった。「苦労の1年でした。作詞とか新しいチャレンジをたくさんしたのですけど、タレントができるの?とか思われてしまったり大変でした。去年までは風男塾のメンバーでしたけど、卒業して自分の時間が多くできるようになって、アニメを見たりゲームをしたりとかたくさんできるようになって、自分で時間のバランスを取れるようになりました」と振り返った。 現在31歳になり結婚してもおかしくない年齢である。そんな喜屋武に結婚について聞いてみると「ありとあらゆるところで出会いを探しています。街中でもすごい見ているんですよ。いい人はまだ見付けられないですけど、いい人がいたらすぐに結婚すると思います。理想の男性はフィギュアスケートの羽生結弦君で二次元なら『おそ松さん』(TVアニメ)の十四松が大好きです」と結婚願望を聞かせてくれた。果たして喜屋武は結婚できるのだろうか?
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社会 2015年12月07日 14時00分
達人政治家の処世術の極意 第二十八回「安倍晋太郎」
政治記者の要諦は、現実に驚くのではなく物事の行方の見定めだ。それが後年役立った。 安倍晋太郎はわが総理大臣、安倍晋三の父君である。岸信介元首相の長女・洋子と結婚、次男として晋三をもうけている。表題の言葉は毎日新聞政治部時代に体得した「要諦」が、後年、政治家になったときに役立ったことへの述懐である。 こうした安倍の言葉を一般社会に当てはめれば、例えば企業などでは業績の盛衰、意外な人事等々、アレ? と驚くような現実に直面することが多々ある。しかし、こうしたことに驚いているだけでは何の意味も持たない。これが今後どのような問題を惹起していくのか、その行方を分析する眼を持てと言っている。 そうした眼を養っていれば、後年、自分が会社の幹部になり、同様の場面に直面しても、その蓄積が冷静な判断を呼ぶのだ、ということである。 安倍は政治部記者時代に同じ山口県出身の岸信介を知り、それが縁で娘の洋子と見合い結婚した。一族がそうだったように郷土の英雄、高杉晋作を尊敬していたことから一字を取り、次男を晋三と名付けたのだった。記者生活は約8年間。その後、岸の秘書を経て政界入りを果たした。毎日新聞政治部で安倍の4年後輩だった故三宅久之(元政治評論家)は、安倍の横顔を次のように話してくれたことがある。 「記者時代は“岸ルート”で特ダネも物にしたが、特オチもあった。目から鼻に抜けるようなタイプではなく、歯に衣を着せずにズケズケ物を言うことも多く、言うなら竹を割ったような性格だった。一方で、茫洋、お坊ちゃん育ちでお人良しだったが、シンは強かった。記者の退職金は当時8万円(※注:今なら100万円ほど)だったが、後輩、同僚十数人を引き連れて銀座のキャバレーに行き、一晩で使い果たしたというエピソードがある。政治家になって政策には必ずしも強くはなかったが、先見性にはなかなかのものがあった」 先見性とは表題の言葉にある「物事の行方の見定め」ということでもあるが、その典型的な例が、佐藤(栄作)政権のあとを争う昭和47年の「角福」戦争にあった。当時、安倍は岸派を継いだ福田(赳夫)派の参謀兼行動隊長格で、時に福田は田中角栄と天下を争っていた。このときの総裁選での両陣営の多数派工作の裏面を、筆者も取材している。 総裁選の半年くらい前から田中は「情と利」のあらゆる手を駆使、田中派幹部たちも田中支持を集めるために他派議員の懐柔に奔走していた。一方の福田はとなると、一部に佐藤の福田への政権「禅譲」説が流れていたこともあり、人の良い福田は積極的な多数派工作を怠っていた。 ところが、安倍は天下分け目の総裁選のはるか前に、佐藤や田中の性格分析に加え他派の動向を察知、多数派工作の必要性を福田に進言していた。しかし結局、福田は動こうとはしなかった。結果、田中は大平(正芳)派、中曽根(康弘)派、三木(武夫)派の支持を固めて福田を一蹴、天下を取ってしまったのだった。まさに、安倍の「現実に驚くのではなく物事の行方の見定め」に重きを置かなかった結果と言えた。福田が安倍の先見性を汲んでいたら、結果は変わっていた可能性もあったのである。 