朝日の本流を占める政治部出身の後継者だが、実は、同社は過去30数年にわたって、経済部と政治部が交互に社長になる「襷掛け人事」が続いてきた。この慣習を破る人事に様々な憶測が流れている。
秋山会長が退任の意向を示した昨年来、朝日内部では、経済部出身者の和気靖取締役の後継が有力視された時期があった。しかし、この構想が崩れたのは、和気氏の人望のなさだったと言われる。
「ともかく、和気さんは母体の経済部に評判が悪かった。『決断力がない』『そもそも社長の器ではない』の総スカン状態だった」(朝日新聞関係者)
秋山会長は和気氏を推す構えだったが、あまりの評判の悪さに断念。他の候補者も経営能力や年齢などがネックになったとされる。
そこで急浮上したのが木村新社長だった。東日本大震災後の苦しい広告状況を乗り切ったことなどが評価されたようだ。だが、木村新社長にも“古傷”はある。編集局長時代の'05年、総選挙がらみの偽メモ事件で解任、ヨーロッパ総局長に飛ばされたのだ。
「そこで取り沙汰されているのが、秋山院政。今回の人事はヒモつきという話です。新旧両社長は政治部当時、デスクと記者の関係。この関係は新聞記者にとって極めて重い。秋山会長は代表権がないとはいえ、政治部の先輩として、あれこれ指示を出すのではないかという訳だ」(朝日新聞関係者)
また、秋山会長が不遇をかこっていた10数年前、懸命に支えた工務局出身役員が異例の専務昇進を遂げたこともサプライズ。「秋山会長の強い推しがあった」との見方が根強い。
さらに、今回の人事では、局次長クラスのベテランが数人、関連のテレビ局や出版社に出された。出向ではなく、退社しての転籍だ。社員の若返りを促進するためとされるが、今後も、57歳になった幹部は退社→転籍が常態化するようだ。
「人望のあった社会部出身の取締役はテレビ局に移るはめに。今回も、社長になれないことから『朝日の参議院』と揶揄される状態が続く」(事情通)
人材不足が指摘される朝日新聞。部数低迷もあいまって、内憂外患か。