このところの大相撲人気を反映して、今年の夏巡業はいつもより長かった。7月29日の岐阜県大垣市を振り出しに、8月26日の東京のJPタワー商業施設「KITTE」まで夏真っ盛りのおよそ1カ月間、26カ所も回る長丁場。それも中部、北陸、東北、北海道と、日本をほぼ半周するハードな旅だった。
「貴乃花親方ダウン」という衝撃的な一方が流れたのは、その夏巡業が終盤に差し掛かった8月21日、秋田市巡業中のことだった。ちなみに、この日は甲子園で地元の金足農高が大阪桐蔭高との決勝戦に臨んだ日で、秋田市中が沸き立ち、巡業会場である県立体育館も異様な熱気に包まれていた。
★ショックだった実父の死
「夏巡業を制する者は秋場所を制す」
そう言われている中、この夏巡業の目玉は3つ。8場所連続休場中の横綱稀勢の里(32)と名古屋場所で初優勝し秋場所で大関取りがかかる御嶽海(25)、それに今年の3月、様々なトラブルを引き起こしてとうとうヒラ年寄に2階級降格して以来、初めて巡業に参加した貴乃花親方だった。当然、この日も貴乃花親方の行く先々には大きな人だかりができていた。
貴乃花親方はこの日、朝稽古が始まると、体育館の外に出て愛弟子の貴健人(幕下)の指導を開始。その最中、いきなり後ろに引っ繰り返り、けいれんを起こして意識を失ったのだ。
これには周囲もびっくり。すぐさま119番通報して救急病院に緊急搬送されたが、会場内はこの人気親方の異常事態に騒然、午後になってもざわめいたままだった。
「東北とはいえ、この日は秋田市も酷暑に見舞われ、軽く30度を越えていましたからね。それに、前日は移動日でしたが、2日前は北海道の札幌市巡業。まさに連日、移動、移動で、力士や親方たちの疲労はピーク。誰が倒れてもおかしくない状況ではありました。とはいえ、貴乃花親方は9日前に46歳の誕生日を迎えたばかりですからね。衝撃は大きく、親方たちも寄ると触るとこの話で持ち切りでした」(巡業関係者)
ただ、救急車が会場に到着した時点で、貴乃花親方の意識はすでに戻っており、搬送先の病院では会話も出来る状態だったという。このため、安堵の声も囁かれ、これを裏付けるようにこの日は大事を取って入院したものの、翌朝には退院してその日のうちに帰京。
芝田山広報部長(元横綱大乃国)には、次のように連絡している。
「これから(かかりつけの)病院で検査しますが、しっかり歩いています」
もちろん、夏巡業は最後の26日まで即離脱。そして、この検査結果を3日後の24日、親交のある後援者が運営する「貴乃花応援会」のウェブサイトで次のように明かした。
「病院でも心臓、脳などかなり詳しく検査していただき、何にも問題ないと診断をいただきました。(中略)数日前より軽い風邪気味はありましたが、気にする程でもなく炎天下で弟子に稽古付けていたため熱中症を起こしたようです。一瞬めまいがしてそのまま倒れたようで(中略)どうしたのかと思う次第でした。巡業途中でご迷惑おかけし皆様にはご心配おかけして誠に申し訳なくご報告申し上げます」(原文ママ)
だが、手放しで一安心というわけにはいかない。なにしろ貴乃花親方は様々な不安材料を抱えているのだ。
その一つが身内、とりわけ遺伝子を色濃く受け継いでいる実父の元二子山親方の早すぎる死だ。現役時代は“大相撲界のプリンス”と言われて絶大な人気を誇り、引退後は2人の息子、若乃花、貴乃花を横綱に育てるなど「二子山王国」を築いた二子山親方が亡くなったのは今から11年前、平成17年5月30日のことだ。死因は「がんの中でも最も苦しい」と言われる口腔底がん。ヘビースモーカーだったのが誘因と言われており、55歳で逝去。
「天寿をまっとうしていたら理事長にもなっていたのでは」と、多くのファンが涙を流したものだった。
まだ引退して2年目だった貴乃花親方が、この父親の非業の死にショックを受けたのは言うまでもない。また、この葬儀の喪主を巡って兄の若乃花と激しく争い、日本中の心ある大相撲ファンが目を背ける凄惨な“兄弟対立”を引き起こしたのも強く記憶に残る。
しかし、父親の死以上に衝撃的だったのは、この10年後、平成27年6月20日の兄弟子、音羽山親方(元大関貴ノ浪)の死だったかもしれない。生前、音羽山親方は、いつ独立してもいい立場にありながら、部屋付きの親方として1歳年下の貴乃花親方を支援。貴乃花親方もまた、音羽山親方を盟友、右腕として厚く信頼し合う間柄だった。将来、理事長に就任したら、貴乃花部屋を譲るつもりだったとも言われている。
その音羽山親方が、宿泊中だった大阪市内のホテルで倒れ、急性心不全のために、文字通り43歳で急逝したのだ。
この死を巡っては、様々な噂が飛び交った。音羽山親方の自宅は愛知県の名古屋市内にあり、大阪に滞在しているのはいかにも不自然だった。さらにその宿泊先がラブホテルで、なじみの女性も同宿していたことから「腹上死」という説まで飛び出し、当時のマスコミをにぎわしたのだ。音羽山親方の体調急変を察知して救急車を呼んだのがその女性で、救急隊員が駆け付けたときに音羽山親方はベッド上で全裸でうつ伏せ状態だったということも、この腹上死説を強く印象付けた。
★“横綱短命説”の餌食に…
真偽はともかく、この音羽山親方の早すぎる死で、ただでさえ「死」に敏感になっていた貴乃花親方が震え上がったのは確かだ。このことは、以来、毎年必ず人間ドックに入って体中を徹底的に検査してもらっていることでも分かる。
「太っていては長生きできないとダイエットに取り組み、現役時代は161㌔もあった体重を半分の80㌔台まで落としています。ただ、この急激な減量に『何か強力な薬を使ったのでは?』という噂がたったのも事実。顔色が異常に悪い、視線が定まらない、はたまた意味不明のことをヒステリックに話すのは副作用のせいだと言われましたが、本当かどうかは分かりません。いずれにしろ、健康について人一倍、気を使っているのは間違いありません。とは言いながら、タバコだけはやめられないようで、父親に負けないぐらいヘビースモーカーですけど」(協会関係者)
もう一つ、貴乃花親方が神経を尖らせているのが以前からこの世界で囁かれている“横綱短命説”だ。人一倍、大柄な力士たちはもともと短命。このことは昭和55年以降に亡くなった力士経験者100人の平均寿命が63歳弱という数字にも表れているが、横綱の寿命はこれをさらに下回る。
つい最近も、無敵の横綱と言われた北の湖が62歳、小さな大横綱と言われた千代の富士が61歳で亡くなっている。柏戸は58歳、隆の里は59歳、69連勝の双葉山は56歳といずれも短命だった。
貴乃花親方はまだこの双葉山の年齢まで10年もある。8月12日、46回目の誕生日には、愛弟子の貴源治からシャンパンをプレゼントされたという。
「まさか巡業の途中でこんなものをもらえるとは。貴源治、ありがとう」
このように嬉しそうに明かした貴乃花親方だったが、今回の失神騒ぎで自分もその横綱の一員であることが脳裏を横切り、恐れおののいたに違いない。
本人や周囲が否定すればするほど、くすぶる重病説。これでまた、貴乃花親方から目を離せなくなった。