まだ開いているスナックが少ないために、インターネットで電話番号を調べて、いくつかの店に電話をした。そこで感じの良さそうな店に行くことにした。
「化粧ポーチを持って逃げました」
あるスナックで働く女性(19)は、3月11日の東日本大震災当日、地震があった後に、津波がくるというので高台に避難した。この女性が住んでいた場所は、津波がやってきたものの、家が流されるほどの被害はなかった。
それにしてもなぜ、化粧ポーチを持って逃げたのだろうか。
「だって、スッピンを見られるのは嫌じゃないですか。だから、帽子も持っていったんです。でも、他にも化粧ポーチをもって逃げた人はいたよ」
まるで、後の避難生活を予想していたかのような行動をとったと思われるが、決して、その後の被害状況を想像していたわけではない。
「もちろん、ここまで被害があるとは思ってないです。でも、ちょっとは避難するかもしれないとは思いました。だから、化粧ポーチくらいは、と思ったんです」
その後、彼女は避難所生活は長くすることなく、被害の少なかった親類の家に家族で世話になったという。いまはもう自宅が住めるようになった。
スッピンを見られたくないという夜働く女性は、彼女だけではない。仙台市国分町のキャバクラでも、避難所ではずっと帽子を深くかぶっていたという嬢もいた。私から見れば、それほどスッピンをそれほど気にするものでもないと思ってしまうが、夜働く女性たちにとっては、顔は「夜仕様」になっているので、昼は顔を見られたくないのかもしれない。たしかにキャバ嬢に昼間会うと、「夜の顔」との差にびっくりした経験もあるので、わからないこともない。
ちなみに、その女性の知人では、亡くなった人がいたようだ。津波被害は、石巻市の周辺でも激しかった。東松島市の新東名付近は今でも地盤沈下に悩まされ、満潮時には冠水してしまうところがある。そのあたりでアルバイトをしていた知人が津波に巻き込まれていた。
不慮の事態で知人を突然亡くすというのは、誰でもあっても、程度の差はあれ、悲嘆にくれたりする。そのため、この女性も精神的に落ち込んでいるのではないか、と思った。が、そうでもないようだ。それ以上の悲嘆があったようだ。
「震災で知人を亡くしたのはしたかがない。天災ですから。それよりも、震災前に友達を亡くしたことのほうがショックでした。その友達が亡くなったとき、私、その友達の部屋にいたんです。『まだ来ないのかな?』って、リアルタイムでつぶやいたんです。すると、別の友達が『まだ知らないの?』って返して来たんです。どうも、その時点で亡くなっていたんです」
東日本大震災の被災地が広く、被害も甚大なために、誰もが震災に関連したものに目が行ってしまう。しかし、誰かを亡くした人にとっては、どんな出来事で亡くなったのか、ではなく、出来事に関係なく、誰を失ったのかが重要なのかもしれない。なんでもかんでも、震災での被害が、その人にとってもっとも悲しいことだ、と思うことは避けたいものです。
そういえば、私が東北地方の取材ばかりしていたら、北関東出身のキャバ嬢から手紙が届いた。
「震災取材お疲れ様。でも、私だって、被災者なんだからね。忘れないでね」
すみません。東北ばかり行っているわけでないんですが、ずっとあなたの電話に出られませんでした。今度は電話に出たいと思います。
<プロフィール>
渋井哲也(しぶい てつや)フリーライター。ノンフィクション作家。栃木県生まれ。若者の生きづらさ(自殺、自傷、依存など)をテーマに取材するほか、ケータイ・ネット利用、教育、サブカルチャー、性、風俗、キャバクラなどに関心を持つ。近刊に「実録・闇サイト事件簿」(幻冬舎新書)や「解決!学校クレーム “理不尽”保護者の実態と対応実践」(河出書房新社)。他に、「明日、自殺しませんか 男女7人ネット心中」(幻冬舎文庫)、「ウェブ恋愛」(ちくま新書)、「学校裏サイト」(晋遊舎新書)など。
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