「(当時監督を務めた)星野監督が常々言われていたんですけども、闘将なので『金メダル以外いらない』と。準決勝前のダグアウトで『国民に金メダル持って帰るぞ』『金メダルを絶対取りに行くんだ』っていうふうに鼓舞したんですよ。それを聞いて余計緊張しちゃって…」「で、相談しようと思いまして、(当時コーチを務めた)田淵さんと山本浩二さんに相談しようと思ったんですけど、怖くて相談できなかったんです」と自分のコンディションなどを相談しようとしたが、監督・コーチ陣の圧力に押され相談できなかったのだという。
そのため、これまでエラーをしてきた原因を「普段ライトを守っていて、レフトは慣れていなかった」と説明してきた佐藤だったが、「星野監督、田淵コーチ、山本浩二コーチが怖くて、緊張していたのでフライが捕れませんでした」とエラーをしてしまった本当の原因を口にした。
また、オリンピック後の星野仙一氏との関係を聞かれた佐藤。「(オリンピックから)帰ってきて、次の日に手紙を書いたんですよね、星野監督に。『自分自身のせいで負けてしまって申し訳ございませんでした』って手紙を書きました。」「で、星野監督は読まれたみたいで、あとあと(元ヤクルトの)宮本キャプテンから『手紙もらったけれども、気にせずにお前の野球人生を頑張れ』っていうふうに言ってたぞ、って言ってもらいました」と間接的ではあるが心強い言葉をもらったのだという。
星野氏は一見熱く見えるが、細かな気遣いもできる人だ。そんな人だからこそ「監督を男にしたい」と選手に思わせることができたのだろう。星野氏のもとでプレーした選手が、今後指導者として“闘将”の熱い思いを引き継いでいってくれることに期待したい。