地下に埋めるというのは、もうムリな話でしょう。では実際にどう処理するかといえば、少し冷やしたらプールから引き上げて、ドライキャスクに入れてその中で冷やし続けるしかありません。ドライキャスクは、使用済み核燃料を中間貯蔵する際に用いられる容器で、実は、福島第一では既に使われています。津波をかぶって、ワカメが至る所に張り付いているけど、中はまったく大丈夫と言っていました。それをどこで管理するかが問題です。
原発立地の自治体は、そこまでウチの責任ではないと言っています。消費をした人たちの責任だから、東京でドライキャスク何本、神奈川で何本と引き受けてくださいよ、と。その気持ちはよくわかります。
ですから、ドライキャスク何本分まで核のゴミを増やせるか、国民合意を取らなければなりません。そこまでの範囲でなら、再稼動も検討の余地アリだよねという話になる。
このドライキャスクも、あくまで“暫定保管”ですが、今までの最終的に埋めることを前提にした“中間”という曖昧な言い方よりは“現実的”でしょう。埋めるかどうかも含め、最終的にどうするかを決めずに、今はとりあえずこの形で持っているしかないということですね。後退かもしれませんが、やれる見込みがないのに「2045年までに青森県からすべて引き上げる」という約束をするようなインチキよりはマシということです。
'30年代に「原発稼動ゼロ」という民主党方針の撤回を公約にしている自民党だが、電力の自由化で局面の打開を図ろうとしているのか。
自民党は発送電分離などの電力改革をやって、市場原理で原発を減らしていこうという方向を向いてはいます。今は原発によって電力会社や原子炉メーカーだけが儲かり、事故のときは国民の税金が投入されるような仕組みになっていますが、いざというときの国民負担をなくすために原発に保険をかけさせるべきです。保険代がバカ高くなれば、それも原発のコストとして計算されるので、結果として原発の再稼動ができなくなる。今はそのコストをまったく考えないで「安いエネルギー」だと言っているだけです。
結局、再処理をやめるという決断をすると、日本原燃が倒産して親会社の屋台骨が揺らぐとか、もんじゅをやめると福井に補助金が来なくなって困るとか、本質とはまったく関係のない議論ばかりなんですよね。
今後、電力自由化をしなければいけないわけですし、自由化されれば原発なんてできなくなるわけですから、電力会社の経営も含めて、すべて見直す必要があるのです。今の電力会社がそのまま存続することを前提に政策を考えていること自体、おかしいわけです。
原発に関しては安全保障上の理由で維持を唱える人もいる。その根拠は正しいのか。
よく「ワシントンの人もそう言っている」と代弁する役人がいますが、それが誰なのかを聞くとさっぱり名前が出てこない(笑)。
核兵器を作るには、材料としてウランかプルトニウムしかありません。日本国内には、“もんじゅのためのプルトニウム”が10トンあるわけですが、8キロで1発と計算すると、少なくとも1000発以上の核弾頭を作ることができます。だとすれば、十分な数の核兵器が作れるプルトニウムがあるわけだから、もう原発を止めたって何も問題はないはずです。
だから、安全保障のための“核保有のオプション”などという物騒な話と、原発の再稼働とを一緒に言う人は、まったくの論理矛盾なんですよ。