当初は「ねぎ星人」や「田中星人」らの異星人を倒すミッションがオムニバス的に展開された。「星人」の名前はユーモラスであるが、戦闘シーンはグロテスクである。イタリアを舞台にしたラスト・ミッション終了後は異星人が地球を蹂躙するカタストロフィ編に突入した。
この巻では巨大飛行物体に侵入した玄野と、異星人に連れ去られた小島多恵が中心である。異星人に連れ去られた人類は衣服を溶かす液体を浴びせられる。そのため、一冊丸ごと全裸の人間が大量に登場するという衝撃的な単行本となった。
カタストロフィ編の当初では、異星人が圧倒的な軍事力で人類を蹂躙していた。そこでは人類の抹殺を目的とするような無機質な殺戮が行われているように見えた。しかし、巨大飛行物体内部で営まれる異星人の生活は、意外にも日常的で平凡なものであった。異星人は人間から見れば巨人である。巨大飛行物体内部の居住空間は高度に都市化されているが、人類の文明の未来形と大差ない。人類と同じように文明生活を送っている。この点で同じ巨人と人類の戦いでも諌山創の『進撃の巨人』に登場する巨人のような不気味さはない。
異星人の人類へのスタンスも合理的である。過去の「星人」のように理由なく人類を殺傷する訳ではない。人類はペットの餌や見世物、またはペットそのものなど、用途が明確である。異星人の人類への接し方は、動物や昆虫に対する人類の接し方と類似する。人類と家畜の立場が逆転したという意味で藤子・F・不二雄の『ミノタウロスの皿』と重なる。
また、異星人の外観やファッションは、人類ならば白人のものに近い。異星人は全世界に侵略しているが、ここでは日本が舞台であり、捕らえられた人類も日本人である。美しく着飾った白人が裸の黄色人種を駆逐するという連想も生まれる。この点で沼正三の『家畜人ヤプー』とも重なる。
単に倒すべき敵と認識していた過去の「星人」と異なり、カタストロフィ編での異星人は人類に近く、読者にとっても行動原理が理解可能なものである。それ故に、かえって結末が見えにくくなっている。
(林田力)