CLOSE
トップ > 社会 > 森永卓郎の「経済“千夜一夜”物語」 惨敗に終わった日米交渉

森永卓郎の「経済“千夜一夜”物語」 惨敗に終わった日米交渉

 4月12日、日本のTPP交渉参加に向けた米国との事前交渉が妥結した。予想以上の惨敗だった。
 現在、米国が日本車にかけている乗用車2.5%、トラック25%の関税は、「最も長い段階的な引き下げ期間によって撤廃」とされた。しかも、米韓FTAで定めた最長10年の撤廃期間を「実質的に上回る」となったのだ。日本の自動車業界は反発しているが、これで米国の自動車関税の撤廃は10年以上先まで先送りされたことになる。TPP導入による日本経済のメリットは、大きく減少したと言ってよいだろう。
 一方、日本が要求していたコメなどの例外扱いは一切認められず、「日本には農産品というセンシティビティ(重要課題)がある」との表現にとどまった。
 また協議の中で米国が強い懸念を示した保険分野に関しては、麻生財務大臣が、日本郵政傘下のかんぽ生命によるガン保険などの新規業務を当面認可しないと発表した。麻生大臣はTPP交渉との関連はないとしているが、タイミングからみて、どう考えても米国への配慮だろう。
 日米の事前交渉では、米国が具体的なメリットを確実に手にしたのに対して、日本は何一つ手に出来なかった。2月の日米首脳会談で安倍総理は、TPP交渉には聖域があるというオバマ大統領の言質を取ってきたが、聖域があったのは米国側だけだったのだ。

 しかし、こうした結果になることは、ある程度予想された事態だったともいえる。たとえば、普天間飛行場の辺野古への移設問題だ。辺野古に巨大な米軍基地を新たに作るのだから、日本政府は見返りを求めた。嘉手納基地以南の米軍施設の返還期日の明示だ。
 しかし、4月5日に日米合意された嘉手納以南の6基地返還計画の中でも、日本政府は何も成果を取れなかった。「普天間基地は辺野古への移設完了後2022年度あるいはそれ以降に返還。牧港と補給地区東側の大半は2025年度あるいはそれ以降に返還」といった形で、すべての返還時期に「それ以降」という留保が付けられたのだ。
 合意文書を素直に読めば、「いつ返還するかはわからないが、少なくとも期限までは返還しない」としか読めない。1996年と2006年の日米返還協議では実現はしなかったものの、具体的な返還期限が明示されていた。だから、今回の日米合意で明らかに日本は敗北を喫しているのだ。

 TPP交渉参加に関して、日本が不利な条件を受け入れざるを得なくなったのは、参加表明が遅れたからだとする意見もあるが、沖縄の結果をみれば、日米関係では日本の力が圧倒的に弱いというのが現実なのだ。
 そのことは、今に始まったことではない。1994年から2009年まで続いた年次改革要望書は、米国側の要求にもとづいて、郵政民営化や日雇い派遣の解禁、高速道路でのオートバイ2人乗り解禁など、さまざまな改革を日本にもたらした。ただ、この年次改革要望書の仕組みの中で、日本から米国への要望も出されている。ところが、その要求によって実現した米国の改革は、何一つないのだ。
 安倍総理は「交渉はこれからが本番だ」などと言うが、結果は見えている。日本は絶対に勝てない喧嘩に自らを追い込んでしまったのだ。

社会→

 

特集

関連ニュース

ピックアップ

新着ニュース→

もっと見る→

社会→

もっと見る→

注目タグ