イヴ・サン=ローランを含むグッチのクリエイティブ・ディレクターに1994年に就任したトム、ブランドのCEOドメニコ・デ・ソーレと共に制作管理を巡り親会社のPPR(ピーノ・プランタン・ルドゥート)の上層部と意見が衝突したことから、その職を辞するに至った。しかし、それまでにはグループ内で「孤立」し、「大きなプレッシャー」を感じていたと告白した。
「グッチとイヴ・サン=ローランとの仕事は、1年に16コレクションもデザインし、会社の副社長も兼務し、ステラ・マッカートニーを傘下に収め、多様なブランドやデザインのコレクションを買収する仕事もあったことで、あれ以上続けることは出来なかった」「大きなプレッシャーがあるから、かなりの力量を必要とされる。でも、そうすると孤立してしまうんだ。グッチを何もないところからあれだけ成長させる助力をしたが、まあ競走馬のようなものだから、自分が孤立してしまうのさ」「人は僕を働かせ続けたくて『みんなを喜ばせ続けろ! 喜ばせ続けろ!』とだけ言うのさ。もっとやらせたがる。作って、作って作るしかなかったよ」
故アレキサンダー・マックイーンを雇った時期もあるグッチ・グループでの経験は、仕事によるプレッシャーを抱えていた挙句、母親の死からの悲壮感で自ら命を絶ったアレキサンダーの気持ちが理解できると、香港版タイムアウト誌に語った。
「グッチで経験していたから、彼のプレッシャーは理解できる」「イマイチなコレクションを発表すれば評価も悪いし、プライドが傷つけられるだけじゃなく、そのせいで会社全体が落ち込むから責任も感じるよ」