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謎多き「地下鉄サリン事件」のタブー

 それはもう、教科書に載っているほかの事件と同じように、歴史の中の出来事になってしまったのだろうか──。
1995年3月20日。春の訪れを感じるうららかな朝の東京は、稀に見るパニックに陥った。営団地下鉄(現・東京メトロ)の複数の路線でサリンがばらまかれて多数の重傷者と13名の死者が出た、オウム真理教による同時多発テロ、地下鉄サリン事件である。

 通勤ラッシュのピークに合わせて、密閉空間の地下鉄車内に猛毒のサリンがまかれるという、まさしく前代未聞のテロ事件。被害者はもとより、直接被害を受けていない人でもしばらくの間地下鉄に乗るのが怖くなったというケースも多く、一時的ではあるものの、東京では営団地下鉄の利用者が落ち込んだという。それだけ、地下鉄サリン事件は社会的に大きな影響をもたらしたのである。

 結局、事件後にオウム真理教には警察による強制捜査が入り、教祖の麻原彰晃をはじめ幹部や実行犯は軒並み逮捕。オウム真理教は壊滅し、長く続けられていた裁判も麻原や幹部らの死刑判決によって幕を閉じた。

 とは言っても、肝心の麻原はほとんど何も語ることはなく、他の幹部らとともに今夏に死刑執行された。幹部の中には当時の犯行の様子を詳細に語った者もいるが、首謀者の麻原が語らずしてこの世を去ったことで、地下鉄サリン事件の“真相”は完全に闇に葬られることになったのである。

 では、この地下鉄サリン事件とは何だったのか。すでに述べたように、「オウム真理教による無差別テロ」というのが一般的な見方だ。ところが、30年来の鉄道ファンというA氏は、この見方を一笑に付す。

「被害を受けたのは千代田線、丸ノ内線、日比谷線の3路線。その状況をつぶさに見ていけば、明らかにおかしな点ばかりであることに気が付きます。鉄道に詳しい人ならば、誰でもわかるはず。今まで大きく取り上げてこられなかったのが不思議なくらいです」

●サリンを垂れ流しながらも走り続けた地下鉄の謎

 一体、何がおかしいのか。A氏は、被害を受けた車両のほとんどが、“国会議事堂前駅や霞ヶ関駅で運転を打ち切っていること”に強く疑問を抱くという。

 「例えば代々木上原行の千代田線。実行犯の林郁夫は、新御茶ノ水駅でサリンのパックを傘で刺して穴を開けて逃走しています。乗客に異変が生じたのは二重橋前駅(新御茶ノ水駅から2駅、4分)を過ぎたあたりですが、列車はそのまま運行を継続しているんです。駅員がサリンを除去したのは霞ケ関駅(同4駅、8分)ですが、さらに走り続けて運転を打ち切ったのは国会議事堂前駅(同5駅、9分)でした。また、北千住方面に向かって走っていた日比谷線では恵比寿駅手前でサリンがまかれ、六本木駅付近、(恵比寿駅から2駅、6分)で車内に異臭が立ち込めた。神谷町駅(前同3駅、10分)で被害者の搬出作業まで行っています。ところが、そこでも運転を続けて霞ケ関駅(同4駅、12分)まで走っています。一部の鉄道ファンは、『国会議事堂前駅や霞ケ関駅は折返し設備があるために運行停止をしやすいから』と言うのですが、それはまったく当てはまらない。車内で次々に倒れる人が出るほどの異常な状況ならば、最も近い駅でただちに運転を打ち切り、まずは乗客の救出を第一に考えるべき。車両の折返しなどはその後で考えればいい話なのに、それが日本の政治の中心である国会議事堂や霞ケ関までわざわざ進んでいる。何か理由があったとしか考えられない」(A氏)

 こうした疑問は、丸ノ内線の被害状況を見ても浮かんでくる。丸ノ内線では荻窪行と池袋行の2列車が被害を受けているが、荻窪行はサリンがまかれた御茶ノ水駅から中野坂上駅(14駅、28分)まで、延々と被害者を出しながら走り続けている。途中、被害者の搬出もサリンの回収も行われていないのだ。その後、中野坂上駅でサリンが回収されたが、列車は終点まで走って通常通りに折り返し、新高円寺駅でようやく停車している。

