発明家のドクター中松氏は1991年から都知事選に出馬、2007年の都知事選では8万票以上を獲得している。選挙公約として、「財政赤字を解決する発明」「行政改革を解決する発明」などありとあらゆる問題を解決する発明を既に用意してあると主張していた。
事業仕分けで蓮舫氏(現在・行政刷新担当相)を激励したミュージシャンの内田裕也も1991年の都知事選に出馬した。その際に政見放送の冒頭からアカペラで「パワー・トゥ・ザ・ピープル」、さらに「コミック雑誌なんかいらない」を熱唱。選挙公報は「NANKA変だなぁ! キケンするならROCKにヨロシク! Love&Peace Tokyo」とだけ書かれたものだった。
2007年に亡くなった黒川紀章氏はその年に都知事選に出馬した。建築の世界的権威の出馬は派手なパフォーマンスからメディアではイロモノ扱いを受けることもあったが、亡くなる直前に出演したテレビ番組では、「青年時代から政治に対する情熱があった」「日本の将来を案じている」と涙を流しながら語る場面もあった。
逆に都知事選出馬で一躍有名人となったのが外山恒一氏。2007年の都知事選に出馬。政見放送で、政府転覆を主張、これがYouTubeなどで広く世間に流れ、話題になった。その後、熊本市市議会議員選挙に立候補し、熊本刑務所前で街頭演説を行うなど独自の選挙運動を展開したが再び落選している。
兎にも角にも、都知事選には生活をよりよくできる人物の出馬を都民は期待しているはずだ。