誰がこんな生々しく、また皮肉な結末を予想しただろうか。
「(相撲協会を告発した内容についての)事実は曲げられない」
優勝22回を誇る平成の大横綱、元貴乃花親方が、相撲協会に不満を爆発させ、退職届を叩きつけた9月25日から、わずか2カ月弱。無念の思いを託された弟子の貴景勝が序盤から気迫あふれる相撲で白星を積み重ね、初賜杯を勝ち取った。
もし貴乃花親方の退職が1場所遅かったら、どんなことになっていただろう。突然の退職のとき、元貴乃花親方が最も心配していたのが弟子たちのことだった。
「(別れることは)無念というか、悲しいけど、土俵で活躍することが何よりも優先されるべきこと。(これからは)師匠ではなくなるが、お父さんという気持ちで触れていきたい」
退職会見では、こう腹から絞り出すような声で話し、11月2日に去年まで貴乃花部屋の宿舎があった福岡県田川市内で催された祭りでも、弟子たちと再会したあと、こう漏らしている。
「(元弟子たちと心が通じ合っていたかどうか)本場所の相撲を見てみないと分からない。九州の皆さんには勢いのある相撲を見せないといけない。もう師匠ではないけど、厳しい目で見ています」
この言葉の裏側にあるものを、担当記者は次のように解説する。
「元貴乃花親方の心の内が透けて見えるセリフですね。『オレの気持ちは分かっているな、しっかり頑張れ』と言っているようなものです。退職した貴乃花親方にとって、弟子たちが大暴れしてくれることが協会首脳に対する恨みを晴らす唯一の方法。おそらく協会首脳も、毎日ノド元に刃を突き付けられているような思いで貴景勝の快進撃を見ていたんじゃないでしょうか」
それにしても、九州場所における貴景勝の奮闘ぶりはすごかった。元貴乃花親方の弟子たちは、そのカリスマ的な人気に憧れて入門した“信奉者”がほとんどだが、中でも貴景勝はその最右翼。兵庫県芦屋市出身にもかかわらず、小学4年生の頃から東京の貴乃花部屋で開かれていた相撲教室にはるばる通い、その薫陶を受けてきた。
先場所後、貴乃花部屋が消滅し、親方と別々の道を歩かなくてはいけなくなったときも、その思いを次のように熱く語っていた。
「小さい頃から、貴乃花親方についていくと思ってこの世界に入った。心の中では貴乃花親方の根本的な教えを忘れず、しっかりと自分の幹として叩き込んでいかないといけない」
年齢は若いが、こうと思い定めたときの貴景勝の信念の固さは、脱帽もの。高校相撲の名門、埼玉栄高出身で、「5日間も休めば弱くなる」と言われて修学旅行にも行かずに稽古していた、というエピソードにもそれがよく表れている。
相撲も175㌢、170キロの丸い体を目一杯使った突き押し一辺倒。この九州場所は、その上に元貴乃花親方の怨念ものっていたのだから、威力は倍増。初日、稀勢の里を左からはたき込んで腹ばいにしたときも、ニコリともせずこう話した。
「テレビで見ている人にヘタレな相撲は見せられない。たとえ負けても積極的な相撲を取ろうと思いました」
★協会真っ青のモロ貴乃花!
「テレビで見ている人」とは、もちろん元貴乃花親方のことだ。
気迫負けして敗れた稀勢の里は、この4日後にあたる5日目の朝、
「このままでは終われない。もう一度、チャンスをください」
と、師匠である田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)に申し入れ、休場している。貴乃花退職劇のとんだ犠牲者と言っていい。
こうして貴景勝は好調の波に乗ったが、「この強さは本物だ」と協会首脳が青くなったのが、9日目の大関栃ノ心戦だった。怪力自慢の大関に強烈なモロ手突き2発。1発目で体が後ろに吹き飛び、2発目で175㌔の体が浮き上がり、ドッと横倒しに転げ落ちた。
「どうなったのか、覚えていない」
栃ノ心はこう言ってうつろな目をしていたが、勝った貴景勝は澄まし顔。
「相撲は15日間の勝負ですから。9日目の成績は当てにはならない」
この貴乃花親方譲りの精神力が初優勝を呼び込んだ。
14日目、1差で追いかけていた高安との直接対決は土俵際で逆転負けし、涙を飲んだ。しかし、2敗で並んだ千秋楽では先に勝ってプレッシャーをかけ、御嶽海と戦う高安の敗北を誘い込んだ。
22歳3カ月は史上6番目のヤング優勝。小結の優勝は史上9人目だ。にもかかわらず、優勝が決まった瞬間、貴景勝は顔を真っ赤にしただけ。
「場所前、新しい部屋になったけど、一生懸命がんばることが(結果に)繋がると思ってやった。白黒を考えず、内容を求めてやったのがよかった」
優勝インタビューでも、こうはっきりと話し、大きな拍手を浴びた貴景勝。
来場所は、早くも大関取りの声もかかる。この元貴乃花親方の“申し子”の快挙に、協会首脳は戸惑いを隠せずにいる。