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世の中おかしな事だらけ 三橋貴明の『マスコミに騙されるな!』 第61回 脱原発と東京の強靭化

 東京都知事選挙が今月23日に告示され、来月9日に投開票される。
 筆者は唖然としてしまったのだが、何と都知事選出馬を表明した中に、「脱原発」をメーンの公約に掲げると宣言した人物が2人もいる。

 東京都は確かに東京電力の株主ではあるわけだが、株式保有比率は1.2%に過ぎない。東電は原子力損害賠償支援機構に株式の54.7%を保有されており、東京都の知事が東電に対し「脱原発せよ!」などと叫んだところで、実現できるはずがない。
 そもそも「脱原発」云々は、東京都政ではなく国家のエネルギー安全保障の問題だ。国政選挙、あるいは(せめて)原発が立地する地方の首長選挙のテーマであるべきで、原発を持たない東京都知事に就任したとしても、目標は達成できない。別に、原発は東京都の管轄下にあるわけではないのだ。
 それにもかかわらず「脱原発」をメーンで打ち出している以上、都政とは無関係な政治的意図があるとしか考えられない。単に、都知事選を「利用」して、都政とは無関係な脱原発という自らの政治的主張を広めたいだけに思える。

 あえて書くが、邪(よこしま=ねじ曲がって正しくない)だ。山本太郎参議院議員が、'13年10月31日の園遊会において、いきなり今上陛下に原発廃止を求める書簡を手渡した行為と同じ構図なのだ。
 もっとも、日本には「政治的な自由」「言論の自由」がある。一万歩譲り、東京都知事選挙で「脱原発」を訴えることを認めたとしても、その場合は次の四つの点について説明してもらわなければならない。
 (1)原発を再稼働させず、いかなる電力源で我が国のエネルギー供給を賄うのか(短期の話ではなく、中長期的な話だ)。再生可能エネルギーで原発の代替をするのは不可能である。例えば、太陽光の場合、原発一基分の電力を発電するためには、山手線の内側の広さにパネルを敷き詰める必要がある。しかも、夜は発電できない。太陽光にせよ、風力にせよ、「安定的に」電力を供給することはできないのだ。蓄電技術のブレイクスルー(進歩)がない限り、再生可能エネルギーが我が国の電力供給の主役になる日はやって来ない。
 (2)原発を再稼働させないため、我が国の所得(GDP)が兆円単位で中東の天然ガス産出国(カタールなど)に渡っており、貿易赤字の主因になっている。この問題についてはどのように対処するつもりなのか(放置するのか?)。
 (3)我が国に存在する使用済み核燃料(およそ2万トン)をどうするのか。再処理せず、最終処分するとなると、半減期が長い(2万年!)プルトニウムを含んだまま地層処分せざるを得ないことになるが、本当にそれで構わないのか(しかも、体積が再処理をしない場合の3倍になる)。
 (4)エネルギー安全保障を考えたとき、エネルギー供給源の「多様化」が必要である。原発を動かさないとして、我が国のエネルギーミックスをどうバランスさせるつもりなのか(現在は、天然ガスに偏りつつある)。

 上記の通り、脱原発をめぐるイシューは、完全に「日本国家全体」の政策にかかわっている。東京都知事に決めることはできないし、決められても困る。
 「脱原発は、やる気になれば、達成できる!」
 というのでは、「政治主導!」と叫んで政権を取り、単に日本の政治を混乱に陥れただけだった民主党と同じオチになるのが目に見えている。
 政治主導も、脱原発も(やるべきかどうかは置いておいて)、スローガンを叫べば達成できるほど甘いものではない。特に、脱原発という政策を掲げるのであれば、「脱原発という目標達成までの科学的プロセス、技術的プロセス」を説明してもらう必要があるわけだ。

 そもそも、現在の日本、現在の東京は、脱原発といった政治的お遊びをしていられるほど甘い状況ではない。何しろ、首都直下型地震の30年以内の発生確率が70%、「東京五輪前」であっても30%の発生確率と推定されている。
 どう考えても、原発関連の問題よりも、首都直下型地震の脅威の方が「国の存亡にかかわる危機」である。すなわち、現在の日本国民(特に都民)は「脱原発」といった政治的ゲームに興じるのではなく、「東京の強靭化」に注力しなければならない状況なのだ。

 東京の強靭化を推進しなければならない理由は、大きく三つある。
 (1)前述の通り、迫りくる首都直下型地震に対する耐震化、防災、減災等が求められている。
 (2)東京のインフラは、主に前回の東京五輪('64年)時に整備された。インフラの寿命はおおよそ50年。1964年の50年後とは2014年。今、東京のインフラを大々的にメンテナンスしなければならない。
 (3)2020年東京五輪に向けたインフラ整備が必須である。

 おわかりだろうが、(1)〜(3)は両立が可能だ。都民の安全保障の強化に加え、五輪開催の準備という意味でも、現在の東京は「強靭化対策」が求められているのだ。
 上記は、無論、東京のみならず「国家全体」として取り組まなければならない、やり遂げなければならないプロジェクトになる。そもそも「首都」直下型地震の脅威が迫っているわけで、霞が関や永田町も他人事ではないのだ。

 さらに、東京に限らず、
 「自然災害対策」
 「老朽インフラのメンテナンス」
 「東京五輪開催」
 はすべて、日本国民が「日本国家としてどうするのか?」を考えなければならない政策課題だ。

 そして、戦後の多くの日本国民は、冷戦のぬるま湯の中で「国家」について考えることを放棄してきた。
 東京都民が戦後の「平和ボケ」に引きずられ、「脱原発」を公約に掲げた人物を都知事に選んだ結果、首都直下型地震に対する備えを怠り、実際に大震災が発生し、非常事態への対処も的確にできず、「行政の無能」により大勢の都民が亡くなり、東京五輪の開催も不可能になるなどという結末になった日には、これはもはや悲劇というよりは「民主主義がもたらした喜劇」と呼ぶべきであろう。
 脱原発の争点化を認めてはならない。

三橋貴明(経済評論家・作家)
1969年、熊本県生まれ。外資系企業を経て、中小企業診断士として独立。現在、気鋭の経済評論家として、わかりやすい経済評論が人気を集めている。

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