その田中内閣は、発足にあたり「日本列島改造」を掲げた一方、列島改造の陰に隠れてしまった感があるが、じつは「福祉元年」も重要政策とし、それまでの健康保険法と年金法の改正にチャレンジしていたのだった。
時に、橋本は自民党の社会部会長で、すこぶる「福祉元年」にやる気を見せていたが、田中と政策の中身について衝突。権力者として絶頂期の田中に「筋」を通して対立するとは、なんともいい度胸であった。当時の自民党担当キャップの話が残っている。
「大盤振る舞いで知られた田中が、老齢福祉年金を一挙に2万円も引き上げようと言い出した。これに、橋本が直ちに噛みついたんです。『そんなことをしたら、他の関連する案件も全部引き上げなければならなくなる』と。さしもの田中も、タジタジの体だった。
また、田中が医科大学のない県の解消のため、全国に医科大学を置こうとの計画を示したが、これを耳にした橋本は“時期尚早”と反論に打って出ている。しかし、この件は田中も譲らずで、橋本をこんこんと諭していた。田中に持論を蹴られてよほど悔しかったのか、自信家の橋本は党幹部に『僕は間違ってるとは思っていない』と、なんともしぶとかったものです。
橋本自身は、厚生行政には絶対の自信を持っているから、気に入らない意見には一歩も引かないことが多かった。ために、絡みついたら離れない『タコ』の異名があった。ただ、鼻っ柱は強くても確実に仕事をこなすことから、田中以降の政権もたびたび橋本を重要ポストに起用していくことになった」
大平(正芳)内閣で厚相として初入閣した後は、鈴木(善幸)内閣で自民党行財政調査会長、中曽根(康弘)内閣で運輸相、宇野(宗佑)内閣で自民党幹事長、海部(俊樹)内閣で蔵相、村山(富市)内閣で副総理兼通産相といった具合である。その村山首相退陣後、ついには首相のイスに座わることになった。
ちなみに、橋本の「仕事師」ぶりには定評があり、とくに厚相時代には長い厚生省と日本医師会の断絶状態を氷解させる腕力を見せつける一方、これも揉め続けた懸案の「スモン訴訟」を和解へ導いてみせた。
また、行財政調査会長では、これも長く懸案だった日本電電公社、日本専売公社の民営化をきっちり実現させ、その後の運輸相でも、国鉄の分割・民営化に道を開いてみせた。行財政調査会長としての橋本の腕力ぶりを見て、田中はこう唸ったものだった。
「アレ(橋本)は鈴木(首相)より上かもしれんな」
その鈴木首相自身も「橋本は若いけど、一度口にしたことは、きっちりやる凄さがある」と、妙な感心をしていたのだった。
★「田中“信長”における森蘭丸」
昭和51年7月25日、田中がロッキード事件で衝撃の逮捕となった。逮捕の報が流れると、田中派の面々が東京・平河町の砂防会館3階の派閥事務所に集まってきた。その多くが衝撃の大きさから顔面蒼白、口数も少なかったものであった。
「そんな中で、橋本は『俺は角さんが好きなんだ。好きなものはしょうがない』と、人目をはばからずに泣きじゃくっていたのが印象的だった」(当時の田中派担当記者)
また、田中派幹部の竹下登が、この逮捕をきっかけに田中派内の若手を糾合しようと会合を持った際も、やはり“橋本らしさ”が出た。この会に出席した橋本は、開口一番、竹下に向かって「あなたは明智光秀になる気かッ」と“一喝”し、直ちに席を蹴ったのである。
以後しばし、田中派内には「(橋本は)田中“信長”における森蘭丸」との声も出たのである。
橋本はその後も、田中が保釈で東京拘置所を出た際、目白の田中邸に駆けつけるや、「短いこの世で一座を組んだのだから、今後も田中先生が政治家をやっている限りついていくんだ」と語り、ここでも田中をいたく感激させている。
しかし、田中はその後、病魔に倒れて再起不能となる。それから2年後、中曽根政権の後継として、田中が田中派時代にことのほかその台頭に神経を使っていた竹下が、ついには政権を握ることになった。
一方で、その竹下政権も、竹下の後継をめぐって竹下派幹部の小沢一郎と金丸信が手を握り、派内の主導権争いに発展した。このとき、やはり同派の幹部だった橋本は、同じく梶山静六らと呼吸を合わせ、小沢・金丸らとは別の動きを取っている。そして結果的には、政治家として小沢と決別する道を歩んだのであった。
田中角栄が、若き日の橋本をスパッと切れる「カミソリ」の切れ味、小沢をドスンと切り落とす「ナタ」の凄みと評し、田中派の流れを継ぐ者として期待を込めて競わせた2人の政治家人生も、結局は2本の線路が交わることはなかった。
人の世はままならぬものと、泉下の田中の歯ぎしりが聞こえるようでもある。
(本文中敬称略)
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【著者】=早大卒。永田町取材50年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『愛蔵版 角栄一代』(セブン&アイ出版)、『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。