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歌姫・中森明菜はなぜ「ミヤザキツトム」と発言したのか!?

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提供:週刊実話

●短期間で二度も起きていた“前代未聞の放送事故”
都市伝説とは、社会の不安が生みだす「イメージの物語」だ。事実無根のイメージが先行しているのだから、少し文献や資料を調べれば、あっという間に穏当な真実が明らかになり、「そんなことか」と拍子抜けしてしまうのが常である。
 しかし1989年6月『ねるとん紅鯨団』(フジテレビ系)放送にまつわる「中森明菜“ミヤザキツトム”発言」だけは勝手が違う。これはあまりにも不気味な「事実」が先に現存し、それが都市伝説になったという珍しいパターンなのだ。
 言うまでもないだろうが、『ねるとん紅鯨団』とは、素人の男女が交流しつつ告白の成功を目指す恋愛バラエティー番組だ。司会のとんねるずに加えて毎回ゲストが迎えられ、6月17日放送時には中森明菜が登場した。
 しかし番組のクライマックスとなる告白タイムで、とんでもない“放送事故”が起きてしまう。いきなり画面が暗くなり、「報道特別番組により、やむを得ず番組を中断いたしました。ご了承ください」と意味不明のテロップが入る。放送トラブルに付き物の「しばらくお待ちください」画面に変わった後、そのままCMへ。そして番組が再開したものの、スタジオでのやり取りは早送りで進んでいき、一瞬だけ告白タイムの場面が映る。また違う若者たちが出ているので、次のシーンに移行したのだろうか。しかし、やはり「しばらくお待ちください」という画面になり、その後ろでとんねるずや若者たちの騒々しい音声のみが流れていく。さらに画面が切り替わると、なぜかまた中森明菜が登場するオープニングに戻って……というメチャクチャとしか言いようのない番組を流してしまったのだ。最近のTVはちょっと変わった演出まで放送事故と言われてしまうが、これこそ正真正銘の“放送事故”である。
 フジテレビ系列はこの3カ月前にも画像と音声が26分間も途絶える事故を起こしており、短期間で二度も“前代未聞の放送事故”が起きたことになる。これだけでも充分、都市伝説レベルの話なのだが……。

●「なんでだろうアタシ、なんか知らないけど今……」
 4日後の6月21日、放送中断のお詫びとともに『ねるとん』中森明菜の回が再放送された。ここではスムズに番組が進み、エンディングを迎えていく。スタジオではとんねるずが、中森明菜に「理想のタイプは?」と質問し、はぐらかす明菜へ石橋が「芸能人にたとえたら?」と追い討ちをかける。
「分かるよ! 誰のこと言ってほしいのか」と、まんざらでもない明菜。当時、彼女が近藤真彦と交際していたことは周知の事実だった。そんなTV的じゃれあいが進む中、仕方なくといった感じで明菜が「理想のタイプ」の名前を出したところで、スタジオが静まり返る。
「……ミヤザキツトムさん」
とんねるずや観客どころか、明菜 本人までもが「それは誰だ?」といった空気に包まれる中、石橋が「山崎努の間違いじゃないの?」と間違いを指摘。合点がいった明菜が笑顔で謝りつつ、「なんでだろうアタシ、なんか知らないけど今、ミヤザキミヤザキって……」と言い訳。
「違う名前が頭に浮かんでたんじゃないの〜⁉」
そう石橋がイジり返したところで、放送は「無事に」終了した。
 当時の彼らに分からないのは当然だが、現代の我々にとってこれがいかに不気味な内容だったかはすぐ理解できる。放送の1年前から、謎の幼女誘拐殺人事件が世間を騒がせていた。その最後の被害女児の遺体が発見されたのが、放送事故1週間前の6月11日、犯人である宮﨑勤が別件で逮捕されたのが放送翌月のこと。そして彼が一連の事件を自供後、日本中に「宮﨑勤=ミヤザキツトム」の名前が報道されたのが、8月10日だった。つまり、この大事件が終わる直前、犯人の名前が人気番組で流れていたことになるのだ。
 ちなみに宮﨑の処刑は2008年6月17日と、奇しくも放送事故日と同じ日付である。
 これだけでも、もの凄い偶然だが、明菜は放送の1カ月後にマンションにて自殺未遂を図り、芸能活動を1年間休止する。もちろん近藤真彦との恋愛のモツれが原因であり、ここにおいて2人の関係は破局。両者が顔を合わせ謝罪するという、これまた前代未聞の年末記者会見へと繋がっていくのである。

●ポイントは「1989年」時は時代の変わり目だった
 日本犯罪史上に残る大事件の犯人逮捕と、日本アイドル史のターニングポイントが同時に重なり、それが「中森明菜“ミヤザキツトム”発言」という点に結びつく。もちろんこれらは単なる偶然だろうが、偶然にしてはあまりに出来すぎていて、「事実は都市伝説より奇なり」とでも言いたくなってくる。
 ターニングポイントという点では、同年1月には昭和天皇が崩御、さらに放送事故の翌週である6月24日には美空ひばりも死去し、昭和の終わりをまざまざと感じさせた。1989年は昭和と平成の境目であるが、同時にこれほど「時代の変わり目」を分かりやすく提示した年はないだろう。
 こうした怒涛の急流の最中に、「中森明菜“ミヤザキツトム”発言」という不気味すぎる偶然が起こってしまった。なんとも奇妙な「事実」が先立つという逆パターンの都市伝説として、このエピソードは後世まで語り継がれていくことだろう。

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