いささか失意の安倍ではあったが、田中角栄首相がロッキード事件を機に失脚、三木武夫に政権が回って以後、それぞれの政権に先見性と党内調整のうまさから三木内閣で農相、その後に福田赳夫が政権の座に就くや官房長官、またその後の鈴木(善幸)政権では党政調会長の重責を任されることになる。 こうした一方で「福田派のプリンス」の声もあった安倍は、初当選同期の当時の田中派幹部だった金丸信(後に副総裁)から同じ田中派の有望株だった竹下登(後に首相)共々「君たち2人で協力しながら天下を競い合え」との激励を受け、竹下と安倍は「タケちゃん」「アベちゃん」と呼び合う仲になった。この両者に向け、当時、気鋭の小坂徳三郎を加えて、世代交代を嫌うベテラン議員からは「憎い安竹小」とのカゲ口も出るなど着実に政界の階段を昇っていった。 しかしその後、中曽根(康弘)政権が誕生、5年余の長期政権が終わるとき、中曽根は後継に最大派閥を擁する竹下を「裁定」、その竹下は自分の後継に安倍を描いたが安倍は無念の病いを得、ついに天下を取るには至らなかったのである。 一方で、「アベちゃん、甘ちゃん」の声もあったように、いささか“詰め”には甘かった安倍だったが、「物事の行方の見定め」を重視した処世訓は一考に値する。=敬称略=■安倍晋太郎=通産大臣、外務大臣ほか党3役などを歴任。岳父に岸信介元首相、義理の叔父は佐藤栄作元首相。竹下登元首相、宮澤喜一元首相と並び、ニューリーダーの1人に数えられた。安倍晋三首相の父。小林吉弥(こばやしきちや) 永田町取材歴46年のベテラン政治評論家。この間、佐藤栄作内閣以降の大物議員に多数接触する一方、抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書多数。
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アイドル 2015年12月07日 13時50分
藤田ニコル 彼氏と別れて淋しいのでガチでクリスマスを過ごせる人を募集!
モデルでタレントの藤田ニコルが『にこるんです。』(角川春樹事務所)の発売を記念したイベントが、6日、都内で行われた。 初のスタイルブックの発売ではあるが、かなりヘビーな内容になっている。「17年間のすべてを細々にまとめた感じになっています。今までの恋愛も全部を語っていたり、お母さんと対談もしています」と説明した。 その中でもオススメのページを聞いてみると「お母さんとの対談ですね。お母さんはバツ2なんですけど、お母さんがどういう人生を送ってきたか聞いているので、そこは絶対に読んで欲しいです」と薦めた。 赤裸々に告白をしているスタイルブックだが、お笑い芸人のピスタチオも絶賛しているという。「2人とは仲が良くて、テレビのロケで混浴した仲なので、こう言ってもらえて嬉しいです」と話した。 今年はテレビや雑誌に引っ張りだこだった藤田だが、どんな1年だったか振り返ったもらった。「去年はモデルを中心に活動していたので、こうやってテレビに出る自分が想像できなかったので、ガラッと変わった明るい1年でした。すべてが楽しかったので、仕事をしている自分が好きでした」と振り返った。 春には高校を卒業してしまうので、それまでにやっていきたいことを聞いてみると「リア充なクリスマスを過ごしたいです。今年のクリスマスも一応マネージャーに夕方くらいから空けて欲しいと伝えているんですよ。でもまだ相手がいないんですよ。年上のお兄さんみたいな人を募集しています。待っていますから」と力説した。半年前に彼氏と別れているので、クリスマスの相手も本気で欲しいそうだ。「私が彼氏に対して重いんですよ。それを改善したいと思います。一途なタイプでハマってしまうところがありますけど、尽くすタイプなので、割とイイ女だと思います」とアピールした。 果たして藤田に新しい恋人は現れるのだろうか?
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アイドル 2015年12月07日 12時40分
柳ゆり菜 姉の色気には勝てないです!
