女子フィギュア・ショートプログラムに出場して転倒。16位と出遅れた浅田真央選手(23)に対し、「負けるとわかっていた」「見事にひっくり返った。あの子、大事な時には必ず転ぶ」などと発言し、大バッシングを浴びる事態に陥ったのだ。
政治部記者が解説する。
「同発言は、2月20日に福岡市の講演で行われたもの。森氏は続けて、『団体は負けるとわかっていたのだから、浅田選手を出さなければ良かった』『(団体戦で)転んだ心の傷が残っているから、転んではいけないとの気持ちが強く出たのだろう』と同情を寄せたが、聞く者によっては浅田がプレッシャーに弱いダメな子ととられかねず、一気に炎上してしまったのです」
痛恨の発言は、インターネットを通じて世界中に拡散し、国内のみならず中国のネットにも「浅田選手がかわいそう」との声が多数寄せられたほど。また、森元首相が'20年の東京五輪・パラリンピックの組織委員会会長だったことから、「普通なら会長職クビ」との書き込みも渦巻いた。
もっとも、森元首相の噴飯ものの「失言」は今に始まったことではない。
ソチで2月9日に会見した際には、英語の語学力を指摘した記者に「私たちの世代は勉強適齢期に(英語は)敵国語だったから」と回答し、外国人記者らをあ然とさせたばかり。その失言ぶりは並み居る政治家の中でもダントツで、永田町では「失言大魔王」の異名を取っているのである。
前出の政治部記者が言う。
「古いものでは'88年4月に行った“大阪タンツボ発言”が有名。自民党京都府連主催の政経懇話会で、曰く『大阪人はカネ儲けばかり』『低俗な風俗産業も必ず大阪から生まれる。言葉は悪いがタンツボだ』と発言し、大批判を浴びた。また、差別発言はとどまることを知らず、'92年には、母校の早稲田大学で『横浜の寿警察管内には1500人ぐらいの韓国から来た労働者がいる。ベトナム戦争に参加しているから(中略)まとまれば大変な軍事行動ができるくらいの恐れがある』などと講演し、集中砲火を浴びた過去もあるのです」
ただ、その「失言」が爆発したのは、何と言っても首相時代を迎えてからだろう。
皮切りとなったのは、'00年4月。次期首相就任が決定した頃に、ヌケヌケとこんな発言をしているのだ。
「夜も朝も総理番記者から、『何時に寝て何時に起きたのか』と電話が来るので困っている。家内がホテルの方が楽だと言っている。ああいうの(首相動向)は嘘を言ってもいいのだろう」
また、首相に就任したばかりの同年5月には、NHKの討論番組『日曜討論』に出演。ここで思わぬ失態をやらかしているのである。
全国紙論説委員が言う。
「森氏はこの時、衆議院議長を務めた経験もある坂田道太元文部相のことを『亡くなられた坂田さん…』と話し出した。ところが、同氏は当時まだ存命中。放送を聞いた坂田夫人が『あなた、死んだわよ!』と告げ、坂田氏は『そうか』と笑ったとか。後日、森氏は平身低頭で詫びの電話を入れたことがあるのです」
生きている人間を、公共放送を使って死人にしてしまう思い込みには驚かされるばかりだが、これなどは森氏が行った「失言」でも可愛い方と言わざるを得ない。というのも、この後にはご存じの「神の国発言」が行われているからだ。