九重親方がすい臓がんを患い、すでに手術も済ましたことを公表したのは、去年9月の秋場所のこと。「手術は成功。もう健康体だよ。大丈夫だ」と笑顔も見せていたが、今年になって肺や胃などに転移していることが判明。懸命の治療を続けたが、回復は叶わなかった。その姿を関係者が最後に目撃したのは、名古屋場所4日目の7月13日。担当する監察室に重い足取りでやって来るなり、「きついなあ、きついよ」と机に突っ伏したという。
現役時代、負けん気むき出しの精悍な面構えを売り物にしていただけに悲惨としか言いようがないが、引退後の処遇も決して恵まれているとは言えなかった。
「部屋の師匠としては順調そのもの。引退した翌年の平成4年に九重部屋を継承し、大関千代大海をはじめ、13人もの関取を輩出しています。ただ、協会内では不遇でしたね。現役時代、あれだけの実績を残していますから、引退後も大相撲界のトップ、理事長になってやるという思いも強かったと思いますが、ナンバー2の事業部長止まり。晩年は閑職に追いやられ、完全に干されていました」(担当記者)
理由は二つある。一つ目は所属したのが高砂一門という小派閥だったこと。二つ目は、引退後も“オレは大横綱だ”という気分が抜けず、「常に一言多いことから周囲に煙たがられていた」(関係者)点だ。
この2年半はまさに屈辱の日々。北の湖理事長に反抗して平成26年の理事選では落選し、平委員に落とされた。今年2月の理事選で再起を期したが、「票が揃わなかった」と立候補すらできなかった。対照的に弟弟子の八角理事長(元横綱北勝海)が出世階段を快調に駆け上がり、トップの座に上り詰めただけに、内心は歯ぎしりする思いだったに違いない。そんな中での発病、そして死。
「奇跡としか言いようがない勝利を何回も演じてきましたから、本人は最後まで回復すると信じて疑わなかったと思います。残念ですね」(協会関係者)
合掌。