グラビアのみならず、女優としても活躍中の柳ゆり菜が、2016年度のカレンダー(ハゴロモ)の発売を記念したイベントが、5日、都内で行われた。 昨年もカレンダーを発売して、2年連続での発売になったが、出来立てホヤホヤのカレンダーを手に取った感想を聞いてみると「去年と違って大人になって成長した私を思う存分表現して、今年の私を詰め込んだカレンダーになっています」と話した。 カレンダーといえば飾る場所も重要である。買ってくれたファンに、どこに飾ってもらいたいか聞いてみると「お風呂とかいいですね。一番ホッとする場所なので、半身浴をしながらじっくり私を眺めてもらいたいです」と語った。 年末ということで、1年を振り返ってもらうと「外に出ることが苦手なので、苦手なことをした方がいいと思って、色々な習い事をしました。日舞やボイストレーニング ダンスなど色々なことをやりました。これからもアクションとかもやっていきたいです。意欲が湧いた1年になったと思います。今までの人生で一番早い1年でした」と振り返った。続いて来年の目標を聞いてみた。「今の私に無い違った部分が成長できたらと思っています。自分の新しい魅力を出していきたいです」と語った。 今イベントの数時間前には、姉の柳いろはも近くでカレンダー発売イベントを行っていた。ライバルでもある姉とカレンダーの比較をしてみて勝っているところを聞いてみると「姉には何事も負けたくないですけど、姉の背中を越すのがひとつの目標なので、どんなことも負けたく無いです。色気では勝てないと思いますけど、トータル的には負けていないと思います」とコメントした。 来年はライバルでもある姉と共演することもあるかもしれないので、そんな夢の共演を期待したいと思う。
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アイドル 2015年12月07日 12時40分
柳いろは カレンダーはトイレに飾って欲しいです!
グラビアアイドルの柳ゆり菜の姉であり、美人姉妹として注目の柳いろはが、2016年度のカレンダー(ハゴロモ)の発売を記念したイベントが、5日、都内で行われた。 今年が初めて発売となったカレンダーだが、来年も私とともに過ごして欲しいという気持ちで撮影に挑んだそうだ。そのカレンダーの内容はなぜかコスプレが中心になっているそうだ。「水兵さんになったり、バブルを感じさせるような扇子を持ってボディコンとか着ています。妹に見せたら水兵さんがいいって言っていました」と話した。 妹もカレンダーを発売していて、そこで2人で見せ合ったそうだが、妹に勝っていると思うところを聞いてみると即答で「色気」と答えた。 カレンダーといえば飾る場所も重要。そんなカレンダーをどこに飾って欲しいか聞いてみると「トイレとかがいいですね。私を見ながらもよおしてもらっていいですから。カレンダーを見て1日を頑張ってもらえたらと思います」とおどけてみせた。 年末ということで、今年を振り返ってもらった。「色々な経験ができた年でした。初めてのこともたくさん挑戦もしました。海外ロケとかも多くて楽しめましたね」と振り返った。続いて2016年も目標を聞いてみると「25歳になってアラサー寄りの年齢になるので、大人の女性として色々なことを身に着けたいです。私は知識が足りないので、色々な活字を読んでいきたいです。仕事では妹との共演もしてみたいですね」と意気込んだ。 最後に恋愛について聞いてみると「12月4日に25歳になったばかりですけど、大人の女性なので、いい出会いを見付けたいです。ちなみに誕生日は妹と過ごしました。クリスマスも一緒に過ごす男性もいないので、時間を見付けて遊びたいです」とアピールした。
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芸能 2015年12月07日 12時00分
ついに大台突破でぽっちゃり以上に? 水卜麻美が本気ダイエットである女優を目指す!
