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引退インタビュー 広島・石井琢朗「スーパーカー・トリオが原点」となった鉄人秘話(1)

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提供:週刊実話

 聞き手の高橋雅裕氏と石井琢朗選手は、横浜時代の先輩と後輩の仲。互いを「マサさん」「タク」と呼び合う、家族の再会のような熱い会話が始まった。

 −−24年間お疲れ様。引退発表の翌日、ヒーローインタビューでの前田健太選手の「琢朗さんのために絶対にCSに行きましょう」という言葉は感動したね。
 「チームが一番大事な時だし皆に迷惑をかけたくないということもあって、発表は早かったかなとも思ったんです。ですから、次の日のあの1勝はとても救われました。前田健太のあの言葉で十分。あとはチームのために自分たちの野球をやってほしいという思いです」

 −−引退を意識したのはいつ頃?
 「横浜を出た時点で、いつ引退してもおかしくない状況だったんです。ただ当時は、引退をする気はさらさらなくて、それこそプライドの塊みたいになっていました」

 −−引き金みたいなものはあったのかな。
 「体力ってよく言いますけど、野球は144試合ずっと出ているほうが毎日同じリズムでいられて、辛どくても乗り切れるものなんです。結局は気力の問題なんですが、僕の場合は出たり出なかったりする中で、体は動いても気力が萎えてしまった。それで昨シーズンの途中に、コーチ兼任の話がきた時点で、これは球団の気遣いだと思いました。カープは僕たち選手の家族にまで配慮してくれる球団ですからね」

 −−その家族はどんな反応だった?
 「家内も理解しているようで、『私がどうのこうの言っても、今まで自分の好きなようにやってきたんだから、決めるのはあなたよ』と言ってくれました」

 −−会見では「悔しい思いしかない」とも言っていたね。
 「後で誤解を生じなければいいなと思ったんですけど、あれは、実はポンと出てしまった言葉。プロ野球選手である以上は色んなこだわりがあって、いざ辞めるとなると悔いだらけなんです。数字にしても、本当の目標はここでも、手前のここまでだったらいいか、という妥協が自分の中にはありました。
 それ以前に、野球は打者でいえば3割で一流。残りの7割は失敗していることになりますからね。こんな失敗が多くて認められる職業って他にないじゃないですか。会社で7割失敗していたらクビですよね(笑)。だから、その大半がストレスになる。僕にとってはそれが悔しさなんです。ただし、その成功が3割だからこそ喜びもあって、そのために一生懸命になれ、色々なことを犠牲にやってこられたというのもあります」

 −−長く続けられた“タク流”の秘訣は?
 「実は健康について気を付けたのは、ここ数年なんです。長く続けられたのは運もあったでしょうけど、それだけでは片付けられない。レギュラーを掴んで、その位置を誰にも渡したくないという思いと、そのために周りの選手以上に練習をする強い意志だと思います。基本、野球が好きかどうか、それに対してどれだけ全うできたかが、長さに結びついているんだと思います」

 −−動体視力のトレーニングとか、新しい物にも敏感に反応していたよね。
 「今のようにトレーナーが個人的について指導を受けることがない時代でしたからね。齢をとると目の衰えは絶対に出てくる。これは皆さん、年配の方に運転中の事故が増えるのも同じです。イチロー選手も動体視力が非常に優れているし、トレーニングすれば鍛えられるものなので、積極的に取り入れたんです」

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