 丸ノ内線池袋行はさらに疑問だらけで、四ツ谷駅でサリンが散布されたが、そのまま終点の池袋駅(13駅、28分)まで運転。ここで、普通ならば行われるはずの車内の遺留物確認がなされずに折り返し、サリンが除去されたのは本郷三丁目駅に着いてから。その時点ですでに9時を回っており、被害発生はテレビなどでも報道されていた時間帯だ。にもかかわらず運転を続け、国会議事堂前駅でようやく運転が打ち切られたのである。

 「他の駅で重傷者が出るほどの異臭騒ぎが起きていて、同じような異臭が車内に立ち込めているとなれば、ただちに運転を止めて乗客を避難させるのが常識的な対応です。でもなぜか“国会議事堂前駅”を目指して走り続けています。また、最も多くの被害を出した日比谷線の中目黒行は、秋葉原駅で散布されたサリンを小伝馬町駅で乗客がホームに蹴り出したことで、被害が拡大した。そのため築地駅で運転が打ち切られていますが、これは“真犯人”にとっては想定外のことだったのではないでしょうか。本当ならばそのまま霞ケ関あたりまで列車を走らせる予定だったと考えるのが妥当です」(A氏)

●オウム側をハメた警察・公安の深謀遠慮

 こうした疑問だらけの対応を「営団地下鉄の不手際」として片付けてしまうのは簡単だ。しかし、気になるポイントは他にもある。それを指摘するのは、オウム事件の真相を追ってきたジャーナリストのB氏だ。

 「地下鉄サリン事件が3月20日で、その2日後にオウム真理教に強制捜査が入っています。それに、そもそもオウムは松本サリン事件を引き起こしており、サリン製造能力があることは警察関係者にとって周知の事実だったでしょう。当然、公安関係者も動いていたはずなので、実行犯を含めた幹部ら関係者の動きはすべて捕捉されていたと考えるのが妥当。となれば、警察は事前に地下鉄サリン事件を察知していたと考えられます」

 つまり、地下鉄サリン事件を警察は知っていた──。

 そして、知りながらもそれを放置して実行させることで、オウム真理教を壊滅させようとした──。

 しかし、B氏は「ここまで被害が拡大するとは思っていなかったのでは」と指摘する。

 「実際、オウムが作ったサリンは純度が極めて低く、化学兵器として戦場で用いるようなレベルには達していませんでした。それに通勤時間帯は各駅での乗り降りが多く、乗客が入れ替わる。ドアも開くから換気になるし、被害はもっと小さいもので済むと考えていたのでしょう。それがフタを開ければ死者13名、重傷者は2000人以上ですから。慌ててオウム真理教に強制捜査に入って麻原らを逮捕し、真相をうやむやにしようとしたのでは」

 さらにA氏は「地下鉄」という観点から、サリン散布計画を知りつつも放置した、当局のもうひとつの狙いを看破する。

 「現実的な見方としては、地下鉄という空間が化学テロにどれだけ耐えられるかをテストしたという可能性。ただ、それだけでは国会議事堂前駅や霞ケ関駅までの運行を継続した答えにはなりません。被害拡大を少しでも抑えるべきですから。ところが、すでに大パニックになっている中でも列車を走らせ続けた。ということは、国会議事堂前駅や霞ケ関駅まで運転を続けることに意味があったと考えるべき。これらの駅には、国会議事堂や首相官邸、主要官庁などへの“秘密の通路”が設けられていることがよく知られています。その通路を利用して、霞ケ関や永田町周辺に待機している自衛隊や警察の秘密部隊がどう動けるか。その“訓練”が本当の目的だったのでは。いくら異臭が立ち込めて被害者が出ていても、無理やり列車を国会議事堂前駅や霞ケ関駅まで走らせた理由は、こう考えればスッキリしませんか」(A氏)

 もちろん、サリン事件そのものはオウム真理教が計画し、それを実行したものだ。しかし、動向を把握しながらも野放しにし、挙げ句の果てに地下鉄に通じる“秘密の通路”の実証実験にまで使っていたとなれば……。麻原らの死刑が執行された今となっては、真相を知るすべはない。しかし、こうした推測は実に的を射たものだ。当時の当局関係者が、真実を告白することを期待したいものである。

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