search
とじる
トップ > ミステリー > 救いを求め続けた犠牲者〜洞爺丸事故

救いを求め続けた犠牲者〜洞爺丸事故

 1954年9月26日、戦後最大の海難事故が起きた。青函連絡船「洞爺丸」が台風により転覆、1155人が死亡または行方不明となった事故である。

 この日未明、鹿児島県に上陸した台風15号は、日本海へ抜けた後もなお発達し高速で北上していた。11時、函館に到着した洞爺丸は折り返し、14時40分出港予定だった。ところが、先に出港したものの引き返してきた小型船第十一青函丸の乗客と車両を洞爺丸に移乗させることとなり、その作業に手間取ったため台風通過後の出港に変更された。この時、予定時刻に出港していれば事故は起きなかったと言われている。

 そして、台風通過を思わせた18時39分出港。が、間もなく再び暴風が吹き荒れ投錨したものの凄まじい風と波のため走錨し、やがて浸水が起こり操舵不能となった。為す術が尽きかけていた洞爺丸は、沈没を避けるため遠浅の七重浜へ座礁させたが、船体は安定せず右へ傾斜、大波を受け転覆した。

 この大惨事となった海難事故の後、現地には様々な噂が流れた。「七重浜からタクシーに乗った全身ずぶ濡れの女性が、目的地に到着するや姿を消し、彼女の座っていた所には水たまりが残っていた」、青森駅宿直室で仮眠中の職員は、窓を叩くずぶ濡れの手を目撃、翌朝には窓ガラスに手形が残っていたという話も伝わっている。

 これらの噂は被害者の無念が呼んだものだったのか。悲惨な事故の現場に最も近い七重浜には、被害者の霊を慰める慰霊碑が建っている。

七海かりん(山口敏太郎事務所)

関連記事


ミステリー→

 

特集

関連ニュース

ピックアップ

新着ニュース→

もっと見る→

ミステリー→

もっと見る→

注目タグ