「どの国にも国家機密があるし、それを守ろうとするのは主権行為であって当然のことですが、日本のようにスパイ防止法さえない国では、閣議決定は30分以内で北京に筒抜けになっていますし、過去には、某首相が中国人工作員の女性と“ねんごろ”になった事件もありました。外国なら首相弾劾に発展したはずでしたが、問題視されませんでしたね。このように、日本は中国とは対照的なスパイ天国です。その中国が定める国家機密の中には、中国共産党幹部の日常生活や会議における発言記録も『機密』に属しています。これは世界でも数少ない徹底した機密保持策と言えるでしょう」(中国ウオッチャー)
1978年秋ごろから79年3月29日まで、北京市西単の通称「民主の壁」での大字報(壁新聞)による、中国民主化運動(北京の春運動)が起きた。これを精力的に取材した柴田穂産経特派員は、国外追放になった。帰国後に数冊の中国批難本を上梓している。
鮫島敬治日経新聞特派員は、追放ではなく1年半にわたって社宅軟禁された。が、なぜか体験記は書かれていない。
中津幸久読売新聞特派員は、最初は上海、次に北京において、国家機密に触れる報道をしたという難癖を付けられ、執拗に取り調べを受けた末に国外追放になっている。以後、5年間にわたり中国入国禁止処分となった。
「追放から10年後の北京五輪に取材ビザを申請しましたが、拒否されています。特派員時代には、助手の中国人が氏の挙動を常に監視し、公安当局に報告していたという経験記を書いています。つまり助手はスパイだったわけです」(同・ウオッチャー)
こうしたスパイは“為”にする情報を意図的に特派員に吹き込み、相手国の世論を誤解させ、時の権力を有利な方向に導こうという諜報工作も行う。
「朝日新聞の林彪健在という世紀の大誤報や、毎日の陳敏爾(現:習近平側近、第6世代の実力者)次期国家主席説、産経の江沢民死亡号外事件は、特派員の周辺での工作員がもたらしたガセネタだった。
国家の重要人物の会議における発言記録も報道できないようでは、そもそも中国特派員などいらないのではないか。