いまの山梨県甲州市で貧農の長男として産声を上げ、生まれ持った商才で次々と事業を展開、ついには「戦後最大の錬金術師」「怪物」「政商」「黒幕」の名をほしいままにした天才事業家の小佐野賢治と、やはり幼少期から世の荒波にもまれながら、ついには内閣総理大臣として政界の頂上に立った田中角栄の出会いも、まさに邂逅の名に値した。
のちに二人は、お互いに首を切られても悔いのないほどの親しい仲として「刎頸の友」と位置付けられた。持ちつ持たれつ、時には危い橋を渡りながら、共に人生の階段を駆け上がる“軌跡”を残したからにほかならない。
二人の生いたちは、不思議なほどよく似ている。学歴は、共に家が貧しかったため尋常高等小学校卒である。年齢は小佐野が一つ上だが、青雲の志を描いて上京したのは、二人とも16歳のときだった。戦争に取られての応召先は、これまた共に北満州(中国東北部)である。小佐野は「漢口作戦」で右足に貫通銃創を負い、上等兵で除隊となったが、田中もまた肺炎で野戦病院を転々、やはり上等兵での除隊といった具合だ。
その二人が出会うのは、敗戦からまだ2年足らずの昭和22(1947)年の初夏である。
時に小佐野は29歳だったが、すでに「熱海ホテル」「強羅ホテル」「山中湖ホテル」などを次々に買収、ホテル業進出に拍車をかける一方、自動車部品の販売を専業としていた国際商事という会社を「国際興業」に改め、事業拡大へ一直線の頃であった。
一方の田中は血気盛りの28歳。こちらもすでに24歳で立ち上げていた「田中土建工業」が、当年度の年間施工実績で全国50位内にランクされるなど、事業家としての才を発揮していた。
また、田中は戦後初めて行われた昭和21年12月の総選挙に、当時、大選挙区制の〈新潟2区〉から出馬したが落選、翌22年4月、中選挙区制に切り替わっての総選挙に〈新潟3区〉から再挑戦し、民主党代議士になったばかりであった。
この二人を引き合わせたのは、死刑廃止論を唱え続けて、世間によく知られていた弁護士の正木亮である。正木は広島高検検事長を最後に、公職追放により弁護士を開業、小佐野の「国際興業」と田中の「田中土建工業」の顧問弁護士を務めていた。まさに、偶然がなした小佐野、田中の邂逅だったということになる。
どんな出会いだったのか。田中が首相の座に就いた直後、小佐野が「田中総理と二十五年来の仲」と題した一文を書いているので記してみる。
★仲良くブタ箱入り
「ある日、正木先生が、『小佐野さん、将来性のあるおもしろい陽性の代議士がいるんだ。いっぺん会ってみないか』と言われた。『なんという人ですか』と聞くと、『田中角栄だ』と言った。もちろん、初めて耳にする名前である。しかし、正木先生の折角の好意である。『お会いしましょう』と答えたら、すぐその場で電話をしてくれ、『お待ちしています。おいでください』という返事だった。
飯田橋(注・東京都千代田区)の国電の駅を警察病院のほうへ降りると、間もなく『家の光』があって、そこから市ヶ谷寄りの右側に、田中土建の事務所があった。当時のこととて木造バラックの2階建て、紹介者の正木先生を入れて三人で、この日、1時間半ばかり四方山話をして別れた。話の内容は記憶していないが、気さくで威張らない、代議士らしくない愉快な人物だなという初印象だったが、これはいまでも私の脳裏に鮮やかに残っている。
正木先生がどういう因縁で田中土建の顧問弁護士をやられていたのかは知らないが、私たちに対して、先生は『あなたは事業家として一筋の道を、田中さんは政治家として進みなさい。お互い同じような境遇だからちょうどいい、手をつないで仲良くやりなさい』と激励してくれた」(『財界』昭和47年8月15日号)
そして、出会った翌年の昭和23年、正木弁護士による「お互い手をつないで仲良くやりなさい」は、早くもじつに“仲良く”実行されたのだった。
田中は30歳で法務政務次官に就任したが、「炭管事件」に連座し、逮捕されて小菅拘置所に収監されていた。拘置中に公示された総選挙に、獄中立候補するなどして物議を醸したのだった。ちなみに、「炭管事件」はのちに一審有罪となったが、二審で無罪を勝ち取っている。
また、一方の小佐野と言えば、「国際興業」が国から配給を受けた営業用バスのガソリンの一部30㌎余りを、小佐野自身の自家用車に流用したカドで政令違反、重労働1年の刑となったが、よく働いたことで5カ月で服役生活を解除されたといった具合だった。
小佐野は前出の『財界』誌上で、このときの有罪判決について怒りをブチまけている。
「どうも、私の事業を快く思わない者が、占領軍へ密告したようだ。ガソリン30㌎余りは、東京―大阪間を車で飛ばすくらいのわずかな量である。第8軍の軍事法廷で、『そんな事実はない』と言い張ったら、『偽証罪!』ということで有無を言わせずブタ箱に放り込まれたのだ」
共にのブタ箱入りが二人の絆を強くしたのか、以後、ロッキード事件に至るまで、“二人三脚”による疑惑が次々と浮上したのだった。
(文中敬称略/この項つづく)
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【著者】=早大卒。永田町取材49年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。