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山田直稔氏が新五輪構想をぶち上げた

 「今のオリンピックは本来の姿を失ってるでしょ!?ダメだっつーんだよ!」。開口一番こう力説するのはほかでもない、、国際オリンピック応援団長を自任する山田直稔氏(82)だ。今ではスタンドにいなくてはならない存在となったド派手衣装の応援団長だけに、北京にはもちろん馳せ参じるが、「今大会をもって引退するかも」と、モチベーションは低い。スポーツをメーンとした現状のオリンピックに愛想を尽かしつつある同氏は、「私自身の手で新五輪を始動させる」と夢をぶち上げた。

 「やっぱり怖いよねえ。テロやなんかも心配だしさ、五輪ツアーも20万円までダンピングしても売れないんでしょ?ダメな証拠だよ」。6日には中国入りする山田氏だが、不安もチラリ。
 オリンピックの応援には今大会をもって13大会連続参加となる。1964年の東京五輪以降、数々のスポーツドラマはもちろん、その舞台裏や開催国の政治情勢、国民感情まですべてを生身で感じてきた山田氏をして、「五輪は変わリ果てた」と言わしめる。結果、長年務め上げた応援団長の要職も「今回限りになるかも」と引退を考えるほど、実は氏のモチベーションは落ちている。
 「『聖なる休戦』がもともとの目的といってもいいオリンピックなのに、五輪開催をめぐって争いが起こる。本末転倒なんですよ!だってアンタ、考えてごらんなさいよ。キリストだってお釈迦さんだって宗教戦争を起こすために経典をつくったわけじゃないでしょう。私に言わせれば今の五輪もおんなじ状態で、ただの国同士の勢力争いになっちゃってるんだよ!」
 時は1972年。ミュンヘンオリンピック開催期間中に起きた事件を覚えている方がどれだけいるだろうか?テロ集団が選手村に潜入し、イスラエル人選手ら11人を殺害した事件で、「オリンピック史上最悪の悲劇」といわれる。当然ながら盛り上がらない同大会を振り返り、山田氏は「あの大会はずっと“お葬式”みたいな雰囲気だったよ」と今でもシンミリ。しかし、応援席まで沈み込んでいるわけにはいかない。そこで氏は策を打った。それが「喪章」つきの国旗の掲揚だった。
 「夜中タクシーを飛ばしてなんでもいいから黒い布を探しに行ったのよ。黒い布の喪章は万国共通だからさ。なんとか洋服屋でそれっぽい布を切り売りしてもらってね。わたしゃドイツ語なんてまったくできねえから苦労したんだよ(笑)。それを日の丸とドイツ国旗に付けて応援したら、ドイツ国民が涙を流して喜んでくれてねえ。開催国の市民を見方につけるのが応援のコツだからさあ、してやったりだよ。グワッハッハ」と豪快に笑うが、当時、応援団長の心がひどく痛んでいたのは一目瞭然。
 世界平和のための使徒でありたい…その願いが誰よりも強いからこそ、こんな行動ができる。引いては肌の色もさまざまな世界各国のファンが集うスタンドをひとつにして、沸かせることができるのだ。逆にいえば始まる前から混乱の絶えることがない北京五輪に対してモチベーションが保てないのは自明だろう。
 齢82にしてスタンドをところ狭しと走り回る。体力は誰にも負けない自信がある。応援団長引退は断じて限界を感じたからではない。実は氏には夢が芽生えている。新たなる五輪を自ら始動させることだ。
 「スポーツで五輪をやるから莫大な金が絡み、宗教問題やなんやかや引っ張ってきちゃうと思うんだ。だから私の考えている新しい五輪はスポーツ抜き!題して『笑顔と交流(ふれあい)のオリンピック』だよ」
 氏の考える新五輪構想はこうだ。日本の四季を楽しめるさまざまな土地に世界の人々を招き、美しい風景を愛でながら笑顔でコミュニケーションをはかる…実にシンプルだが、五輪の原点回帰という視点からなら、これ以上ないアイデアかもしれない。
 構想に賛同する漫画家・藤子不二雄氏や、書家・野呂雅峰氏がロゴマークにイラストと書を寄せてくれた。このマークを入れたTシャツを、山田氏はきたる北京五輪の日本代表選手全員に配るという。
 山田氏にとって終わりであり、始まりでもあろう北京五輪。熱い17日間までいよいよカウントダウンに入った。

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