きっかけは、自民党の片山さつき議員が、5月2日に自身のブログに「河本準一氏の『年収5千万円、母親生活保護不正受給疑惑』について、厚労省の担当課長に調査を依頼しました」と書き込んだことだった。
河本氏が会見で謝罪したように、年収が高くなった時点で母親の生活保護を停止し、母親の全面的な扶養を開始すべきだったということは事実だろう。
しかし、同氏が会見で明らかにしたように、河本氏は福祉事務所と話し合いを重ねて、母親への援助を開始していた。これは収入を隠匿して生活保護を受給する「不正受給」とは、明らかに性格が異なる。それを、国会議員が実名を挙げて個人攻撃することが、果たして正義と言えるのだろうか。
実は、片山議員の所属する自由民主党は、生活保護費の10%削減を打ち出している。今年2月時点で生活保護受給者が209万人と過去最多に達し、生活保護費が3兆7000億円の巨額に達していることに加えて、一部の都市では生活保護費が基礎年金を上回る事態が起きているためだ。
5月25日の衆議院の社会保障と税の一体改革特別委員会では、自民党の永岡桂子氏が小宮山厚生労働大臣の生活保護費に関する見解を質したのに対して、小宮大臣は「御党の提案も参考にしながら検討したい」と答えた。河本氏の謝罪会見と同じ日に、民主党と自民党が足並みを揃えて、生活保護費の削減を打ち出す。あまりにタイミングが良すぎないだろうか。
そもそも生活保護というのは、最後のセーフティネットであり、憲法で定められた国民の権利だ。病気や怪我、失業などで、生活が追いつめられた時に、健康で文化的な最低限度の生活を保障するためのものなのだ。
ただし、生活保護を受ける前に、まず自助が求められている。預貯金や不動産を所有することは許されないし、働くことができないのかも厳しくチェックされる。だから、基礎年金の支給水準と生活保護費は比較すべきものではなく、最低限度の生活費がどれだけかかるかを基準に支給額は決められるべきなのだ。
もちろん生活保護が大きな財政負担になっているのは事実だが、政府の最大の責任は景気を拡大して、完全雇用を達成することだ。
というのも、生活保護の受給者数は1996年には89万人に過ぎなかった。それがデフレ経済に突入した途端に急増を始め、人数が2倍以上に膨れ上がったというのが実態だ。だから、財政負担を減らそうと思ったら、デフレを脱却して、雇用機会を増やさないといけない。日本国憲法でも、国民は勤労の義務を負うと同時に権利を持つと規定されているからだ。
もちろん、不正受給は許されない。しかし、不正受給があるからと言って、生活保護費を削減するというのは、明らかな論理のすり替えだ。
もし本気で不正受給を根絶しようと考えるのであれば、福祉事務所に税務署が保有する所得データなどを集めて、明確な基準の下で受給の可否を決定すればよい。そうした努力もせずに、保護の予算を一律圧縮するようなやり方をすることは、国民の生存権を軽視して、政府自身が憲法違反を犯しているようなものなのだ。