小栗 実は今、知人の紹介で、韓国で人気のアイドル・イリン(LEE LYN)という子を日本向けにプロデュースしているんです。昨年10月には某写真週刊誌で口説き、手ブラヌードまで披露しました。
――仕事もバリバリやっているようですね。病気は今、どんな状態ですか?
小栗 お医者さまから病名を告げられた時は涙も出ないくらいショックだったのですが、発見が初期だったのがよかったのかな…。今年の5月で手術から丸3年になりますが、ガンは5年、10年と付き合わなければならないので、今も経過観察中です。仕事で忙しくしている方が悩まないで済むし、晩酌に飲む大好きなワインもおいしいですからね。
東京・銀座の喫茶店で待ち合わせた彼女は、全身黒ずくめのシックな出で立ち。コケティッシュな笑顔はそのままに、年齢相応の艶っぽさもまといつつ、元気そうに見えた。
――なぜ、女優からプロデュース業を始めることに?
小栗 きっかけは、知り合いのプロデューサーが体を壊した時に、お手伝いをお願いされたんです。自分としても違うことに挑戦してみたいと考えていたので、手伝ってみたら楽しくて…。この世界は男性が多いのですが、私の強みは自分も出演経験があること。ヌードだったり、露出が多い撮影の時など、タレントさんの気持ちがよく分かるので信頼されやすいのかなと思います。写真集では山本美憂、福山理子、真珠・野沢オークレア、グラビアでは羽田美智子、篠原涼子、真木よう子…と、多数の方を手がけさせていただきました。
’95年、岩井俊二監督の映画『Love Letter』に出演。韓国でも大ヒットし、小栗は大人気女優となった。私生活では’05年に韓国人のITプログラマーと結婚。
――結婚も電撃的だった印象ですが、やはり映画の大ヒットで韓国の方から猛烈なアプローチをかけられたんでしょうか?
小栗 そういうことではないんです。出会いは日本ですし、彼は映画は見ていたけど…という程度だったそうです。きっかけは、あるプロダクションの社長が共通の知り合いで、そのお誕生日会での出会いでした。一目惚れされて、そこからは彼の猛アプローチが始まりました。毎日電話をしてきたり、会うたんびにバラの花束やプレゼントを持ってきたり。でも、それが私にはすごく新鮮だったんです。彼は会社勤めだったので、いつもスーツをビシッと着ていて、私のいる業界とは全く違うところにも惹かれたんだと思います。付き合って3カ月で結婚しました。
――業界人は服装がラフですからね。でも、口説かれることには慣れっこだったのでは?
小栗 そこがもう、みなさん本気なのか遊びなのか…。その点、彼の本気さは別次元でした。
――やはり、色々とイヤな思いもされてきたんですね? 愛人になれ、とか。
小栗 近いのはありましたね。テレビのプロデューサーに口説かれたり。
――そこを、もう少し具体的にお願いします。
小栗 あるロケ先で、有名なカメラマンに口説かれたことがあります。部屋に何度も電話がかかってきて、「ちょっとバーで飲もうよ」って。明日も撮影があるので早く寝たいと言ってもしつこくて、電話線を抜いたことがあります。そしたら翌朝、「おはようございます」と言っても完全無視。「今日は撮影しないから」とヘソを曲げられて険悪なムードでした。それでマネジャーに怒られて、謝ることになったんです。ようやく午後からは撮影してもらえましたけど…。そういうこともありましたね。
★夫も息子も“ママボーイ”
――小栗さんをテレビで初めて見たのは『11PM』でした。当時は10代。お色気番組に出演することへの抵抗は?
小栗 確かに、大人の番組というイメージはありましたね。火曜日と木曜日は裸のシーンがあったりして。でも、金曜日はバラエティーと聞いていたし、私がやることはCMの前に水着姿で踊るだけでしたから。あ、バニー姿で踊ったこともあったかな?
――動きもユニークで、うまく踊れず、ドギマギするのも面白みでした。
小栗 あの振り付けはラッキィ池田さんなんです。本番直前に教えられて、カメラの向こうにいるラッキィさんの動きを真似ながら踊るので、ぎこちなかったんだと思います。
――その後、デビュー11年目に『小栗香織十一年後』(新潮社)というヌード写真集を出した。あれもインパクトがありました。
小栗 実を言うと、出版社の方は私がヌードになるとは思っていなかったんです。私とカメラマンさん(沢渡朔氏)との間では了解していたのですが、写真が上がってきてビックリされてたと思います。
――それはまたどうして?
小栗 他の出版社からは10倍ほどのギャランティで出演交渉をされていたんですが、ただヘアヌードブームに乗って「あぁ、脱いじゃったんだな」で終わってしまうと思ったんです。その点、新潮社さんは私が「こう撮られたい」と、集めて作った見本本を受け入れてくれて、全編モノクロのアート性の高い内容にOKを出してくれました。評判もよくて、増刷されたのが嬉しかったですね。
一粒種の長男は母親の闘病をきっかけに「医者になる」と言っているそうだ。本人も「同じ病気と闘っている人のためにも、実体験を活かして自分ができることをしていきたい」と話す。そのために、’18年にはピンクリボンアドバイザーの資格を取得、心理カウンセラーの資格も取得しようと勉強中だ。
――長男はどんなお子さんですか?
小栗 夫もそうですが、典型的なマザコンです。私の自伝本(’12年に出版)にも書いたとおり、韓国ではマザコンのことをママボーイと呼ぶのですが、8割の男性はママボーイですね。息子とはまだ一緒にお風呂に入りますし、おっぱいも触ってくるんですよ(笑)。
◆おぐり かおり 1970年9月14日、神奈川県生まれ。自身がプロデュースするイリンの1stDVDが2月28日に発売される。今年は歌手としても始動予定。