その中曽根政権の誕生は、鈴木政権が退陣後の昭和57年12月だったが、年が明けると待っていたのは田中のロッキード裁判一審における懲役4年の実刑判決であり、「政治倫理」の大合唱としての野党による田中への議員辞職勧告決議案提出への動きであった。
田中のいら立ちが傍目にも分かるようになったのは、このあたりであった。当時の田中派担当記者の証言がある。
「田中の酒量が、一気に増した。飲み方も、オールド・パーをグラス7分目くらいまでなみなみと注ぎ、ほんの申し訳程度の水を加えてのストレートに近いウイスキーを、2口くらいであおるように飲んでいた。周りが注意すると、『飲まずにいられるか。余計なことを言うなッ』と一蹴するのが常だった。小沢一郎との思惑のズレが初めて出始めたのも、この頃だった」
田中派議員の中にも、この頃には田中事務所を訪ねることを避ける者が目立つようになった。一方、小沢はと言えば、それでも田中の無聊をなぐさめるように田中のもとをよく訪ねていた。
「田中の将棋の相手を、よくしていた。田中の指し手は早く、1局15分くらいで終わるのが常だった。くやしがり屋の田中は、負けると許してくれず、よく小沢に『あと一番だ』と言っていた。小沢はシブイ顔をしながらも、何番も付き合っていた」(前出・元田中派担当記者)
しかし、田中と小沢のズレは一方で顕在化した。原因は、鈴木首相が突然の退陣表明をした直後、田中が「ポスト鈴木」を中曽根に定めたことにあった。田中はロッキード裁判の推移をにらみながら、最大派閥にもかかわらず自派からの総理・総裁候補を封じ込めてきた。この期に田中派から総理・総裁候補を立てれば、間違いなく政治を私(わたくし)するのかとの世論の批判の大合唱は避けられないからであった。ために、田中は結果的に「権力の二重構造」などと言われながらも、他派の政権を是認したのである。要するに、自身とその派閥の命脈を保つための選択をしてきた。
ところが、田中派のイキのいい橋本龍太郎、小渕恵三ら中堅、小沢、渡部恒三、羽田孜ら若手議員を中心に、長らく“他派のミコシ”を担いでいることに疑念を感じる者が多かった。
「このままの状態が続けば、派閥の求心力はますます弱まってくる。オヤジ(田中角栄)の裁判も、この先、二審、三審と何年かかって決着となるのかも見えてこない。そこまで、ムラ(派閥)が持つかどうか。それなら、いよいよこの期にこそ、わがムラから総理・総裁候補を出すべきである」
といった考えがジワリと台頭し、それが鈴木のあと、田中が中曽根を推したことで顕在化したということであった。
こうした中で、小沢をはじめとする田中派の中堅、若手は、幹部にして「合わせ鏡」とまで言われるほど田中と考え方の近い二階堂進の擁立案を固め、田中との談判となった。二階堂なら、田中もノーとは言わないだろうとの読みであった。
★小沢「選挙プロ」の出発点
ところが、最終的に田中は拒否した。なぜかについて、当時の田中派某幹部はこう言っていた。
「時に、ロッキード裁判一審判決が目の前ということが大きかったと言われている。オヤジさんは二階堂でもいいが、判決が厳しく出た場合、政治的に生き残るためには自らの影響下にある政権にして、とくに自民党内での批判を抑えられるだけの“腕力”が不可欠と考えた。その意味で、二階堂には物足りなさがあった。田中は中曽根を総理とし、内閣に後藤田正晴官房長官、秦野章法相を送り込んで裁判への“目配り”とし、二階堂を幹事長とした」
結果、中曽根政権が誕生、メディアからは田中の影響力がモロに出た政権として「直角内閣」「田中曽根内閣」、あるいは「ロッキード隠し内閣」と揶揄されてのすべり出しだったのだ。
一方、小沢ら田中派中堅、若手の「二階堂擁立案」を蹴った田中だったが、なおも小沢を育てようとの思いは強かった。このことは、当時の人事が明らかにしている。
田中は鈴木政権では、小沢を党の政調副会長のポストに就けている。このポストは、行政機構と政策立案の仕組み、過程を学ぶことができるのである。そして中曽根政権では、田中は小沢を二階堂幹事長を補佐するポストでもある総務局長に就けた。
時に、小沢40歳。自民党結党以来、最も若い総務局長であった。当時、この総務局長のポストは、幹事長共々、選挙の実務を仕切る中で選挙のノウハウを学ぶことができるポストである。このポストに就いたことは、のちに「田中角栄に次ぐ」と言われることになる、小沢の「選挙プロ」としての出発点ともなった。
ロッキード裁判を抱えた苦境の中での、田中の「秘蔵っ子」小沢に対する思いが知れたのである。
(文中敬称略/この項つづく)
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小林吉弥(こばやしきちや)
早大卒。永田町取材49年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。