今回のブームは俗に“お笑い第五世代”とも言われる。これまでにもお笑いブームは何度があったが、今回の特徴は前述のような「ネタ見せ番組」から火がつき、はじまったのが特徴だ。1999年に『爆笑オンエアバトル』(NHK)がスタート、さらに2001年からは島田紳助が考案した漫才コンテスト『M-1グランプリ』も始まる。また、お笑い情報を中心とした専門誌も続々と創刊された。
「番組がヒットしたことにより、大量の芸人が必要になった」と振り返るのはテレビ局社員。この流れに事務所側も見事に対応し、多くの芸人らしき人間がテレビに出るようになった。また、テレビ局側の事情もこの流れには影響しているという。「ドラマを作ったり、しっかりとした報道番組を作るのは金がかかる。しかし、ネタ見せ番組ならとりあえず芸人を呼べばそれなりには番組にはなる。もちろん“若手”なので予算も抑えられる。それに予算とともに企画も枯渇しているテレビ局は、楽だった」(テレビ局社員)。
ただ、そんな中で残酷な現象も起きた。「コンビでやっている芸人の片方だけ切り売りするケースも珍しくない。このまま順調に修業を重ねればコンビで本当のブレイクを期待できた人間は、ペースを乱された形になった」(芸能ライター)。確かに、「え、この人、ピンじゃなかったの?」と改めて感じる芸人も少なくない。
ネタ見せ番組はほとんどなくなり、テレビ局や事務所の都合で“芸人”のようになってしまった人間はこれからが大変だ。「10年も続いた最長の期間のお笑いブームであるとともに、史上最大に一発屋を輩出するブームにもなったでしょうね」(芸能ライター)
果たして、生き残るのは誰なのか?