間もなく発表される、毎年恒例『好きな女性アナウンサーランキング』の3連覇を目指す水卜麻美アナウンサー(28)に、黄信号が点滅している。 “ぽっちゃりアナ”として人気が出た日本テレビの水卜アナだが、ここ最近はぽっちゃりの域を突き抜けてしまったという。体重も大台の60kgを超えてしまったようで、本人も危機感を覚えており、再び何度目かのダイエットに挑むという。今度こそ抜本的な“改革”を目指しており、目標は藤原紀香のようなボディーという、耳を疑うような話まで飛び込んできた。 「水卜アナは完全に太り過ぎです。最近はぽっちゃりを通り越して、太っているという段階まできてしまい、ファン離れが心配されています。さらに、夏には『関ジャニ∞』の横山裕とのスキャンダルが発覚したことで、女性層の支持を失ってしまった」(女子アナウォッチャー) 毎年放送されている、日テレ夏の看板番組『24時間テレビ』に向けて体を絞り、帳尻を合わせてきていた水卜アナだが、今年は横山とのスキャンダルのせいで誤算が生じ、デート現場となったボクシングジムに通うことができなかった。そのため、例年通りの体重調整ができずに、どんどん体重は増えているのだという。 「一説には60kgを超えてしまったという話もあります。さすがに水卜も『ヤバイ!』と漏らしており、近いうちに過去最大のダイエットに挑むことにしたのです。今回の目標は、ただ体重を落とすだけではなく、メリハリのある女性らしいボディーを作ること。理想は藤原紀香で、これを機に、イメージチェンジを図っているようです」(日テレ関係者) 水卜アナは紀香ボディーを目指し、まずは目を皿のようにして、藤原のブログをチェックしたそうだ。 「藤原が愛用しており、健康や美容に良いとされているヘンプオイルを入手したそうです。麻の種子からとれるオイルで、女性の間で注目されています。他にも様々なヒントを得て、すっかりノリノリになっているとか」(芸能プロ関係者) ぽっちゃりして親しみやすかった水卜ちゃんから、ボンキュッボンの水卜アナに変貌を遂げる日も近い!?
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芸能 2015年12月07日 12時00分
イケメンコンビ・WaTが解散発表
ウエンツ瑛士と小池徹平のデュオ「WaT」が6日、都内でデビュー10周年記念ライブを行い、来年2月11日の握手会イベントをもって解散することをサプライズ発表し各メディアが大々的に報じている。 記事をまとめると、サプライズ発表はライブの終盤。ウエンツが「来年2月のアルバムのリリースをもってWaTは解散となります」と報告。ウエンツはうつむき、涙をこぼし、言葉にならないウエンツに代わって、小池が「WaTとして100%の力でやっていくことが厳しくなってきました。100%で向き合いたいという前向きな決断」と経緯を説明。ウエンツも「僕らは『1+1』が10にも100にもなると思っていた。節目を迎えて僕らがいまだに『1』じゃいけない。個人的な力をつけないと」と胸中を明かしたという。 「05年11月にデビューしレコ大の新人賞を獲得。同年の大みそかには史上最短のデビュー1か月と29日で紅白歌合戦に初出場したが、2人が所属する大手芸能プロのバックアップがあったから。それでも、最近2人はソロ活動に力を入れ始め、10年9月のシングル発売を最後に、音楽活動から遠ざかっていた」(芸能プロ関係者) ウエンツ、小池ともにソロでバラエティー番組や俳優活動を精力的にこなし、解散することに至ったのだが…。 「小池といえば、滝沢沙織、綾瀬はるか、芹那らと次々と浮名を流した遊び人。ウエンツはなかなかストイックで、遊び人として名前が知られた小池との活動を好まなくなり、解散話につながったのでは、ともっぱらのうわさ。おそらく、解散後、2人が共演することはなさそうだ」(芸能記者) 解散から時間が経ったら、2人のどちらかに解散の真相をぶっちゃけてほしいものだ。
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大みそか参戦ほぼ決定 芸能人対決 金子賢vs押尾学
2006年10月10日 15時00分
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GII毎日王冠 テレグノシス花道V
2006年10月07日 15時00分
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アイルランドT キンシャサノキセキ断然
2006年10月06日 15時00分
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よしお兄さん、だいすけお兄さんの結婚を祝福「直接聞きました」 パパとしての喜びを語る
1999年11月13日 11時50分
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マギー司郎「童貞は舞台に立たせない」
1990年12月15日 12時55分
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中居正広がクレカ被害、詐欺師に対し「可哀想」
1990年11月15日 11時21分
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1970年09月27日 12時20分
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1970年09月26日 22時43分
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1970年09月26日 22時10分
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