「北朝鮮に代わって韓国の大統領が弔電を送った行為に、遺族もさぞ驚いたに違いありません。文大統領はどこかの国の元首相に似て、宇宙人的な思考回路をお持ちのようです」(北朝鮮ウオッチャー)
その理由は、気分がすでに統一朝鮮“高麗連邦”の大統領になっているからだ。6月20日には突然「2018年の平昌冬季オリンピックでは、雪上種目の一部を北朝鮮の馬息嶺スキー場で行う案を検討している」と言い出した。
「文政権は北朝鮮に対話を呼び掛けるなど、融和的な姿勢を打ち出しており、スポーツ交流をきっかけに接触を増やしたい考え。さらに米国では、文大統領の外交ブレーン文正仁統一外交安保特別補佐官が北朝鮮の代理人のように振る舞っています。米国が北朝鮮に掛け続けている軍事的圧力を弱める融和策を提示したのです」(同)
それは「米韓軍事演習の縮小」と、演習終了後も米国から朝鮮半島近海に増派されている空母打撃群の「派遣の中止」で、いずれも北朝鮮が強く求めているものだ。米国が仮にこれら二つを実行すれば、北朝鮮は軍事的圧迫を大幅に減らすことができ、万々歳だ。
「文政権中枢部は『韓国にとって最も重要な北朝鮮との和合・統一を米国が邪魔している』というスタンスです。米政権は盧武鉉大統領時代、事あるごとに米国に盾突く民族主義的で反米的な大統領の参謀たちを『韓国のタリバン』と呼んでいました。ですから、文新政権誕生時から『盧武鉉シーズン2』と位置付けています。文大統領は統一・外交問題の専門家として金大中政権以降の左派政権で参謀役を務め、盧政権では政府の委員会のトップも務めた“韓国タリバンの巨魁”と言える人物。ですから、米国は北朝鮮だけではなく、韓国も潜在的な仮想敵国と見なし始めており、6月29日からの米韓首脳会談で文大統領がTHAAD(高高度ミサイル防衛システム)問題での誤りを正さなければ、どんな結果となるか…。米軍兵士を後ろから撃つような国に自国軍を置いておけませんから、在韓米軍の撤退をチラつかせるでしょう」(国際ジャーナリスト)
文大統領の“離米従中親北”公約は、(1)早期の南北首脳会談の開催、(2)韓国へのTHAAD配備見直し、(3)開城工業団地と金剛山観光の再開、(4)戦時作戦統制権の返還、(5)日韓慰安婦合意の破棄または再交渉の五つだ。
韓国の青瓦台(大統領府)は5月末、米国保守派の重鎮であるマケイン上院議員から会談の要請を受けたにもかかわらず、面談日の指定をあやふやな理由で先延ばしし、結果的に会談を不成立に終わらせた。
「マケイン議員と会えば『なぜTHAADの即配備をしないのか』と問い詰められる可能性が高く、会談を受ければ中国が怒り出すので、大統領周辺は、中国を慮って正常な判断ができなかったのでしょう。文政権は反米政権で、米国の神経を逆なでする数多くの公約を掲げて当選した以上、米国には吠える番犬となり、中国にはポチにならざるを得ないのです」(前出・ウオッチャー)
さらに文大統領は5月20日付の米ワシントン・ポスト紙のインタビューで、従軍慰安婦問題の日韓合意を「見直す」と述べている。しかし、日韓合意後に見直すに足る“重要な証拠”が見つかったというわけではない。反対派が韓国国民を煽り「国民が気に入らないと言っている」と主張しているだけだ。加えて、日本として看過できないのは文大統領の「北は今も韓国や米国の国民を拘束しているが、直ちに彼らを家族の元に戻すべきで、政府はあらゆる努力を尽くす」という発言だ。米韓が連携して米韓両国人の釈放を実現していこうと呼び掛けたのである。
韓国統一部によると、北朝鮮が拘束中の韓国人は6人で、米国国籍の3人とカナダ国籍の1人、計10人が拘束されているという。
「文大統領は北による日本人拉致を知らないはずがありません。にもかかわらず、拘束されている米国人と韓国人に言及する一方、日本人拉致犠牲者を意図的に無視しています。すなわち大統領は、北朝鮮に拘束された人の中から恣意的に日本人拉致犠牲者を外し、かつ日韓の慰安婦問題の合意問題には再考を要求しており、何も言わない日本にケンカを売っているわけです」(前出・ジャーナリスト)
米国は今のところ、軍事基地を提供し、後方支援をする日本の顔を立てている。その一方、中国とも頻繁に話し合っている様子がうかがえる。しかも、トランプ大統領の背後には「パンダ・ハガー(親中派)」と呼ばれたキッシンジャー氏の影もチラつく。
「キッシンジャー氏はニクソン政権で外交手腕を発揮した人物。日本の外交に“ニクソン・ショック”がよみがえるかもしれません。日本の頭越しに米中が手を結んだ1971年の悪夢の再来で、両国が大国益で結び付く可能性がないわけではない。そうなれば、日本は韓国に敗れたも同然です」(同)
福沢諭吉は『脱亜論』において、「隣国だからというだけで特別な感情を抱いてはいけない」と説いている。
「隣国だから」という考え自体が相手を甘やかせ、百害あって一利なしということを、日本人はもっと前に肝に銘じるべきだった。